太陽の帝国(1987年アメリカ)
Empire Of The Sun
太平洋戦争末期の上海において、父親の仕事の都合で現地にて裕福な生活を送っていた英国人少年が
侵攻してくる日本軍によって上海が制圧されたことをキッカケに、必死に生き残ろうとする姿を描いた戦争映画。
80年代は商業的にも絶好調だったスピルバーグは、エンターテイメント路線に並行する形で
85年の『カラーパープル』からそれまでは手掛けなかった文芸路線であったり、本作のように戦争を題材にしたり、
89年の『オールウェイズ』のようなロマンスだったり、チャレンジングな作家性を示していましたが、賛否両論でした。
中には失敗したチャレンジもあっただろうが、僕は後々のスピルバーグの監督作品を観るに、
80年代のこのいろんなジャンルの映画に挑戦したこと自体は、決して無駄な経験ではなかったのではないかと思う。
戦場の生々しさを表現した映画ではないので、これまでの戦争映画とは全く毛色が異なりますけど、
僕は01年にスピルバーグが撮った『A.I.』で独特な映像センスで、少々屈折したような感覚を表現してたように
感じられたのですが、その原点はひょっとしたら本作にあったのかなと思いました。少々、場違いとも思えるような
炎や光を映像の中に取り込んでいて、かなり個性的な収容所での日々や混乱を描いていて、とても印象深かった。
さしずめ、『A.I.』のハーレイ・ジュエル・オスメントは本作ではクリスチャン・ベールだし、
ジュード・ロウはジョン・マルコビッチのようなもの。あまり意識して観ていなかったけど、観終わった後に
両作品の親和性の高さのようなものを感じました。そう思うと、映画の世界観も似ていたような気がするから不思議。
これはJ・G・バラードの自伝的な小説の映画化ということもあり、多少なりとも脚色された部分があったにしろ、
少年時代に現地の風景がどう記憶されているのか、ということをスピルバーグなりの解釈を交えて描いたのだろう。
ただ、J・G・バラードはディストピア(反ユートピア)を自身の小説で表現し続けたSF小説家ですからね。
どうやら上海での生活の後、家族で収容所生活を送っていたらしく、べつに親と離れ離れではなかったらしいけど、
それでも自身の収容所での生活から想を得て、この原作を執筆したのだろう。そう思うと、本作自体にSF的な
世界観を交えて映像化すること自体は、決して間違ってはいないだろうし、スピルバーグらしい企画だったと言える。
日本人もキャスティングされていて、大々的なロケ撮影といい、資金力を使った企画だったわけですが、
世評的には失敗作とされてしまっているように思いますが、個人的には今一度見直してもらいたいなぁと思います。
特に蘇州の収容所のデザイン造詣は素晴らしく、戦争映画の様相というよりSF映画のような世界観で印象深い。
それ以前の上海の市街地でのシーンにしても、全景を捉えたショットを多用したりと空間的広がりを意識させます。
これ見よがしに技巧に走ることなく、特撮も適切に使った作品だと思いましたね。ただ、本作の評価が割れたのは、
太平洋戦争という歴史を題材にした映画ということもあり、戦地の現実を見つめたという内容になっていないところかと。
同じスピルバーグの監督作品なら、98年の『プライベート・ライアン』の方が遥かに戦地の現実を描いていたと思う。
それから、部分的には中途半端に終わってしまった感もある。
主人公の少年からすれば、戦争という荒波に飲み込まれて、強制的に親と離れ離れになるという悲劇に見舞われ、
しかも誰の支援を得ることもできずに一人放り出され、仕方なしに生きるための術を身につける本能を働かせる。
ただ、中途半端に終わってしまったところもある。主人公の少年が“大人”になる瞬間を垣間見るところがあって、
収容所生活が長くなり、ジョン・マルコビッチ演じるベイシーがビクター夫人とベッドを共にするシーンを見てしまう。
両親と旧知の中であるビクター夫人と、命を助けてくれたベイシーがそれまで少年が見たことがなかった2人の姿を
目撃することにショックを受けると同時に、少年が性欲を意識して“大人”になることを自覚するエピソードなのですが、
ここはもっとしっかりと描いて、少年が色々な意味で成長する姿を映画の一つのテーマとして前に出して欲しかったなぁ。
当時のスピルバーグとしては描きづらかったのかもしれませんが、
当初予定されていたデビッド・リーンが監督していたとしたら、間違いなくそういったアプローチはなかったでしょうし、
他の戦争映画とまともに比較されてしまい、本作の独自性は出なかったでしょうから、ここは追及して欲しかった。
それから、もう一点。少年が不思議と波長が合ったような日本人の同世代の若者との交流も
少々唐突な感じに見えてしまって、これはスピルバーグの得意技だったと思うので、勿体ない描き方だったと思う。
演じる片岡 孝太郎は今も歌舞伎役者として活躍していますけど、本来的にはもっと重要な役だったはずなんですね。
2時間を大きく超える長編作品だっただけに、こういった一連のエピソードは映画の魅力になり得たはずで
主人公の少年が如何に過酷な時間を経験して、必死に生き残ってきたか、そしてその中で如何に成長したかを
象徴的に描くことで、奪われてしまった両親との貴重な時間の長さをラストに表現したかったはずなのですが、
それが「両親の顔が思い出せない」という少年の一言と、表情だけで描こうとするというのが無理があると感じた。
あれだけワガママし放題に育ったということは、それだけ両親から愛されていたという証拠でもある。
勿論、一般的な子育て論として賛否はあるだろうけど、それでも守られるべき家族を戦争は引き裂く結果となり、
両親の顔を思い出せなくなってしまうほど、少年に過酷な経験をさせてしまうという残酷さが悔やまれるわけで、
そういった戦争の罪深さを、この映画のラストはもっと凝縮して伝えるべきだったと思うのですが、そこが中途半端。
映画の世界観としては、僕はもっと評価されてもいい作品だったのではないかと思っているけど...
一方でスピルバーグが描く戦争映画としては物足りないし、本来的な役割を果たしていないと感じるのは残念でした。
日本人の軍人たちは、日本人キャストを選んでいるのは良かったですね。
最も目立っているのは、ひたすら怖い存在として少々ステレオタイプに描かれる上官を演じた伊武
雅刀ですけど、
終盤にすぐに彼と分かる風貌で登場するガッツ 石松も印象的で、この仕事が『ブラック・レイン』につながったのかも。
何故に主人公の少年が“ゼロ戦”自体に、元々親しみを強く感じていてプラモデルで遊んでいたり、
上海侵攻にあったら、アッサリと現地人よりも日本人に付こうと必死になっていたのかは理由がよく分かりませんが、
これはこれで主人公なりの処世術だったということなのでしょう。普通に考えると、勇気ある行動なんですけどね・・・。
だからこそ、同世代の日本人少年と不思議と波長が合って、お互いに心を通わせるエピソードがあるわけで、
都合よく主人公の少年に元々憧れのようなものがあったという設定ですが、この理由がよく分からないんですよね。
この日本人少年についても、特攻隊としての任を受けて、出撃の儀式を経て戦闘機に乗り込むものの、
整備不良からかエンジンが停止してしまい、出撃できないことに悔しそうな表情をするのが日本軍らしい描写ですが、
それでも終戦を迎えて、もう一度主人公の少年と心を通わせてマンゴーを分けるとは、スピルバーグらしい演出だ。
しかし、そこに無慈悲にも・・・という悲劇を描く残酷さを覗かせるのもスピルバーグらしいが、僕はこれは肯定したい。
だからこそ、この映画は勿体ない部分が幾つかあるのだ。確かにスピルバーグの才気が爆発した作品ではないが、
もっと確実に撮っていれば、素晴らしい出来の映画として劇場公開当時も、もっと称賛されたはずと思うのですよね。
日本軍を若干、美化して描いたと欧米で捉えられたのかもしれないが、それはJ・G・バラードの原作ではどうなのか?
多少なりともイデオロギーによる影響があるのかもしれないが、本作は再評価すべきところはあると思いますね。
ただ、デビューから快進撃を続けてきたスピルバーグでしたから、本作は少々評価されにくい内容だったのかも。
どうしてもそれまでのカリスマ性やエンターテイメント性、目新しさを映像表現することは難しかっただろうし、
第二次世界大戦をアジアの収容所に入れられたという、少々特殊な状況を映画化したのは難しかったことだろう。
まだまだ親の手がかかるような年頃の少年が、一転して自分独りになってしまった途端に
自分自身で食糧を調達しない限り生きていくことができない。慌てて自宅に戻ってくるものの、それまでは味方だった
中国人家政婦が冷淡な態度になっていてビンタまで喰らって、冷蔵庫などに収納されている食材をもとに
自分が食べるものを用意するというのは、生きるための能力を無意識的に発揮するというのが実に興味深い。
僕の中では本作はスピルバーグにとって、一つのターニング・ポイントとなった作品だと思っています。
当時からしても、戦争映画というカテゴリーの中にSF的要素を取り入れたのは、珍しかっただろうと思います。
やっぱり本作はデビッド・リーンではなくって、スピルバーグが監督して正解だったと思うのですよね。
(まぁ・・・デビッド・リーンが監督していたらどうなっていただろう?と、違う意味で興味もあるけど...)
(上映時間152分)
私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点
監督 スティーブン・スピルバーグ
製作 スティーブン・スピルバーグ
キャサリン・ケネディ
フランク・マーシャル
原作 J・G・バラード
脚本 トム・ストッパード
撮影 アレン・ダヴィオー
特撮 ILM
編集 マイケル・カーン
音楽 ジョン・ウィリアムズ
出演 クリスチャン・ベール
ジョン・マルコビッチ
ミランダ・リチャードソン
ナイジェル・ヘイバース
ジョー・パントリアーノ
ベン・スティラー
伊武 雅刀
ガッツ 石松
山田 隆夫
片岡 孝太郎
1987年度アカデミー撮影賞(アレン・ダヴィオー) ノミネート
1987年度アカデミー作曲賞(ジョン・ウィリアムズ) ノミネート
1987年度アカデミー美術賞 ノミネート
1987年度アカデミー音響賞 ノミネート
1987年度アカデミー編集賞(マイケル・カーン) ノミネート
1987年度イギリス・アカデミー賞作曲賞(ジョン・ウィリアムズ) 受賞
1987年度イギリス・アカデミー賞撮影賞 (アレン・ダヴィオー) 受賞
1987年度イギリス・アカデミー賞音響賞 受賞