ベニスに死す(1971年イタリア・フランス合作)

Death In Venice

トーマス・マン原作の同名小説を映画化した文芸ドラマ。

名匠ルキノ・ヴィスコンティが退廃的かつ耽美的な世界観を表現し、賛否の議論を巻き起こした名画です。
僕自身、本作の真髄をしっかりと味わえたというわけではないだろうし、本質を見極めることができなかった。

ドイツ人の音楽家であり、大学教授でもあるグスタフ・アッシェンバッハは悲しい過去と、挫折を味わい、
水の都ヴェニスを単独で旅するところ、現地で出会ったポーランド貴族の息子である美青年タッジオに一目惚れ。
何度も想いを断ち切ろうとしますが、想いを抑え切れずに、タッジオをつけ回すようになってしまう。
同時にヴェニスの現地人が、しきりに街を消毒していることに不安を感じるも、誰も明確な答えを返さず、
アッシェンバッハの不信感は増すばかり。その中で、海辺で友達とケンカする光景を眺めて、彼は想いに耽る・・・。

この映画は、主演のダーク・ボガードが上手い。いや、上手過ぎる(笑)。
実生活でも一度も結婚せず、男性と同居していたことからゲイではないかとの噂が絶えない役者だったようですが、
本作で彼が見せる表情一つ一つがあまりに上手過ぎて、確かに地で演じているのではないかと思ってしまう。

話しはあってないような映画ではありますが、でも、映画の冒頭で生のイチゴを食べたり、
色々と伏線っぽく描かれている部分はあって、ルキノ・ヴィスコンティなりに語りたかった物語ではあったのでしょう。

それにしても、僕がこの映画を観た印象としては、ヴェニスの街がちっとも魅力的に見えないところだ。
かつて『旅情』という名画で、ヴェニスが魅力的な都市として活写されていましたが、本作はどこか陰鬱な感じだ。
唯一、ヴェニスを明るく撮ったのは、一度がタッジオへの想いを断ち切るためにアッシェンバッハが列車に乗って、
ヴェニスを離れようとするものの、荷物を違う行き先へ送ったという事実を聞かされたことに彼が便乗して、
「ヴェニスから離れないぞォ!」とボートに乗って、アッシェンバッハが嬉しそうな顔しているショットだけですね。

それ以外は、どこか陰気臭くて、ジメジメしていて、観光都市とは思えぬ鬱な雰囲気だ。
この映画を観て、よく現地の人が怒らなかったなぁと感心するほどで、これではまるでPRにならないと思う。

特に映画の後半にありますが、リド島のホテルのレストランでアッシェンバッハが夜風に当たっていたところ、
地元の4人の楽団が乱入してきて、ホテルの客に歌いかけるシーンがあるのですが、この醜悪さが強烈だ。
ギター弾きが顔を真っ白に化粧して、前歯が欠けているのを隠しもせず、どこか不気味に陽気な歌を唄う。
しかも、レストランの席を周って、執拗に客に絡み、アッシェンバッハが疫病のことをギター弾きに質問します。

その様子を見たホテルマンが、ギター弾きに注意をしますが、
続いてアンコールとばかりに、再びレストラン内に歌いながら侵入し、やはり不気味な笑いを歌に乗せる。
この光景はハッキリ言って怖すぎる(苦笑)。これを見てしまうと、みんなヴェニスに行きたくなくなりますね。

思えば、映画の冒頭に登場する、ひたすらアッシェンバッハに向かって爆笑しながら
問いかける不気味な老人にしても同じで、ホントによくヴェニスの人がこれを観て、怒らなかったなぁと思う。
リド島へ行くときの水上タクシーの船頭はアッシェンバッハの言うことを聞かないし、港で話しかけてくる爺さんは
アドバイスを一言した程度でチップをねだるし、ヴェニスの街の人々は観光のためと疫病のことは隠蔽するし、
何かとヴェニスがえらく利己的というか、身勝手な観光都市という表情を持っているように見えてしまいます。

タッジオを演じたビョルン・アンドレセンは当時、ルキノ・ヴィスコンティからも奇跡のキャスティングと
言わせたほど、彼の美青年ぶりは大きな話題となったくらいで、日本でも大きな話題となったようです。
結果として、この映画への出演が彼の人生を大きく変えてしまう出来事となったようで、苦しんだようですね。
でもまぁ・・・これは確かに、彼の立ち振る舞い、ルックスは性別を問わず、魅せられてしまうのはよく分かる。

タッジオも同性愛のニュアンスを強調して描いていて、よく演じたなぁと感心する。
ダーク・ボガードのような中年のオッサンに好奇の目で見られること自体、彼の年頃だったら嫌だろうし、
ヴェニスでの友人と思われる同年代の男の子からは、やたらとキスされたりとユニセックスな魅力が強調される。

そんあタッジオを前にたじろいで目線が泳いでしまったり、無心に尾行してしまったりと
自分を抑えられなくなっていくアッシェンバッハを演じたダーク・ボガードもホントに上手かった。
彼もまた、理髪店のオヤジに勧められて「これでまた恋できますよ」と謎なお墨付きをもらったのが、
若く見えるとされる白髪染めと、顔色の悪さを消すためなのか、何故か白塗りの化粧と口紅でピエロのよう。

汗をかいて、白髪染めで使った黒色の染料が汗と一緒に顔を垂れる様子が、あまりに鮮烈で不気味だ。

しかし、ルキノ・ヴィスコンティはそんなアッシェンバッハの異様さも、
どこか格式高い映像美によって表現される、あまりに甘美な退廃と耽美の感覚でマスキングしているかのよう。
アッシェンバッハはタッジオと一度も直接会話することなく進んでいきますが、何度も二人が交差するのが、また妙。

こういうのを観ると、ルキノ・ヴィスコンティのようなディレクターがいないせいもあるけど、
おそらく本作のような強烈で独特なエネルギーを発する映画というのは、もう作られないのかもしれない。
そう思わせるくらい、本作は実に個性的であまり他に観ることができない、独特なスタイルを持った作品だ。

不幸のあった家庭生活に疲れ、仕事仲間からも批判され、音楽家としての名誉を失った
アッシェンバッハが静養のためにと訪れたヴェニスで、皮肉にも疫病に苦しむというのは、あまりに無情だ。
しかもそこで、眠りかけていた感情を呼び起されたように衝撃的なタッジオとの出会いが、また何とも後ろめたい。

そう、これは後ろめたい映画なのです。今のようにLGBTについて真剣に議論する時代ではないし、
LGBTという観点からだけではなく、10代の美青年に魅せられるオッサンということ自体、後ろめたいわけです。

この後ろめたさや戸惑いが、ダーク・ボガードの表情に満ち溢れているのですが、
これを文芸映画のフォーマットに落とし込んだルキノ・ヴィスコンティが、僕はホントにスゴいと思う。
おそらく本作のような映画は、もう誰も撮らないでしょうし、現代社会で理解できる度量があるようにも思えません。
それくらい、僕はこの映画、何か底知れぬパワーと突き抜けてしまった“何か”を強く感じさせる作品と考えています。

ただね...こういう言い方をしておきながら、こう言うのもナンだけど(笑)、
実はそこまで好きな映画というわけでもないし、僕はこの映画に強い思い入れがあるわけでもありません。
あくまで一つの名画として観賞して、その風格と異質なスタイルに凄みを感じたけど、衝撃を受けたというほどではない。

たぶんこの映画は、もっと深遠なる深い、深い本質があって、スゴいカタルシスがある映画なのだと思う。

撮り方自体がそうなっているから仕方ないのですが、本作を観ているとタッジオが
過剰なまでにカメラ目線で見てくるものだから、次第に彼から観客を視線が外せなくなっていきます。
それはおそらくルキノ・ヴィスコンティも同じことを狙っていたはずで、観客がアッシェンバッハと同じ気持ちになってくる。

誰が見ても、本作のビョルン・アンドレセンは眩しいくらいに神々しさを感じさせますが、
そんな彼はこの映画を観た全ての人を魅了する魔力を持っているのだから、それはそれは革命的な出来事です。

ただ、彼は本作への出演で映画の仕事が増えるかと思いきや、映画俳優としては活動せず、
音楽活動を行った後、表舞台から姿を消し、故国スウェーデンの首都ストックホルムで音楽教師に転じていたらしい。
本作ほどインパクトの強い仕事でイメージが付いてしまうと、後が大変なのでしょうね。悩みは深かったようです。

良くも悪くも、本作への出演が影響を与えたのでしょうから、なんとも歯がゆい・・・。

(上映時間130分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 ルキノ・ヴィスコンティ
製作 ルキノ・ヴィスコンティ
原作 トーマス・マン
脚本 ルキノ・ヴィスコンティ
   ニコラ・バダルッコ
撮影 パスクァリーノ・デ・サンティス
音楽 グスタフ・マーラー
出演 ダーク・ボガード
   ビョルン・アンドレセン
   シルバーナ・マンガーノ
   ロモロ・ヴァリ
   マーク・バーンズ

1971年度アカデミー衣装デザイン賞 ノミネート
1971年度イギリス・アカデミー賞撮影賞(パスクァリーノ・デ・サンティス) 受賞
1971年度イギリス・アカデミー賞美術賞 受賞
1971年度イギリス・アカデミー賞衣装デザイン賞 受賞
1971年度イギリス・アカデミー賞音響賞 受賞