フォーリング・ダウン(1993年アメリカ)

Falling Down

本作が劇場公開されて、ビデオソフトが発売されて少し経った頃だったと思うのですが、
僕も丁度、映画に興味を持って観始めていた頃に、マイケル・ダグラスのインタビュー記事を読んだ記憶があって、
役者として50歳くらいで脂がノリ始めていた頃でしたが、本作のことを思い入れ深く話していたのを記憶しています。

まぁ・・・普通の感覚で観れば、チョット変な映画であるとは思うのです。
しかし、ストレス社会である現代に於いて、キレるオッサンなんて、もう当たり前の存在だし更年期障害もある。

マイケル・ダグラスは映画プロデューサーとしての目を持っているから尚更のことですが、
ここまでユニークな視点でありながらも、時代の流れを的確に捉えた問題提起性の高い映画って、そう滅多にない。

映画はうだるような暑さのロサンゼルスが舞台で、一人の刑事ブレンダガストの退職日の事件を描いている。
道路工事の渋滞の中、周囲の騒音や環境から受けるストレスが最高潮に達した途端に、一人の中年男がキレる。
彼が渋滞で多くの車が止まる中、突如として車から降りて車を捨てて、「ウチに帰るんだ」と言って現場を走り去る。

映画の中では、彼の名前は“D−フェンス”と呼ばれる。
彼は離婚した妻と愛娘との生活を取り戻すために躍起だったが、どうやら今は実家で母親との二人暮らし。
軍需産業の工場に勤めていたが、1ヵ月前に勤め先を解雇されていて、それでも出勤するフリをしていた・・・。

93年当時、こんなオッサンは実際にいただろうけど、勤め先を解雇されていたのに
家族にはそのことは内緒で、毎朝出勤するフリをしていたなんてことが話題になったのは、もっと後のことだと思う。

ここから“D−フェンス”の行動が制御不能なまでにエスカレートしていくのは、
如何にもジョエル・シューマカーの監督作品っぽい展開なのだけど、本作は結構、先見の明があった作品だと思う。
白いシャツ姿でチョット良いカバンを持って韓国人が経営する小さな店に立ち寄り、元妻と愛娘に電話するために
必要な小銭を手に入れようとしますが、店のオーナーから「両替ダメだ。なんか買え」とあしらわれて、タガが外れます。

そこからは店のオーナーの護身用バットを奪い取っては、店をメチャクチャにして
ご丁寧に一品一品の売価を聞いて、「高すぎる!」とバットでひと暴れ。お釣りで電話できる金額を聞けば、
なんと代金をレジに入れて、お釣りを取って店を出る。脅迫とも解釈できる状況なので犯罪行為ではあるのですが、
単純な強盗とも言い切れない、なんとも微妙な犯罪。しかも、彼は「自分は犯罪者(強盗)ではない!」と言い張る。

ここからの“D−フェンス”の凶行をドキュメントしていくのですが、まるで映画はゲーム感覚だ。
懐かしのRPG(ロール・プレイング・ゲーム)のように、彼の目的地である別れた妻子が暮らす地域へと進んでいく。

空き地で休憩していたら不良たちに絡まれ、挙句の果てに現金を要求されて次第に彼の怒りは頂点に。
平凡な中年サラリーマンにしか見えなかった“D−フェンス”から、まさかの逆襲を受けた不良たちは退散しますが、
今度は武器を持って“D−フェンス”へ復讐するために追い、公衆電話から別れた妻へ電話しているところを襲撃します。

それでも生き残る様子は、まるでターミネーター(笑)。別に特別なパワーを持っているわけでも、
破壊力抜群な攻撃を繰り出すわけでもなく、平然と襲撃を回避して、まるで他人事のように街を闊歩する。

そして次なる彼の立ち寄り場所は、ごくありふれたハンバーガー・ショップ。
僅かにモーニングの提供時間を過ぎたところで、どうしてもモーニング・メニューが食べたいとブチギレた挙句、
銃を店長に見せつけて脅し、「やっぱり気が変わった」とランチ・メニューのハンバーガーへ変えるよう要求、
提供されたハンバーガーはペシャンコでレジの写真と違うと憤慨。でも、やっぱり金を払って店を後にする。

この風変わりな事件に興味を持ち、全ての犯行が同じ犯人である睨んだブレンダガストは、
退職日であるにも関わらず、久しぶりに現場を走り回って、思いのほか早くに“D−フェンス”の行方を突き止めます。

基本は社会派サスペンスとしての体裁を持った作品だとは思うのだけれども、
見方によってはシニカルなコメディとも解釈できるし、あまり前例の無いユニークな作品だと思います。
ジョエル・シューマカーは85年の『セント・エルモス・ファイヤー』で一気に有名になりましたが、正攻法の作品よりも
本作のようにチョット変わったアプローチを見せた作品の方が映えるディレクターだったなぁと思いますね。
(00年代も活躍したディレクターでしたが、残念ながら2020年に他界してしまいました)

主演のマイケル・ダグラスも、これまで歯車が狂った中年オジサンを多くの作品で演じてきましたが、
本作のようなタイプは初めてではないでしょうか。言ってしまえば、彼の中での理想が強過ぎるのでしょうね。
映画の中でも描かれていますが、泣き叫ぶ娘にプレゼントを強要したりと、彼の中の理想からブレることを許せず、
相手に強い態度で出てしまうところがありました。そのせいか、離婚の原因は彼にあったようには見えますね。

一度歯車が狂ってしまった人生を戻すことは容易ではありません。
元々の性格もありますが、融通の利かない“D−フェンス”の行動はエスカレートしていき、
自分自身では犯罪者となっている自覚なしに、ただ別れた妻子に会いに行く上で邪魔者となる者を排除していきます。

彼自身は世直し屋の気分だったのかもしれませんが、冷静に見れば、ただの狂ってしまった犯罪者です。
これは社会病理の一つでもあるような気がしますが、彼のような存在を生み出しかねないアメリカ社会を
自嘲的にシニカルなエッセンスを加えた描いた作品という感じでして、こういう映画が好きな人は結構いるでしょう。

また、同時にこういう映画がハリウッドのプロダクションで作られるということ自体に、ハリウッドの懐の深さを感じます。

アメリカの現代社会に於ける病理に鋭く切れ込んだ作品であるだけに、
どことなく当たり前の光景になりつつある諦めの雰囲気に、喝を入れるようなパンチの効いた作品です。
そうなだけに、本作の企画自体に否定的な意見も出たのではないかと思うのですが、サクッと作ってしまう。
まるで“D−フェンス”のような人間を生み出してしかねない現代社会への警鐘とも言える内容であって、
現実にここまでではないにしろ、ストレスフルで不条理な社会の中で、あらゆる事件が起こっている現実があります。

猛暑や渋滞といった環境条件は文句を言っても仕方ないし、失業に離婚という家庭環境は自業自得な面があり、
この主人公の“D−フェンス”という中年サラリーマンは、元々、人間的に危険な要素を持っていたとは思う。
ただ、”D−フェンス”の帰宅を阻害する形になった要素というのは、どこかそれぞれに問題を抱えている。

全く融通の利かない食料品店のオーナーに、どこからどう見ても空き地だというのに、
不法侵入で通行料を頂こうと言い出す不良の2人組、公園で金をよこせと絡んでくるホームレス、
写真では美味しそうなものを見せておきながら平然とペシャンコなハンバーガーを提供するハンバーガー・ショップ、
“D−フェンス”を勝手に同胞であると信じ込み、一般市民に武器を不法に販売する差別主義者のネオナチ、
明らかに掘り起こす必要がないのに予算消化するためだけに実行され渋滞を生み出す公共道路工事・・・。

その数々が“D−フェンス”の帰宅を阻害する形となり、やり過ぎなくらい暴力に訴えるので、
全く“D−フェンス”の行動は支持できないが、憤慨する気持ちは分かる。しかし、結果として彼は加害者である。

離婚した妻子への近づき方も、完全に犯罪者な近づき方をしてしまっているので、
全くもって支持されることはないと思うが、映画としてはこの“D−フェンス”の狂いっぷりが鮮烈ですらある。
過剰にドラマ性を出そうとせずに、実にアッサリとした決闘シーンにしたクライマックスもお見事な演出である。

個人的にはフレデリック・フォレスト演じるブレンダガストの上司が、なんだかよく分からない描き方で残念だったなぁ。
もっとイヤな存在としてメイン・ストーリーに絡めて欲しかったところだし、「ハッキリ言って、オレは君が好かん」と
昔からの因縁であるかのように匂わせておきながらも、「子どもは元気か?」と無神経なことを聞いてしまって、
「資料が間違えているのか・・・」とブレンダガストのことをよく知らないようなニュアンスでも描くことに、矛盾を感じる。

フレデリック・フォレストも実力派俳優なだけに、もっと生かして欲しかったなぁ・・・。

(上映時間112分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 ジョエル・シューマカー
製作 アーノルド・コペルソン
   ハーシェル・ワイングロッド
   ティモシー・ハリス
脚本 エブ・ロー・スミス
撮影 アンジェイ・バートコウィアク
出演 ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演 マイケル・ダグラス
   ロバート・デュバル
   バーバラ・ハーシー
   レイチェル・ティコティン
   フレデリック・フォレスト
   チューズデー・ウェルド
   ロイン・スミス

1993年度カンヌ国際映画祭パルム・ドール ノミネート