ドラッグストア・カウボーイ(1989年アメリカ)

Drugstore Cowboy

ガス・ヴァン・サントの演出は申し分ないくらい完成されているのですが、
いざメガホンを取って出来上がった映画の本編が、そこまで面白く魅力的なものではなかった。

何とも不思議な気分にさせられる作品だったのですが、
80年代から見た70年代というか、決して時代の波には流されないように生きている、
現代にはあまりいない、芯の通ったドラッグ・ジャンキーの男を描いた青春ドラマですね。

後にハリウッドでも地位を築き上げたガス・ヴァン・サントですから、
その実力の高さは折り紙付きの定評ですが、主人公の行動と言動がどこか支離滅裂に見えてしまうのが残念で、
確かに主人公はドラッグ・ジャンキーなんだから、支離滅裂で当然という意見もあるだろうが、
もの凄く強い信仰の気持ちがあるからこそ、ジンクスを信じ尊重した行動をとり続けているのであれば、
やはり主人公の信仰の強さについては、もっとしっかりと言及すべきだったでしょう。

結果的にこれが映画の最後の最後まで、悪い影響を及ぼしてしまったようで、
何故自らが使用するために、薬局や病院に押し入ってまでドラッグを盗んでいたにも関わらず、
チョットしたジンクスから、トラブルに巻き込まれた結果、願いが叶ったら離脱プログラムを受けるなんて、
何故にそうも簡単に改心してしまうのか、その理由をハッキリと映画の中で描いて欲しかったですね。

80年代後半の青春映画の一つとして、今では半ばカルト的な作品として、
愛されていますが、個人的には時代を代表する一作としては、映画が持つ影響力はそこまで強くないと思います。

何故か映画の終盤で、ドラッグ中毒に苦しむ神父として、
作家のウィリアム・S・バロウズが出演しているのですが、これはとっても貴重な映像だろう。
確かに過去に何本か映画出演しているのですが、彼は実生活でも晩年はヘロイン中毒だったらしく、
まるで実のバロウズ本人が被るようなキャラクターで、重要な役どころで出演しているのが印象的だ。
残念ながらバロウズは97年に他界しますが、その際はメタドン治療を受けている最中だったようです。

タイトルにもなっているように、主人公たちはドラッグを入手する方法として、
彼らのホームタウンである、ポートランドの市街地にある薬局をいろんな手法で襲いに行きますが、
これは実際に本作の原作者であるジェームズ・フォーゲルが70年代から繰り返していたことらしく、
21世紀に入っても薬物中毒を克服することができず、ドラッグストアの強盗で複数回逮捕されている。

ある意味で呆れた作家なのですが、70歳過ぎても、そんなことをやっているというから、
おそらく更生する気などサラサラ無いのでしょう。本作の印税はかなりあったとおもうのですが。。。

とは言え、本作で描かれたドラッグ中毒患者の日常と、彼らがどう見えているのか、
そして、どうやって破滅に向って行ってしまうのかを克明に描いた点では価値があると思います。
映画の冒頭で主人公の台詞にもあるように、「いつか負けることは、ずっと分かっていた」というように、
中には破滅することを分かっていて、それをそのまま受け入れようとする中毒患者もいるということなのかも。

そして強い信仰があり、様々なジンクスについて雄弁に語るように、
日本流に言う“ゲン”を担ぐことを尊重するがゆえに、ジャンキー仲間とも軋轢を生みながら、
いざ実際に悪運が呼び込まれると、その“ゲン”には勝てないのか、突然にクスリを止めると改心する。

前述したように、僕にはどうしてもここが分かりません。
原作がどうなっているかは知りませんが、映画の中でここだけがしっかりと描けていないところ。
言い換えると、筋の通っていない状態のように感じられてしまい、最後まで映画が訴求しない要因となっています。

もう一つ言うと、これはクライマックスにある種の余韻を残したいことは、
ガス・ヴァン・サントのアプローチからして、すぐに分かることなのですが、その余韻もあまり残りません。

それはどうしても主人公の信仰の強さについて、悪い意味で曖昧に描いてしまったがゆえだと思います。
ここをしっかりと描けていれば、映画はもっと説得力を帯びたと思うし、性急な内容には見えなかったでしょう。
正直言って、この手の映画で性急な内容に映ってしまうことは、ほぼ致命的なミステイクと言ってもいいと思う。

そういう意味では、どんなことがあっても動じずに、状況に応じてクスリが手に入る方向へと、
転じていくことを全く躊躇しない主人公の妻を演じたケリー・リンチの方が、ずっと芯が通っている。
彼女に至っては、メタドン治療に入ると故郷に戻った夫と婚姻関係にありながらも、
それまで手下として使っていた男の情婦と化しながらも、薬局強盗を続けてクスリをゲットし続け、
何食わぬ顔で主人公の前に現れて、メタドン治療中の主人公にクスリを堂々と手渡しするのだから、
言葉の使い方は悪いけど、肝の座った一貫性のあるキャラクターとして描かれているのには感心させられます。

だからこそ、主人公の描き方については悔やまれます。
むしろ映画として、主人公の描き方こそ間違えちゃいけないところでしたね。ここはホントに大切にして欲しかった。

ドラッグと社会の関わりという意味では、おそらくアメリカは70年代の方が影響力が強く、
80年代に入ると、また違った社会情勢になっていたでしょうから、本作が逆に新鮮に映ったところはあるでしょうね。
80年代はHIV感染リスクが大きな社会的懸念としてクローズアップされた頃なので、本作のように無防備に
ドラッグを摂取するという感覚が、完全に“過去の遺物”であったのでしょう。少し懐古趣味な感じなところがある。

今でも評判の良い映画であったがゆえに、個人的にはもっと高いところに
期待値があった映画だったのですが、僕の中ではそこまでの映画ではなかったというのが本音。

決してつまらない映画ではないのですが、もっと魅力的な映画にできたと思えるだけに残念。
それは決定的に主人公の描き方でしょう。演じたマット・ディロンが良かっただけに勿体ない。
ガス・ヴァン・サントの力量を考えれば、本作の時点でももっと上手く出来た作品でしょう。

そして最後に一つ、大きな疑問が残るのは、
主人公が救急車搬送されるシーンでは、明らかに記憶と意識をハッキリと持っているという点だ。
ここでどうしても解せないのは、何故、致命傷を与えるほどの惨劇にはならなかったのか、という点だ。

正直言って、色々と辻褄が合わない部分があるが、
それらが映画に対して、あまり良い方向に機能していないのが、足を引っ張っている気がする。

(上映時間101分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 ガス・ヴァン・サント
製作 ニック・ウェクスラー
   カレン・マーフィ
原作 ジェームズ・フォーゲル
脚本 ガス・ヴァン・サント
   ダニエル・ヨスト
撮影 ロバート・イェーマン
音楽 エリオット・ゴールデンサール
出演 マット・ディロン
   ケリー・リンチ
   ジェームズ・レグロス
   ジェームズ・レマー
   ヘザー・グレアム
   ウィリアム・S・バロウズ
   ジョン・ケリー
   マックス・パーリック
   ビア・リチャーズ

1989年度全米映画批評家協会賞作品賞 受賞
1989年度全米映画批評家協会賞監督賞(ガス・ヴァン・サント) 受賞
1989年度全米映画批評家協会賞脚本賞(ガス・ヴァン・サント、ダニエル・ヨスト) 受賞
1989年度ニューヨーク映画批評家協会賞脚本賞(ガス・ヴァン・サント、ダニエル・ヨスト) 受賞
1989年度ロサンゼルス映画批評家協会賞脚本賞(ガス・ヴァン・サント、ダニエル・ヨスト) 受賞
1989年度インディペンデント・スピリット賞主演男優賞(マット・ディロン) 受賞
1989年度インディペンデント・スピリット賞助演男優賞(マックス・パーリック) 受賞
1989年度インディペンデント・スピリット賞脚本賞(ガス・ヴァン・サント、ダニエル・ヨスト) 受賞
1989年度インディペンデント・スピリット賞撮影賞(ロバート・イェーマン) 受賞