ダイヤルMを廻せ!(1954年アメリカ)

Dial M For Number

冒頭に敢えて、申し上げておくと、確かにこの映画は面白い。魅力的な名画です。

おそらくヒッチコックにとって、本作の企画のヒントは48年の『ロープ』にあったと思うのですが、
完全なる1シーン/1カットの映画というわけではなく、ホテルでのシーンなど少しずつロケーションを変えている。
但し、映画の撮影の大半はロンドンのアパートの一室で行われており、撮影にも工夫を凝らされている。

しかし、この映画は事件の謎解きに難解さを追求した部分があって、
ミステリーに執着せざるをえなかったせいか、僕の中では全体的に少々クドい映画という印象でした。

これは仕方がない部分もあるでしょう。これだけ準備工作を念入りに細かく描いて、
その後の謎解きも、ゆっくりと腰を落ち着けて展開した映画というのも珍しいくらいで、説明も実に丁寧。
こういう条件があったためか、ヒッチコックの演出もどことなく窮屈なものに感じられ、良い意味での奔放さが無い。

僕には突き抜けたものが感じられない分だけ、50年代に全盛期を迎えたヒッチコックの監督作品としては、
そこまで好きな映画というほどではない。しかし、単純に謎解き映画としては、これは十分に面白い。
特に映画の後半、呆然自失の表情を浮かべるグレース・ケリーの存在感は特筆に値する。他にはいない美貌だ。
そして、主演のレイ・ミランドも良い。大人な立ち振る舞いを見せながらも、裏で実はトンデモないことをやるヤツ。

映画は事件のカラクリや、真犯人の存在については、全く隠そうとしません。
言わば、逆転の発想に近く、殺人のカラクリを映画の序盤でタネ明かししておき、如何にその通りに進めるために、
主人公が苦労を重ねヒヤヒヤしながらも、計画通りに進み、不審に思われないギリギリのところで立ち振る舞う。

そういう意味では、この映画の最大の魅力は謎解きというよりも、
如何にレイ・ミランド演じるトニーが計画通りに遂行するか、そして計画からズレたときにどう軌道修正するか、
事が起こった後にどう自分への疑念の目をかわして立ち振る舞うかというところにあると言っていいでしょう。

もっとも、そんなトニーの計画に最も肉薄してくるのが、トニーの犯行を暴こうというよりも、
トニーの妻マーゴを救いたいがための創作であるというのが、ある意味で強烈な皮肉でもある。

それでも、トニーはどこかで少しずつ自分の計画が狂ってしまう“ボロ”を出してしまいます。
冷静沈着かつ、一見するとスマートに見えるトニーですが、計画からズレたときの軌道修正は場当たり的になり、
ジョン・ウィリアムズ演じる刑事の目には怪しく映ってしまうところがある。この辺の細かな揺れ動きを
つぶさに描写したヒッチコックの繊細なアプローチは、何度観てもスゴいなぁと思うし、この映画の醍醐味でもある。

でも、映画の中での謎解きを成立させるためにと、やっぱり映画は説明的になり過ぎ、全体として少々クドい。
堂々とタネ明かしして映画を進めるのは素晴らしいが、トニーは映画の前半で喋り過ぎた面はあるだろう。
しかも、映画に仕掛けられたトリックは実にシンプルで平凡なものである。だからこそ、ここは丁寧に描いて欲しい。

1シーン/1カットに近い形で撮影することにこだわったせいなのか、
トニーに疑いの目を向ける刑事が、証拠集めをするシークエンスについてはもっとしっかりと描いて欲しい。
トニーの行動一つ一つを丁寧に積み重ねただけに、彼の企みにどう接近したのかを、もっと大事にして欲しい。
刑事が捜査のアプローチとして接近するので、これは推理小説のように、たまたま考え出したものが
実は事実だったみたいな、偶然性だけで刑事の行動原理を説明することは、この映画に於いては難しいと思う。

一応、刑事も言葉で、トニーの行動で怪しんでいたことが明白なので、
一つ一つ証拠固めをして、トニーのアパートに入り込む。この過程はヒッチコックなら、もっとスマートに描けたでしょう。

ちなみに本作は劇場用映画で初めて3D撮影が敢行された作品です。
それ以前にも小さな短編映画で3D映画はあったようですが、本作のように映画会社が劇映画として
製作配給した作品で、3Dメガネを販売して劇場公開に踏み切った初めての作品で、これはこれで映画史に残る。

ヒッチコックが何故この映画で3D上映をOKしたのかは分かりませんが、
正直言って、僕はこの映画を3D上映しようと検討している時点で、その意図がよく分からなかった。
この内容ならば、別に3D上映でなくとも十分だったのではと思えるのですが、やはり“流行りもの”だったのかな。

別に派手なアクション・シーンがあるわけでも、直接的なスリルを煽るシーンがあるわけでもないので、
3D映像で観賞する醍醐味があったのかは疑問ですけど、それを許諾したヒッチコックも寛容でしたね。

映画を通して、ヒッチコックはまるで「物事、計画通りに上手くいくことなんて、ほぼ無いんだよ」と言っているようだ。
トニーもかなり用意周到に計画していたことで、下調べもそうとうに行った上での計画だったと思えますが、
それでも少しずつボタンのかけ違いがあることで、計画が少しずつ、まるで音をたてて崩れていくのが面白い。
そこをトニーはトニーなりに必死になって、計画通りに行くように、自分に疑惑の目が向かないように必死なわけで、
観客は全てのカラクリを知った上で、そういった表と裏の駆け引きを繊細に楽しむというのが、この映画の醍醐味だ。

通常の映画であれば、このカラクリも隠したまま謎解きをする楽しみを演出するのですが、
本作はそういった観点ではなく、少し違った謎解きのアプローチをしていて、これはこれで挑戦的に感じる。
ヒッチコックも本作の原作にそういった面白さを感じていたようにも思います。そしてこれが一つの標準となり、
後にTVシリーズ『刑事コロンボ』シリーズなどのミステリーへの布石となった影響力を持つ映画となりました。

そう思うと、やっぱりヒッチコックが映画というフォーマットの中で、それを表現し切った功績がデカいですね。

ヒッチコックにとって本作の撮影にあたって、最も大きかったのはヒロインに
グレース・ケリーをキャスティングしたことでしょう。当時、本作の前年の『モガンボ』で高く評価された
新進気鋭の女優さんという位置づけでしたが、本作のイメージショットとしても使われた彼女が殺人犯に
襲われるシーンでも、やはり彼女の気品溢れる姿とブロンドヘアーが悲劇のヒロインとして、映えますね。

本作での仕事がヒッチコックの中でかなり印象に残り気に入ったのか、
56年の『泥棒成金』でもヒロインに彼女を起用しており、当時のヒッチコックは彼女がお気に入りだったようだ。

レイ・ミランドとの夫婦という設定は、少々年が離れすぎているというか、
一応はトニーが金持ちの娘マーゴと結婚したという設定ですが、その設定も含めて何だか噛み合っていない
気はするのですが、まぁ・・・許容されるところでしょう。見方によっては親子のようにも見えるけど・・・。
(実際、レイ・ミランドとグレース・ケリーは20歳以上、年齢が離れていました)

とっても面白い映画で、後年の映画に与えた影響の大きさは計り知れないけれども、
全盛期のヒッチコックの監督作品にあるような、突き抜けた魅力は本作からは強く感じられませんでした。
そういう意味で、及第点レヴェルの出来と思っています。何より、全体的に説明的になり過ぎた傾向です。

何より、依頼を受けるアンソニー・ドーソン演じるレズゲートは、あんなに躊躇していたらダメですよ(笑)。
映画のカラクリを説明することに必死になった結果、悪党のキャラクターを磨くことを忘れてしまったようで、
もっと夜中に自室で襲われるというショッキングな出来事を、恐怖に描くようにしなければいけませんね。

物事、最悪の事態を想定しておけと言われることがありますが、
本作の教訓は正にそれですね。トニーも頭が良いのだろうが、その想定が全く不足していました。

だから、計画から逸れると、必死に軌道修正しようとしてしまうのです。この辺はなんだか賢くないなぁ(笑)。

(上映時間105分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 アルフレッド・ヒッチコック
原作 フレデリック・ノット
脚本 フレデリック・ノット
撮影 ロバート・バークス
音楽 ディミトリ・ディオムキン
出演 レイ・ミランド
   グレース・ケリー
   ロバート・カミングス
   アンソニー・ドーソン
   ジョン・ウィリアムズ
   パトリック・アレン

1954年度ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞助演男優賞(ジョン・ウィリアムズ) 受賞
1954年度ニューヨーク映画批評家協会賞主演女優賞(グレース・ケリー) 受賞