エド・ウッド(1994年アメリカ)

Ed Wood

往年のホラー映画のスターで、晩年は薬物中毒に苦しんだ、
ベラ・ルゴシの協力をとりつけて、なんとか自身が撮りたいと信念を燃やしていた、
映画を撮影し劇場公開に取りつけるも、ことごとく映画が不評に陥るエド・ウッドの姿を描く伝記映画。

もっとも、エド・ウッドは78年に若くして他界しているのですが、
死後、80年代に入って再評価されるまで“史上最低の映画監督”として業界では有名でした。

確かに“キワもの”と言われる、謎のジャンルの映画を中心に撮って、
晩年はポルノ映画ばかりに転じていただけでなく、私生活でも女装が好きだということが、
当時の業界人の評判を不当なほどに下げたというのが、実のところなのかもしれません。

映像作家というより、職業として映画を撮るという感覚に近く、
当時としても考えられないペースで、一日の撮影量をこなしていて、ベラ・ルゴシも圧倒されていたようですが、
残念ながら映画監督としての手腕はそこまで高くはなかったのか、今で言う、B級映画ばかりでした。

53年に撮った『グレンとグレンダ』が自身の女装癖をそのまま映画化した、
自伝的な内容の映画で、これはエド・ウッドの存在自体が評価されたときに再注目された映画で、
エドの女装癖がメインのせいか、彼の主義主張が全面に出ている映画となっていて、
今となっては女装趣味という、セクシャル・マイノリティを示す映画として、先駆性はあったのかもしれません。

但し、本作でも描かれていますが、
本来は写真家のジョーゲンセンが、性同一性障害に悩み、性転換手術を受けたことから想を得て、
しがないハリウッドのプロデューサーが製作権を持っていて、オフィスに売り込んできたエドに
映画製作を託したことで映画化が実現しており、そもそものコンセプトは違うものであったようです。

映画の主演に適した俳優が見つからないという理由で、
勢い余ってエド自身が主演して、女装姿も披露していることから、
映画を撮りたいという気持ちはあったのでしょうが、途中からは彼自身の私生活で女装癖を
認めてもらえない苦悩をクロスオーヴァーさせたかのように、映画の主題が変わっていったようです。

この辺は、エドが映画監督として一貫性を持てなかったところなのか、
セクシャル・マイノリティを批判する向きの強かった当時からすると、エドは早過ぎた映画監督だったのかもしれません。

こういう部分があったからこそ、ティム・バートンやジョン・ウォーターズなど、
“史上最低の映画監督”とされ、凄い出来の映画である大傑作があるわけでもないエドの
フォロワーでありファンであると公言する後進の映画監督が誕生してきたのでしょうね。

本作はティム・バートンにとって、大きなターニング・ポイントとなる作品となりました。
個人的にはそこまで本作からティム・バートンの個性が強く感じられないせいか、
どこか肩透かしというか、ティム・バートンの優等生的な部分が出た作品のように思えますが、
ベラ・ルゴシを演じたベテラン俳優マーチン・ランドーにここまでの芝居を引き出させたというのは、凄いと思います。

ただ、驚くほどにオーソドックスな伝記映画であって、“飛び道具”がある映画ではない。

ここはティム・バートンらしくないと言えば、それは否定できませんが、
彼なりのカラーを打ち消してでも、伝記映画を撮ったというのは、ティム・バートンなりのリスペクトでしょう。
強いて言えば、ジョニー・デップに女装姿を演じさせるというところにティム・バートンらしさがないわけでもないですけど、
オーソドックスな伝記映画に仕上げた結果、ティム・バートンの新たな境地が開けた感じがしますね。

個人的には、映画の中で描かれる映画界はどこか甘さを感じずにはいられないので、
そこまで好きな映画というわけではないのですが、エドのようなカルトな存在にスポットライトを当てて、
エドをメインストリームで語ることこそ、ティム・バートンの目的であったのかもしれません。
そういう意味では、ティム・バートンにとっても大きな意味を持つ作品であることは否定できません。

実在のエドのことは分かりませんけど、
映画で描かれる限り、エドは映画を強く愛しているわけで、自分の監督作品にも強い自信を持っていたようです。
劇場公開されるたびに彼は観客の喝采を心待ちにしているかのような表情で、ワクワクしていたはずです。
このエドの自信と、大衆の評価に大きなズレはあったのは否定できず、彼が生きている間はエドの評価は
上がらずに、結局は“史上最低の映画監督”として一向に評価されることはなかったというのが皮肉ですね。

劇中、エドが憧れの存在であったオーソン・ウェルズから、
有難い言葉をもらうシーンがありますが、残念ながらオーソン・ウェルズのような手腕は無かったんですね。
そういう意味で、やはりエドの才覚は主流ではなく、あくまでカルトな存在で発揮されるということだったのでしょう。

その運命的な皮肉を、ティム・バートンは描きたかったのでしょうけど、
おそらく、それでも自信満々に映画を公開するエドを、愛らしく感じているのでしょうね。

このエドの自信と、世評の低さがミスマッチなのが悲しいのですが、
そんな世間一般の感覚からズレたところがあったことは否定できませんからねぇ。それがエドの感性。
だからこそ後年、エドはカルトな映画監督として、根強い人気を誇ったわけで、それはそれで彼は認められたわけです。

但し、こういう言い方をすると言葉が悪いが・・・
“史上最低の映画監督”と言われたエドを描いた伝記映画としては、本作は出来過ぎた評価かもしれない。
いや、勿論...ティム・バートンは実に手堅い、良い仕事をしているとは思うが、あくまでエドを描いた作品なら、
良い意味で、“史上最低の映画監督”を描いた破天荒で、メチャクチャな映画であって欲しかった。
この映画はあまりに生真面目過ぎて、まるでティム・バートンらしさの感じられない正攻法の作品だった。

この反動が、96年の『マーズ・アタック!』だったのかもしれませんが、
『マーズ・アタック!』でメチャクチャやるなら、是非とも本作でもっとティム・バートンの個性を炸裂させて欲しかった。

往年のホラー映画の得体の知れない恐怖心をイメージさせるように、
本作は全編白黒映像ですが、エドが嬉々として撮るホラー映画とリンクするシーンよりも、
ベラ・ルゴシが自宅の玄関前で映る、生前最後のフィルムとなったシーンが、何よりも素晴らしい。
あのシーンの、何とも言えない寂しさこそが、本作を白黒フィルムで撮影したことの“成果”だったのかもしれない。

(上映時間126分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 ティム・バートン
製作 デニーズ・ディ・ノヴィ
   ティム・バートン
脚本 スコット・アレクサンダー
   ラリー・カラゼウスキー
撮影 ステファン・チャプスキー
音楽 ハワード・ショア
出演 ジョニー・デップ
   マーチン・ランドー
   サラ・ジェシカ・パーカー
   パトリシア・アークエット
   ジェフリー・ジョーンズ
   G・D・スプラドリン
   ビンセント・ドノフリオ
   ビル・マーレー
   リサ・マリー
   マックス・カセラ
   メローラ・ウォルターズ

1994年度アカデミー助演男優賞(マーチン・ランドー) 受賞
1994年度アカデミーメイクアップ賞 受賞
1994年度全米映画俳優組合賞助演男優賞(マーチン・ランドー) 受賞
1994年度全米映画批評家協会賞助演男優賞(マーチン・ランドー) 受賞
1994年度全米映画批評家協会賞撮影賞(ステファン・チャプスキー) 受賞
1994年度ニューヨーク映画批評家協会賞助演男優賞(マーチン・ランドー) 受賞
1994年度ニューヨーク映画批評家協会賞撮影賞(ステファン・チャプスキー) 受賞
1994年度ロサンゼルス映画批評家協会賞助演男優賞(マーチン・ランドー) 受賞
1994年度ロサンゼルス映画批評家協会賞撮影賞(ステファン・チャプスキー) 受賞
1994年度ロサンゼルス映画批評家協会賞音楽賞(ハワード・ショア) 受賞
1994年度ボストン映画批評家協会賞助演男優賞(マーチン・ランドー) 受賞
1994年度ボストン映画批評家協会賞撮影賞(ステファン・チャプスキー) 受賞
1994年度シカゴ映画批評家協会賞助演男優賞(マーチン・ランドー) 受賞
1994年度カンザス・シティ映画批評家協会賞助演男優賞(マーチン・ランドー) 受賞
1994年度サウス・イースタン映画批評家協会賞助演男優賞(マーチン・ランドー) 受賞
1994年度ロンドン映画批評家協会賞主演男優賞(ジョニー・デップ) 受賞
1994年度ゴールデン・グローブ賞助演男優賞(マーチン・ランドー) 受賞