エリザベスタウン(2005年アメリカ)

Elizabethtown

『ザ・エージェント』、『あの頃ペニー・レインと』、『バニラ・スカイ』と
立て続けにヒット作を連発していた、元音楽ライターのキャメロン・クロウが描く大人のメルヘン。

これは最近のキャメロン・クロウの監督作としては、極めて不完全で戸惑いすら覚える内容だ。
しかし、僕の中での結論から言ってしまうと、色々と思いを巡らせて、これは実に不思議な魅力に溢れた作品と感じた。

劇場公開当時から不評で、当時、ブレイクしたてのオーランド・ブルームに、
『スパイダーマン』のヒロイン役で知られるキルスティン・ダンストというコンビ自体も、かなり賛否が分かれていた。
それくらいに一般的にはシックリ来なかった作品だと思う。僕も本作が不評に至った理由は、よく分かります。
いやはや、まともに観れば、とても良い出来とは思えないですよね。最初っから最後まで、支離滅裂な内容なんで。

おそらくキャメロン・クロウが本作で描きたかったのは、そんな非現実とも言うべき、
支離滅裂なことが起こってしまうくらい、エリザベスタウンという田舎町は不思議な魅力に溢れた町で、
そのエリザベスタウンをまるで死に場所として選んだかのように他界した、仲の良かった父親の足跡を辿り、
大失敗して失意のドン底にいた主人公が、その不思議な魅力と彼に起こる“奇跡”によって、再生することでしょう。

そもそも、いくら靴のデザインで失敗したとは言え、
会社に9億ドルもの損害を発生させるほどの大失敗を、デザイナーの1個人が負うというのも変な話し。
日本的に言えば、それは明らかな経営責任でしょう。しかも、いくらマーケティングがしっかりしていても、
売れるか否かを正確に読むことは困難で、いくら良い企画でもそこまでの損金をだすなら、主人公以外にも
責任を負うべき人物がいるはずで、工場にそれだけ作らせて返品の山を築くというのは、やっぱり経営の責任でしょう。

それをオーランド・ブルーム演じる主人公ドリューが、ずっとメソメソしているものだから、
映画がどうにも湿っぽい雰囲気で始まる。この前提だけで、相当な無理を感じてしまう人も多いでしょう。

でもね、これを言ってしまうと、本作はどうにも始まらないことに気づいた。
それは映画が進むにつれて、どこか宗教的ですら感じさせるくらい、独特なペースで映画が進んでいき、
いつしかエリザベスタウンのゆったりして、大らかな空気に包まれて、とっても温かい映画だなぁと感じた。

主人公ドリューに起こる“奇跡”というのは、キルスティン・ダンスト演じるフライト・アテンダントのクレアとの出会いで、
いくら仕事が暇だからと言って、明らかに静かにしていたい雰囲気のドリューに無理矢理話しかけに行って、
エリザベスタウンへの行き方と、自分の連絡先を渡すなんて、スゴい積極的な押しの強い“逆ナンパ”だ(笑)。
こんなこと、世の男性多しと言えど、人生に1度も起こらずに死んでいく男どもの方が圧倒的大多数なはずだ。

最初っから、キャメロン・クロウは現実的なものを描こうとは思っていないと思う。
これは『ザ・エージェント』の頃からの系譜であり、失敗した者がどう自分を取り戻すのかを描いた作品であり、
本作の場合は、キャメロン・クロウはあくまでメルヘンな仕掛けを作って、そこに恋愛のエッセンスを入れている。

アメリカ南部を舞台にした映画で、音楽好きのキャメロン・クロウということで、
僕は勝手にザ・バンド≠フ楽曲をフィーチャーするのかと思いきや、レイナード・スキナード≠ニは驚いた。

でも、やっぱりレイナード・スキナード≠フ Freebird(フリーバード)は名曲ですね。
映画の後半に、ドリューの父親の葬儀会場で従兄弟がドラムを叩くバンドが演奏するシーンがあって、
演出のために用意した白鳥が燃えてスプリンクラーが作動したり、会場はメチャクチャになってしまい、
映画のシーンとしてもかなりメチャクチャな感じになるのですが、これは大袈裟な言い方をするとカタルシスだ。
飛行機事故という伝説的かつ悲劇的な終わり方をしたレイナード・スキナード≠ヘ愛されているのでしょう。

フライト・アテンダントのクレアがプライバシーに関わることまでズケズケとドリューに押しの一手で聞きまくり、
根負けしたようにドリューもクレアに付き合うのですが、そもそもこれはクレアの公私混同かもしれない(笑)。
言ってしまえば、フライト・アテンダントからの“逆ナンパ”であり、こんなことは現実にはあり得ないのかもしれない。

しかし、それでも敢えてキャメロン・クロウは本作の中で、そんな非現実を描いた気がする。
大人...いや、これは男のロマンなのかもしれない。キルスティン・ダンストが好みかどうかはともかく、
これは大失敗こいた男の再生が始まるスタートとしては、あまりに理想的な環境と言っていいと思う。

それでもドリューはドリューで、どこか空気が読めない男なので、そんなクレアの気持ちに上手く応えられない。
映画の前提として、ドリューは天才的なデザイナーとしての才覚を評価されていたようだが、そんなことを微塵にも
感じさせないくらい、とにかく空気が読めない感じだ。でも、それも含めて徐々に改善されていく姿が、なんとも眩しい。

個人的には主演のオーランド・ブルームはまずまずですが、ヒロインのキルスティン・ダンストも
よく頑張ったと思いますけどね。どこか押しが強いキャラクターなだけに、彼女は難しい役どころだったと思います。
そんなところを、嫌味になるかならないかのギリギリのところで演じている感じで、なかなか上手いところでやっている。

僕なんかもドリューに似ていて、嫌なことがあるとネガティヴなことばかりを考えてしまう性格なので、
この映画で描かれたドリューの思考や、彼が経験する人生の再生の旅というのは、シックリ来るものがあった。

人って、そんなに強い生き物ではないですからね。少なくとも自分はそう。
ナンダカンダで孤独に耐えられないし、確かに人生を台無しにするくらいの失敗をしてしまったら、
ドリューのように素性の分からないフライト・アテンダントと夜通し、携帯の充電が無くなるくらい、電話してしまうかも。
この映画では、明らかにドリューがクレアとの長電話に救われるという展開で、男は孤独に耐えられない証拠。

まぁ、クレアはいわゆる“アゲマン”なのかもしれませんが、上げるか下げるかという議論よりも、
何より「大丈夫」と周囲に取り繕い続けてきたドリューでしたが、中身は全然「大丈夫」ではなかった彼からすると、
クレアと話しをすることで救われ、失敗と向き合う勇気を与えられ、人生をやり直そうという気概を取り戻していきます。
(それでも、最後にメソメソとドリューがクレアに吐露するあたりが、ドリューの性格をよく表しているが・・・)

繰り返しになりますが、この映画はあくまでメルヘンであり、恋愛映画と思って観ると、
本作でキャメロン・クロウがホントに描きたかったことが見えないかもしれません。これは、大きな関門です。
本作の場合は、何を描きたかったのかが見えない、強引な恋愛映画という印象になった人も多いでしょう。

この映画は現実的な内容を求められるとツラいが、ファンタジーだと割り切って観ると、馴染み易い内容と思う。
そして葬儀でエリザベスタウンを訪れるという話しなのですが、暗く湿っぽい話しではなく、明るくコメディっぽい。

キャメロン・クロウの監督作品ですので、音楽のセレクトは相変わらず70年代が勢ぞろいで耳馴染みが良い。
特にエルトン・ジョンは、キャメロン・クロウが音楽ライターだった頃に頻繁に取材していただけあってか、
『あの頃ペニー・レインと』では Tiny Dancer(可愛いダンサー/マキシンに捧ぐ)がフィーチャーされてましたが、
本作ではアメリカ南部の空気感によく馴染む My Father's Gun(父の銃)というマイナーな曲が使われている。
でも、この曲がスゴく良い。映画の雰囲気にピッタリで、亡き父との思い出を総括するような、実に素晴らしい選曲だ。

ちなみにドリューの父も、たまたま故郷に帰郷していたときに亡くなったという設定ですが、
やはり年をとると故郷に帰りたくなるという想いは強くなるのかもしれない。故郷の空気を吸うと、安心するのでしょうね。
ドリューの父が何故にあそこまで故郷で愛されていたのかは分かりませんが、とても暖かい土地なのでしょう。

私も年老いた時に、何を思うのか...と考えると、なんだか人生の儚さを感じちゃいますね。

(上映時間123分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 キャメロン・クロウ
製作 キャメロン・クロウ
   トム・クルーズ
   ポーラ・ワグナー
脚本 キャメロン・クロウ
撮影 ジョン・トール
衣装 ナンシー・スタイナー
編集 デビッド・モリッツ
音楽 ナンシー・ウィルソン
出演 オーランド・ブルーム
   キルスティン・ダンスト
   スーザン・サランドン
   アレック・ボールドウィン
   ブルース・マッギル
   ジュディ・グリア
   ジェシカ・ピール
   ポール・シュナイダー
   ゲイラード・サーティン