博士の異常な愛情(1964年イギリス・アメリカ合作)

または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか

Dr.Strangelove/Or How I Learned To Stop Worring And Love The Bomb

これは僕の中では、キューブリックの監督作品としてはベストな出来だと思っています。

本作は当時のタイムリーな話題であったキューバ危機をモチーフに、
一人のアメリカ空軍司令官が精神を病み、勝手にソ連へ核攻撃を仕掛けることで人類滅亡の危機に至るまで、
司令官が暴走する現場と、ホワイトハウス、そして指令が下った爆撃機の様子を描いた強烈なブラック・コメディです。

冒頭で「これはあくまでフィクションなので、現実には起こり得ないことを保証する」と
テロップが流されてから映画が始まりますが、個人的には当時の指令体系なら起こり得たのではないかとも思えた。
と言うのも、ホントにヤバい作戦を決行する場合は、指令が下った部隊には一切の通信手段を絶って、
作戦を確実に遂行できるようにマインド・コントロールも含めた、強い統制はあった可能性は否定できないと思う。

言わずと知れたピーター・セラーズが一人三役の怪演で、この映画を支える大活躍ですが、
ホントに三者三様と言えるくらい、変幻自在なキャラクターを見事に使い分けていて、事前情報がないと
ピーター・セラーズが一人三役を演じているなんて気付かないだろう。それくらい、スゴい仕事ぶりだと思います。

一人は、映画の原題にもなっているドイツから亡命したマッド・サイエンティストのような
立ち振る舞いを見せる“ドクター・ストレンジラヴ”ですが、彼は合衆国政府から科学者という立場からの
意見を求められて最高作戦指令室という機密な場に招かれたわけですが、それでも長く生活し崇拝してきた、
ナチス・ドイツへの本能的に染み着いた忠誠心からか、抑え切れないヒトラー崇拝が強烈に出るのが面白い。

もし、地上で壮絶な核戦争が起きた場合は、生き残る人々の一部を地下室のシェルターに避難させて、
男の勝手な理論を展開するのも面白くって、その興奮を自分で抑えらえなくなり、思わず車椅子から立ち上がり、
デカい声で「総統! 私は立てます!!」と絶叫して、映画は We'll Meet Again(また逢いましょう)が流れて終わる。

もう一人は、映画の序盤から登場してきますが、米空軍に英国から派遣されたマンドレイク大佐は
行き過ぎた反共思想から爆撃機に、核攻撃を指令するリッパー准将の行動に疑問を持ち、リッパーの一方的な
主張を聞きながらも、穏やかに作戦の中止を主張するキャラクターであり、『ピンクパンサー』のクルーゾーのよう。

但し、本作のピーター・セラーズは徹底してスラップスティックなギャグを繰り出すわけではなく、
シュールな笑いに徹している。なので、ド派手に笑わせてくれるというよりも、思わずニヤリとさせられる感じだ。
このマンドレイク大佐も急いでホワイトハウスに公衆電話から連絡しようとするものの、やれ小銭がないだの、
やれコレクトコールでかけてくれだのと、どうでもいいことで脱線しまくり、無駄な時間を費やすギャグのも面白い。

もう一人は、リッパーの暴走を知りホワイトハウスで緊急会議を開く合衆国大統領のマフリー。
この大統領、冷静沈着な感じで常識的な判断を下す堅物っぽいけど、ピーター・セラーズが演じるとどこか可笑しい。

超がつくほどタカ派な発言を繰り返すタージドソン将軍の高圧的な意見を展開するのに対し、
真顔で反論していくあたりはマジメな性格なのだろうと思うんだけど、ソ連のディミトリ首相に電話して、
必死に冷静に対処するように説得するのですが、随分とフランクに親しげにソ連の首相と話しているのが可笑しい。
どうやら、マフリー大統領をマジメな人物として演じて欲しかったのはキューブリックだったらしいのですが、
どことなくピーター・セラーズがギャグを入れようとしているかのようで、撮影現場でせめぎ合っていたのかもしれない。

個人的には国のトップ同士の電話会談って、中にはフレンドリーなものもあるのだろうけど、
形式的というか、儀礼的な挨拶と大局的な話ししかしないのではないかと勝手に思っているのですが、
敵対する関係のように思えるアメリカとソ連のトップ同士がフランクに会話する関係だったというのは、なんとも妙。
ましてや本作が製作された当時は、思いっ切り米ソ冷戦による核戦争の緊張が高まっていた時期ですからねぇ。

このマフリーがペンタゴンに関係者を招集して、緊急会議を開いてリッパーが蒔いたタネをどう回収するかを
相談するわけなのですが、この会議もタージドソンのような極端な意見を出して、声が大きい奴がいるせいか、
本論に入っても次から次へと議論が脱線していくのが何とも絶妙で、キューブリックなりのユーモアを感じさせる。

ちなみにタージドソンを演じたジョージ・C・スコットは、如何にも彼らしいキャラクター造詣で嬉しくなっちゃう。
彼自身が頑固オヤジみたいなところがありつつ、映画賞のような俗な祭典を嫌っていた印象が強いのですが、
あまりにタカ派な人間を演じるのが上手過ぎてビックリする。全く理論武装されていないので、ハッキリ言って、
彼の主義主張が周囲から黙殺されている部分もあるのですが、彼がいたからペンタゴンのシーンは面白くなったと思う。

僕の中では“ドクター・ストレンジラヴ”は、ヒトラーへの敬愛を示す右腕を伸ばす行動を
どうしても反射的に止められない病いと闘っているという部分だけが目立っちゃって、他に光るものは無かったし、
地味なマフリー大統領とソ連大使、ソ連首相との電話会談だけで映画を構成するには、さすがに無理があったと思うし。

原作はピーター・ジョージの『破滅への二時間』とのことで、この原作はシリアスな内容らしい。
ところがキューブリックは、原作者のピーター・ジョージらと映画化へ向けた脚本を執筆している最中に、
この内容を完全にコメディにしてしまおうと思いついたようで、このアイデアは映画をより独創的なものにしましたね。

そういう発想を具現化するにあたって、ピーター・セラーズというキャスティングは正にうってつけだったのだろう。

少々、不謹慎なことを笑いに変えたような映画とも解釈できるので、賛否はあるでしょう。
しかもキューブリックの個性が生きた映画というよりも、ピーター・セラーズの独壇場のような内容に見えて、
キューブリックのファンの中には、不満に思える部分があるのかもしれない。しかし、僕はそれでも傑作だと思います。
そもそもが、当時の時代性から言っても、このような風刺映画を製作し劇場公開すること自体、勇気のいることだ。

それでも、さり気なく僕にはキューブリックの個性が反映されているような気がして、それはそれで嬉しい。
映画のオープニングで長々と戦闘機の空中給油のシーンが映されている。本作のために撮影されたのか、
僕にはよく分かりませんが、この空中給油の光景をしつこいくらい見せられると、なんとも卑猥なものに見えてくる(笑)。
それだけでなく、投下する核爆弾と共に落下してしまう事故のシーンにしても、馬乗りのようにまたがったまま
まるでロデオのように落下していくというのも、現実的にはありえないので、敢えてこの構図で撮ったように思う。
これらはキューブリックなりに、何かしらの意図があって、こういう構図でシーン撮影したように見えてならないのです。

真相はともかくとしても、当時のキューブリックは単なる風刺映画以上のものを撮りたかったのだろうし、
その表現手法はラストシーンを観ても分かる通り、実に示唆に富んだ方法が採られ、不気味な生命力を宿している。

60年の『スパルタカス』で高い評価を得たキューブリックは、ハリウッド資本の支援を得ながらも、
活動の場をイギリスに移し、本作をはじめとする映画史に残る作品を発表し続け、巨匠と言われる存在になりました。
もっとも、キューブリック自身がそんなポジションを望んではいなかったのだろうけど、本作を観ても分かりますが、
60年代前半の映画界でここまでの独自性を持った映画作りを行っていたディクレターは、ほとんどいません。

それゆえ、世界の映画監督を見渡しても他にはいない唯一無二の存在として、称えられたのでしょう。

色々な意見はあると思うのですが、個人的には本作がキューブリックの監督作品として最高傑作だと思います。
最後に核戦争を連想させながら流れる、ヴェラ・リンの We'll Meet Again(また会いましょう)を使うセンスも素晴らしい。
人間の暴走が織り成す核戦争を、まるでチョット突き放した視点から描くあたりがキューブリックらしいところですね。

実は本作、お蔵入りになったラストシーンがあるそうで、それはペンタゴンでソ連大使が
会議室を盗撮したことに気付き、ソ連大使に何故か用意されていたパイが投げつけられ、いつしか“パイ投げ合戦”に
なるという支離滅裂なラストだったそうで、これはラッシュ(試写)のときに不評だったためにカットされたそうだ。
しかし、個人的にはそれくらい振り切ったラストというのも、キューブリックらしい仕掛けで観てみたかったですね。

64年の『未知への飛行』も素晴らしい作品で、本作との類似性が指摘されてはいますが、
シリアス一辺倒だった『未知への飛行』に対して、本作はあくまでブラック・コメディなので全く違う毛色の作品です。

そういう意味では、お互いに対比して鑑賞するのも面白いと思いますが、
僕の中では突き抜けた面白さという意味で、本作のカリスマ性を推したいところではあるのですがねぇ・・・。

(上映時間94分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 スタンリー・キューブリック
製作 ビクター・リンドン
原作 ピーター・ジョージ
脚本 スタンリー・キューブリック
   ピーター・ジョージ
   テリー・サザーン
撮影 ギルバート・テイラー
美術 ピーター・マートン
編集 アンソニー・ハーベイ
音楽 ローリー・ジョンソン
出演 ピーター・セラーズ
   ジョージ・C・スコット
   スターリング・ヘイドン
   キーナン・ウィン
   スリム・ピケンズ
   ピーター・ブル
   トレイシー・リード
   ジェームズ・アール・ジョーンズ
   ジャック・クレリー
   ポール・タマリン

1964年度アカデミー作品賞 ノミネート
1964年度アカデミー主演男優賞(ピーター・セラーズ) ノミネート
1964年度アカデミー監督賞(スタンリー・キューブリック) ノミネート
1964年度アカデミー脚色賞(スタンリー・キューブリック、ピーター・ジョージ、テリー・サザーン) ノミネート
1964年度ニューヨーク映画批評家協会賞監督賞(スタンリー・キューブリック) 受賞
1964年度イギリス・アカデミー賞作品賞 受賞
1964年度イギリス・アカデミー賞美術賞<モノクロ部門> 受賞