花嫁のパパ(1991年アメリカ)

Father Of The Bride

1950年の『花嫁の父』をリメークした、スティーブ・マーティンお得意のコメディ映画。

まぁ、これは万国共通のテーマですね。愛娘の結婚に際して、送り出す父の苦悩というのは。
別に若者とのジェネレーション・ギャップを笑いに変えたというわけでもなく、単純に送り出す父の難しさを
笑いにするというコンセプトになっているので、あれやこれやと手を出して散漫になっているわけでもないのが良い。

この手のコメディ映画であれば、やっぱりスティーブ・マーティンに任せたら安心できますね。
嫌味にならない程度にドタバタとした喜劇になっているし、映画の本来的なコンセプトもしっかり果たしてくれます。

おそらく、愛娘ともなれば、結婚で花嫁として出ていくともなれば、感慨も一塩だろう。
勿論、個人差はあるとは思うのですが、思わず幼い頃のひと時を思い出したり、「まだ早いのでは・・・」という
気持ちが出て一人で葛藤したりと、いろいろな感情が心の中で巡ることも、ごく自然なことだと思います。

本作はそんな花嫁の父としての本音をしっかりと描いていて、
そんな中で割り切れない彼の感情が暴走して、花婿の実家に行ってトイレから書斎へと侵入してしまい、
チョットした騒動を起こしてしまったり、ヤケを起こして店で買い物するときに警察に捕まったりと、
色々とお騒がせな父親となってしまいますが、そうした騒動の中で主人公は娘の結婚を受け入れていきます。
(花婿の実家でのエピソードは、よくあれで結婚が破断にならないなぁ・・・と妙に感心してしまうレヴェル)

ただ...あくまで、日本人的な感覚ではありますが、
いくら靴の製造会社の経営者とは言え、愛娘をローマへ留学に出して、それなりの一戸建てに暮らすなど、
経済的に少し余裕がある程度の家庭と見受けられる中で、主人公の娘もスゴい贅沢な結婚式を挙げるものだ(笑)。

いや、この感覚は若さゆえなのか、さすがにスゴいと思った。
親として子供の望む結婚式を挙げさせてやりたいと思う気持ちはあるのだろうけど、これはさすがにスゴい規模だ。

自宅を改造する勢いで、自宅で結婚式を挙げるわけだし、
しかもウェディング・プランナーを入れて、高額な報酬を色々と支払って、ミュージシャンや料理人を雇い、
大勢の出席者を招待して、鳥を庭に放したり、トンデモない内容の結婚式で、これは金がかかって当然の内容だ。

日本の結婚式事情もかなり変わってきていて、20年前ならホテルで一堂集めて、
大きめの会場で披露宴を挙げることが普通でしたが、ここ10数年は家族や友人を中心に集めて、
レストランや披露宴専用の会場を借り切ってパーティーを開くということが主流になっていて、かなり変わった。
おそらくですが、以前と比べると規模は小さくとも、式に金をかける時代になり、単価は上がったのだろうと思う。

そういう意味で、本作で描かれた結婚式も古臭いものなのかもしれませんが、
さすがにポンポンと金のかかる選択を、こうも繰り返されては僕が親なら、さすがに口挟んじゃうかもしれない(笑)。

これを子供の結婚を応援するというだけで、親として全面的に援助してあげられるなんて、
よっぽど経済的に余裕がないとできないわけですが、映画の冒頭で「正直、家を建てたときより金がかかった」と
愚痴を吐露しているのを聞くあたり、この映画で描かれた結婚式は当時としても、あり得ない規模なのだろう。

そういったところを本作はコメディの要素に変えているわけですが、
この豪勢な結婚式をプロデュースしていく、怪しげな担当業者を演じたマーチン・ショートが面白い。
彼はスティーブ・マーティンの盟友ですから、コンビネーション抜群の存在感ですが、出過ぎないのも良い感じだ。
得てして、こういうアクの強いキャラクターはやり過ぎてしまうと、主人公も霞んでしまうことがあるので難しい。

監督のチャールズ・シャイアーは、脚本を書いたナンシー・マイヤーズと当時は夫婦でしたが、
どうやら99年に2人は離婚したみたいですね。その後、ナンシー・マイヤーズは映画監督として成功しました。

コメディ映画を得意とするディレクターだったせいか、本作はオリジナルの『花嫁の父』と比べると
ずっとドタバタした喜劇になっているのですが、スティーブ・マーティンがコメディ演技をさせるだけでなく、
新郎新婦も普通じゃない感じで描いている。唯一、常識的な人物として描かれるのはダイアン・キートンくらいだ。

そもそも、新郎も義理の親の家に初めて挨拶に行って、ソファに座って花嫁の足をずっと触ってるって、
いくらオープンなアメリカン・ファミリーでも、これはないだろう(笑)。ジェネレーション・ギャップのようにも描かれるが、
これは90年代の若者のノーマルだったとも考えにくく、これは当たり前をする2人がどこかブッ飛んでいると思う。

プレゼントとして送られたミキサー(ジューサー)を「女性蔑視の象徴だ!」として憤慨した花嫁が、
多額の費用をかけた結婚式をデザインしている途中に解約してくれと、ヒステリックに怒っていたかと思いきや、
仲直りに訪れた義理の実家の階段で、義理の親がいる前で熱いキスを長々と繰り広げるというブッ飛びぶり。
まぁ、この映画の作り手は新郎新婦をユーモラスに描くことで、スティーブ・マーティンの孤軍奮闘だけに
笑いを求めるようなアンバランスな構成にはしたくなかったのでしょうね。これは間違いでなかったと思います。

個人的には新郎の実家が資産家で、新郎本人もかなり稼いでいるという設定よりも、
もっと相手もノーマルな環境の中流家庭で育った人物という設定で描いた映画が観たかったなぁ。
ここまで社会的なステータスを得た新郎が登場してくると、さすがにこの父親も最初っから“下”になってしまう。

そうではなくって、最初は精神的に優位な状況に立ちながらも、
いろいろと挫かれることがあって、徐々に娘の結婚という現実と向き合っていくというプロセスの方が
スティーブ・マーティン特有のドタバタ劇ももっと盛り上がったと思うし、フラットな目線で観れる映画になったと思う。

この新郎も変なところがある若者ではあるけど、何もかも得た感じで“隙”が無さ過ぎるかな。

今の日本は晩婚化がかなり進んだので、22歳での結婚と言われると、確かに早く感じるかな。
昔であれば普通だったのだろうし、勿論、現代でも10代で結婚する人もいるけれども、晩婚化の流れは続くでしょう。
手塩にかけて育てた娘が成人して、すぐに結婚したいと言われれば、世の中のお父さんの多くは動揺するでしょう(笑)。

でも、とどのつまり...「娘の幸せを願わない親がどこにいるってんだ」ってやつで、
多少の右往左往があっても、最終的には認める方向に向くケースが多いのではないかと思いますが、
子の結婚と向き合う親の心境って、やっぱり「子はいくつになって可愛い子ども」と無意識的にでも思ってるからだろう。

それと同時に、子どもが結婚するとか、孫が生まれるとかって、
人生のイベントとして喜ばしいけど、自分自身がそれだけ年をとったという事実の裏返しでもあるので、
そんな現実とどれだけ素直に向き合えるか、って話しなのだろうと思う。こういうことをスンナリと自分の中で消化して、
アッサリと向き合える人って、ホントに内面が強いというか、どこか達観して生きているのかなと思ってしまう。

本作はスティーブ・マーティンの人気もあってか、そこそこ良い評価を得て、95年に続編も製作されました。
爆発力のある映画というわけではないけど、安心のスティーブ・マーティンのブランドって感じがする作品ですね。

そりゃ、オリジナルの『花嫁の父』のスペンサー・トレイシーと比較するのは可哀想。
時代は変わって、本作のスティーブ・マーティンのように、父の威厳なんてものはすっかり無くなってますからね。
本作もスティーブ・マーティンの持ち味が存分に生かされていますので、彼の映画が好きな人にはオススメしたい。

でもさ、この映画の陰の功労者はやっぱり母親役のダイアン・キートンだろなぁ・・・とも思う。
母親役が彼女だったからこそ、どこか映画が引き締まったのだろうと思う。そういう意味でキャスティングが絶妙ですね。

(上映時間105分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 チャールズ・シャイアー
製作 ナンシー・マイヤーズ
   キャロル・バウム
   ハワード・ローゼンマン
脚本 フランセス・グッドリッチ
   アルバート・ハケット
   ナンシー・マイヤーズ
   チャールズ・シャイアー
撮影 ジョン・リンドレー
音楽 アラン・シルベストリ
出演 スティーブ・マーティン
   ダイアン・キートン
   キンバリー・ウィリアムズ
   キーラン・カルキン
   マーチン・ショート
   B・D・ウォン
   ジョージ・ニューバーン
   ピーター・マイケル・ゴーツ