ダブル・ジョパディー(1999年アメリカ)

Double Jeopardy

タイトルはいわゆる“二重処罰の禁止”を意味しているのですが、
これは日本の刑法でも定められていることで、それゆえに判決の確定までのプロセスが重要となります。

映画での出来としては、ギリギリ及第点レヴェルといったところかと思います。
そこそこ楽しめる要素はあるのですが、この作り手は今一つ映画の盛り上げ方が上手くない。
映画の最後の最後まで、大きな起伏を作らずに、割りと平坦なテンションで映画を続けてしまっています。
監督のブルース・ベレスフォードは相応の経験値のあるディレクターなのですが、どうにも惜しい出来で終わっている。

ヒロインを演じたアシュレー・ジャッドが当時、ハリウッドでも人気女優の仲間入りを果たし、
数多くのヒット作品に出演して、ギャラも高騰していた時期なだけに、本作もそこそこヒットしました。
さすがに彼女も人気絶頂な頃だったせいか、ナチュラルメイクな感じで美貌が際立っている。

どうやら彼女の演じたリビー役は、当初ジョディ・フォスターに内定していたらしいのですが、
本作を観る限りでは、アシュレー・ジャッドの方がむしろ良かったのかもしれません。
実際、本作には少ないながらもアクション・シーンがあるので、ジョディ・フォスターのイメージとも合わなかったかも。

助演では存在感を発揮するトミー・リー・ジョーンズ演じる保護観察官トラビスも
他作品の彼の特有の存在感と比較すると、本作はそれは決して強いとは言えず、ハッキリ言って添え物のようである。

映画の物語の焦点となるのは、幼い子供と実業家の旦那の3人で
郊外の邸宅にてリッチな毎日を過ごしていたヒロインのリビーが、夫と二人っきりでセーリングに出て、
洋上ですっかり寝入ってしまい、起きたときには多くの血痕と血のついたナイフが残されていて、
タイミング良く海上保安船に発見され、肝心かなめの旦那が船から失踪してしまうところから始まります。

夫が行方不明で状況証拠から、死体は上がっていないものの死亡扱いとなり、
他殺と認定された結果、地元警察から犯人としてリビーは拘束され、トントン拍子で裁判に至り、
殺人罪で起訴され服役。愛する子供とも離れ離れになるために、仕事仲間の女性に預けて失意の日々を送ります。

最初は面会に来ていたものの、子供と預けていた仕事仲間の女性も面会に来なくなり、
音信不通になった結果、リビーの中では無実の罪で投獄された理不尽さと、子供に会えない寂しさで苦しみ、
とある電話をキッカケにして、それまで疑問に抱いていたことも確信に変え、夫の死にまつわる謎を胸に
6年間の刑期が終了したら、自分の手で息子を取り返すと共に、夫の死に関する謎を解き明かそうとします。

上映時間は割りとコンパクトなのですが、それにしては少々、描きたいことが多過ぎたかもしれません。
全体的に淡々とエピソードを綴ることに専念するような感じで、僕には悪い意味で急ぎ足の映画に映りました。
特にリビーが保護観察となり、刑務所の外に出てきてからの描写は、もう少し緩急をつけて欲しかった。

実際、キッチリ描いた濃いエピソードが多かったでしょうし、大幅な脚色は難しいだろうから、
シナリオに表れない部分についても、もう少し細部に配慮して丁寧に描く必要はあったかもしれません。

やや大雑把に描きながらヒロインが夫の謎に迫っていくだけに、
プロセスを楽しむ映画とまでは言えませんが、本来的なアプローチとしては良かったと思うんですよねぇ。
この夫がトンデモない奴で、どうにか企みを明らかにして、ヒロインは自分の無実を証明して、
なんとか子供との生活を取り戻そうと考えますが、状況的にはとても厳しく、周囲の助けは得られない。
しかも、刑務所内で知り合った他の囚人たちも、諦めて刑期を終えるしかないという風潮が強い。

これが確かに冤罪による投獄であるならば、不条理この上なく、許し難い“事件”である。
ところが本作で描かれたことが現実に起こり得ることで、だからこそ最初の審理が凄く重要なんですよね。

本作ではその最初の審理がどれだけ深くやったのかは曖昧に描かれていて、
信じられないぐらいアッサリとヒロインが有罪と決定してしまうのですが、刑が確定してしまうと、もうキビしいですね。
友人であった弁護士も役に立たず、状況証拠だけで刑が確定してしまうとは、あまりに杜撰な審理だ。
だからこそ、ヒロインは孤立無援になって窮地に立たされる。そこからの脱却は、確かに面白いストーリーです。

ブルース・グリーンウッド演じるヒロインの夫も、いかにもワルそうで良いですね(笑)。
自らの素性を偽って、違う都市に移っては別人に成りすまして、堂々と資金集めのパーティーをやって、
口八丁手八丁でパーティーに呼び込んだ金持ちをたぶらかして、全て自分の金にしてしまう犯罪者。

思わず、「そんな能力があるなら、普通に金儲けにその能力を使えよ」とツッコミの一つでも入れたくなりますが、
資金集めのパーティーでも自信ありげに雄弁に語る立ち振る舞いに、金持ち特有の“余裕”を感じさせて良いですね。

ただ、前述したように、“追う者”を演じさせたらピカイチに似合うトミー・リー・ジョーンズが今一つ。
おそらく、追跡する側としてのしつこさが足りなかったのか、逃げるアシュレー・ジャッドばかりが目立って、
追跡するトミー・リー・ジョーンズはほどほどにしか描かれず、しかもどことなく間抜けなところがあるのが残念。
個人的には彼はもっと賢く、執拗かつ強引にヒロインを追っていくキャラクターであって欲しかったですね。

それでもヒロインが亭主へと近づいていくプロセスが面白いのですが、
どうにもプロセスが軽薄で、映画の根幹がしっかりしていこない。これでは、緊張感も高まらないですよね。
そうなんです、この映画に最も足りないのは緊張感や緊迫感ではないかと感じるのです。

映画のクライマックスの対決シーンにしても、どこか盛り上がらず、唐突に決着がついてしまう印象です。
トラビスも加わる風変わりなクライマックスだっただけに、この盛り上がらなさは映画として大問題です。
一応、サスペンス映画なので、最後の最後までドキドキさせなきゃ映画は面白くならないと思うのですが、
なんだか監督のブルース・ベレスフォードの目線は、まったく違うところにあったとしか言いようがありません。

だって、ヒロインの立場からすると、子供との生活を取り戻したい一心なわけで、
「もうこれ以上は待てない...」というひっ迫感はあっただろうし、いつトラビスに見つかるか、
いつ警察に見つかるかという張り詰めた感覚はあったはずで、常に警戒しているはずだ。
そんなヒロインの緊張感があるからこそ、この映画は磨かれると思うのですが、作り手の考えは違ったのかも。

そういう意味では、ブルース・ベレスフォードもサスペンス映画を撮るにしても、
どちらかと言えばドラマ描写に力を入れる人ですので、本作もドラマ・パートに力が入っている感じですね。

ちなみに劇中、保護観察官トラビスに捕まったヒロインが車につながれて、
車の中で待たされて、トラビスがデッキで一服するシーンがありますが、これはさすがにありえないだろう(笑)。
確かにトラビスは家庭の問題からアルコール依存症を抱えているニュアンスがありますけど、
とは言え、いくらなんでも一人で脱走したことがある女性を、車の中のノ・ーマークで待機させるのはありえないでしょう。

それ以外大きなサプライズがあるわけで、全体的に無難な仕上がりを狙った作品と言う感じです。
少々、乱暴な言い方ではありますが...違うディレクターが監督していれば、もっと出来の良い映画になったかも。

(上映時間105分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 ブルース・ベレスフォード
製作 レナード・ゴールドバーグ
脚本 デビッド・ワイズバーグ
   ダグラス・S・クック
撮影 ピーター・ジェームズ
音楽 ノーマンド・コーベイル
出演 アシュレー・ジャッド
   トミー・リー・ジョーンズ
   ブルース・グリーンウッド
   アナベス・ギッシュ
   ロマ・マフィア
   ダヴェニア・マクファデン