イーグル・アイ(2008年アメリカ)

Eagle Eye

これは作り手が、ほぼ細かなことを説明しないで、
いきなり事件が始まって、ドンドン進行していく“巻き込まれ型サスペンス”としては秀作ですね。

ドリームワークス配給の作品ですので、個人的な決めつけもあって、
あまり期待していなかったのですが、僕の事前の期待を大きく上回る面白さで嬉しい誤算でした。
これは及第点以上のエンターテイメントとして、そこそこ期待して良いレヴェルの作品ではないでしょうか。

映画は“イーグル・アイ”と呼ばれる合衆国政府が開発した人工知能を使って、
テロ組織の主犯とされる人物の殺害を指令するところから始まります。人工知能では確率51%と示されていましたが、
合衆国大統領は野放しにすると国家の危機に瀕するということで、リスクを承知で暗殺を指示したことから始まります。

そこから“イーグル・アイ”に関わっていたと思わる若い軍の関係者が
交通事故で死んだことをキッカケに、似ている弟に突然大金が舞い込み、テロを起こす道具が自宅に送り込まれる。

同時に、シングルマザーが合宿に送り出した子供を人質に取られ、
何者かに脅迫され、仕方なく指令されがままに行動せざるをえない状況に追いやられます。

映画はこの2人が謎の指令者の指定に従って、次々と襲いかかるピンチを回避しつつ、
FBIからも追われながら、指令者があらゆる通信機器を操作することで、反撃もしてくれることから
2人が逃げ延び、FBIにとっても大きな脅威となる攻防を描いた息つく間もないサスペンス・アクションです。

監督のD・J・カルーソーと、主演のシャイア・ラブーフは『ディスタービア』でコンビを組んでおりますが、
さすがにシャイア・ラブーフが私生活でトラブルを起こしまくったせいか、最近は一緒に仕事していないようです。

映画はそこまでヒットしなかったのですが、僕が観た印象としては、もっと評価されても良かったと思いますね。
スピルバーグが製作総指揮ということもあって、当然、アドバイスはあったのだろうと思いますが、
観客が詳細が分からないまま進んでいくサスペンス映画ということで、下手をすると映画が崩れてしまうのですが、
実に上手い具合に明かしながら、そして不親切にならない程度に不透明にしながら、上手く進めていきます。
次々と主人公たちに襲いかかるピンチの連続も、良い塩梅に派手な演出が散りばめられていて、良い構成だ。

劇場公開当時からよく言われていたように、
本作の難点は、映画のラストシーンにあるミシェル・モナハンがシャイア・ラブーフの頬にキスするシーンだろう(笑)。
いや、あれは何故か...生々しく見えるというか、悪い意味で映画の最後に際立ってしまいましたね。
映画の作り手も、この編集は気にならなかったのだろうか? 明らかにバランスを欠いたシーンになりましたね。

まぁ、この映画の場合は、無理にシャイア・ラブーフとミシェル・モナハンの2人に
ロマンスの香りを漂わせなくっても良かったと思うんですよね。正直、あまり合っていなかったと思います。
調べたら、失礼な言い方ですが、実年齢も10歳くらい違うようで、ピンチを共有してお互いに意識し合うというのも、
少々無理があるように感じられて、シングルマザーという設定も活きていないようで、説得力が無いのが残念。

映画は言わば、人工知能である“イーグル・アイ”の暴走を描いているわけですが、
確かに次から次へとピンチが訪れても、自動的に制御してくれるなら、まったくピンチではないわけで、
あの発想は面白いですね。追うFBI捜査官を演じたビリー・ボブ・ソーントンも、なんだか可哀想(苦笑)。

映画で描かれていた通り、現代社会も情報通信手段の充実化により、
OS(オペレーション・システム)、GPSなど電波を発信するものによって、ホストで監視され制御できるようになり、
やろうと思えば、ホストの思うがままに人間の行動を操れるということになっているのが怖いですね。
これは形を変えた『2001年宇宙の旅』だとしか思えず、やはりキューブリックはスゴかったですね(笑)。

今は本作の製作から約13年経っていますが、技術的にはそう大きくは変わっておらず、
そう考えると、おそらくこの先20年で、もう一段階、情報化社会のあり方も進んでいくでしょうね。

そう考えると、信号や各種セキュリティ・システムをホスト・コンピューターが制御し、
次から次へと思い通りに人間を行動させ、面白いように操るというのが、既に現実化してそうですね。
D・J・カルーソーの演出も緊張感を維持させるような間髪入れない構成で、上手くこの設定を使えていたと思います。

ただ、“イーグル・アイ”の暴走理由も理解できなくはないけど、
中止勧告を聞かずに行動したことに対する抗議とも解釈できる“イーグル・アイ”の主張に無理がある。
あくまでコンピューターですので、ここまで政治的、と言うか情緒的な理由で行動にでるというのも論理的ではない。
少なくとも51%の一致率と示したわけですので、数理的判断からすれば間違いとは言えないはずです。

コンピューターがまるで意思を持って行動しているように見える恐怖というのは分かりますが、
それでも行動の発端となる部分は、もっと論理的な破綻は無いように描かなければ、違和感は拭えないと思います。

この映画の内容であれば、結局、“イーグル・アイ”の暴走を操作していたのは、
政治的思想の異なる人間であったという帰結であっても、何もおかしくはないと思いますし、
やはりコンピューターもプログラムするのは人間ですし、オペレートするのも人間ですからね。

どちらかと言えば、管理者側(人間)の暴走として描いた方が、良かったように思います。

突然、全く知らないテロリストとの関係を疑われてFBIに追われる男と、
自分の命以上に大切にしている息子を人質に取られ動揺しつつも、考える間もなく指令に従うシングルマザー。
それまでは全く面識がない2人が、お互いに協力し合わなければ解決しない様子は、なんとももどかしい。
この映画はそういったもどかしさを上手く利用していて、2人も状況を理解する余裕すら無いまま“巻き込まれる”。

この余裕や考える余地を与えないというのは、観客にとっても同様で、
観客に余計な情報を与えずに、ただただ見せ場を映画の前半から連続させるという
スピルバーグのプロダクションだからこそ出来た芸当で、そこそこの予算もついた企画だったのでしょうね。

考える余地がない分だけ、街の電光掲示板などで次々と主人公らに指令を出すかのように
生き延びるためのヒントを出して誘導していくという発想も面白く、それらを即座に出していくことで、
その指令を信じてよいか、どうかも考える余地がなく、まるでゲーム感覚で進んでいくのが面白い。
こういうのを観ると、作り手はとにかく映画のスピード感損なわないようにを意識していたのかもしれませんね。

欲を言えば、“イーグル・アイ”の考えていることが徐々に見えてきて、
大統領が大きな会場で演説するシーンのクライマックスに向かっていくのですが、ここは盛り上がりに欠けたかな。
それまでは次々と見せ場を連続させていただけに、クライマックスのシーンをそれら以上にできなかったのが残念。

D・J・カルーソーも映画全体の構成を意識はしていたと思うのですが、
特に映画の後半にある、“イーグル・アイ”が次々と指令を出して、主人公を逃げさせるために
FBIらの追跡を潰しにかかるシーンで見せた、トンネル内でのチェイス・シーンがインパクト強過ぎましたね。

結果的に、あれが映画のハイライトになってしまい、クライマックスが弱くなってしまいました。

(上映時間118分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 D・J・カルーソー
製作 アレックス・カーツマン
   ロベルト・オーチー
   パトリック・クローリー
原案 ダン・マクダーモット
脚本 ダン・マクダーモット
   ジョン・グレン
   トラビス・アダム・ライト
   ヒラリー・サイツ
撮影 ダリウス・ウォルスキー
編集 ジム・ペイジ
音楽 ブライアン・タイラー
出演 シャイア・ラブーフ
   ミシェル・モナハン
   ロザリオ・ドーソン
   マイケル・チクリス
   ビリー・ボブ・ソーントン
   アンソニー・マッキー
   イーサン・エンブリー