戒厳令(1973年フランス・イタリア合作)

Etat De Siege

69年、故国ギリシアの政治体制を強烈に批判した『Z』で評価された、
コンスタンチン・コスタ=ガブラスが政治と、政府に対抗する勢力の構造を描いた骨太な政治サスペンス。

確かにこの映画は予備知識があった方が楽しめるとは思うけど、
僕は本作の本質的な部分というのは、実際に起きた事件をドキュメントすることではなく、
ある一つの政治問題に対する根本的な解決をみないことの恐ろしさを描いていると考えていますので、
あまりそういった予備知識が本作の醍醐味に影響する因子にはならないのではないかと思っています。

コンスタンチン・コスタ=ガブラスの映像作家としての特徴を
よくご存知の方には分かってもらえるかもしれないけど、この映画はとっても良く出来ている。
彼が最初に世界的に評価された『Z』と比べても、格段に進歩したと言ってもいい素晴らしい出来だ。

何が大きく変わったかというと、本作でも彼は政府のあり方を痛切に批判したわけなのですが、
一方でただ単に民衆の政府抵抗勢力を賛美したわけではなく、政府抵抗勢力の恐ろしさも描いている点である。

そもそもこの映画は1970年に、実際にウルグアイで起こった誘拐事件をモデルにしているわけで、
政情不安定なウルグアイの警察などで活躍するアメリカ人が、政治革命を目指す抵抗勢力に誘拐されます。
抵抗勢力はわずか10年足らずで、ウルグアイの政治に介入するようになり、庶民に目を向けない
自分勝手な支援ばかり続けるアメリカの動向を問題視し、このアメリカ人をターゲットにしたのです。

しかし、ウルグアイの政府は混迷を極め、具体的な政策をまとめる力もありません。
抵抗勢力の要求にも応えることができない政府に苛立ちを覚えた抵抗勢力はアメリカ人の処刑を宣言。
ウルグアイ政府は厳しい対応を迫られることになるのですが、苦渋の選択であったのは抵抗勢力も一緒でした。

勿論、この映画は政情不安定な内政を正そうともせず、
私利私欲のまま政治をオモチャのように操り、窮地にあっては政治的主導力も発揮できず、
結局、アメリカなど諸外国の顔色をうかがいながらしかタクトを振れないウルグアイ政府を痛烈に批判している。
これは言わば、政治が成り立たない状態に等しく、政治構造も腐敗した状態に近いのである。

だからこそ誘拐されたアメリカ人サルヴァトーリ救出にあたって、
具体的な策はなく、マスコミにも適切な情報を発することすらできず、事態は悪化するばかり。
抵抗勢力と交渉することもせず、事件解決に向かった指針などは何一つ無いという無力さである。
ですから、こんな政府に問題解決能力などあるわけがないし、現地警察はアメリカからの信頼はない。
言ってしまえば、どうやったってサルヴァトーリを救出できる要素が見当たらないのです。

そして抵抗勢力も政府の転覆を望んでいますが、
この政府には決断力もなく、自分たちの保身しか考えが回らないので、自主的に総辞職することはありません。

だから色々と政府に要求したところで、それに応える能力がないのです。

じゃあ誰が指揮を執るべきなのか?
この映画はそれに対して答えを出すようなタイプの映画でもありません。
あくまでサスペンス映画ですので、映画も終盤に差し掛かると、次第に牙をむき始めるのです。

それは抵抗勢力の先行きの暗さを象徴させることなのです。
実は彼らは彼らで政府を転覆させる戦略がないため、ここで手詰まりなのです。
もっとも、抵抗活動は立派にやり遂げますが、政治を担うほどのリーダーシップなど見当たりません。
かなり大胆なことを言ってしまうと、自分たちでリーダーになるというほどの野心もおそらくないでしょう。

ですから、処刑案を出し、そのリスクの評価は行いますが、
そのリスクをどう対処し、どう共存するか、或いはどう利用するかというところまで、考えが及びません。
それでは二流、三流の抵抗勢力でしかないのです。ですから、作り手もあまり彼らに肩入れしません。

よって僕は本作を反米映画と評する向きも、どことなく違和感を感じます。

少なくとも本作が反米映画であるなら、こういった抵抗勢力の不安定さは描かないだろうし、
間違いなくラストのあり方を再考しただろう。そう、実は本作、ラストシーンで一気にスリラーへと転身します。

サルヴァトーリがウルグアイの首都モンテヴィデオの空港に降り立つシーンがありましたが、
映画のクライマックスでは、サルヴァトーリの後任となる人物が家族と一緒に、空港に降り立ちます。
そんな彼らを何かを企んでいるかのような目で見る男たちが数人、空港にいるというショットで映画は終わります。
僕はこのラストシーンこそが、本作の本質だろうと思う。勿論、これは事実かどうかは分からない。
しかしながら、これは立派な負の連鎖である。入国した時点で、目を付けられているなんて、まるでホラーだ。

それも金銭目的ではなく、政治的に利用しようとする連中からマークされているわけで、
自分の代わりはウルグアイにはおらず、特定少数のターゲットということになる。

こういった視点というのは、ある程度の客観性が作り手になければ生まれないものなんですよね。
本来的に中立的な政治映画を撮るということは、どういうことなのかを教えてくれる一本と言えますね。

(上映時間119分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 コンスタンチン・コスタ=ガブラス
製作 ジャック・ペラン
脚本 フランコ・ソナリス
    コンスタンチン・コスタ=ガブラス
撮影 ピエール=ウィリアム・グレン
音楽 ミキス・テオドラキス
出演 イヴ・モンタン
    O・E・ハッセ
    レナート・サルヴァトーリ
    ジャック・ペラン
    ジャック・ベベール

1973年度イギリス・アカデミー賞国連賞 受賞