永遠に美しく・・・(1992年アメリカ)

Death Becomes Her

これは、なんだか嫌いになれない映画(笑)。

自身が老いることを許容できず、美容整形に積極的で友人の恋人である整形外科医を
略奪して結婚した舞台女優に対して、その恋人を奪われ長らく病院に入院していた作家デビューした友人(女性)。

お互いに壮絶なまでの罵り合いと、一人のしがない整形外科医を巡って、
足の引っ張り合いをする姿を、当時、最先端であった映像技術を使って描いたブラック・コメディなのですが、
これは如何にもロバート・ゼメキスらしい映像でありながら、それまで見せてこなかったドギツさが横行する。

劇場公開当時、演技派女優メリル・ストリープや当時はアクション・スターであった、
ブルース・ウィリスがハチャメチャなコメディ演技に徹していることで、日本でも大きな話題となりました。

メリル・ストリープが美を追い求める舞台女優マデリーンを、時に妖怪のように演じれば、
対するようにマデリーンの友人ヘレンを演じるゴールディ・ホーンは、持ち前のコメディエンヌとしての魅力を
封印してまでも、マデリーンへの復讐とばかりに、時にはゾンビのようになりながらも、美への執着を示す。

その二人の争いの“ダシ”のように使われるのが、美容外科医のアーネストを演じたブルース・ウィリスですが、
最初っから訳の分からない舞台に出演するマデリーンに心奪われ、交際していたはずのヘレンを捨ててまでも、
マデリーンと結婚するわけですが、それでもすぐに彼女との結婚生活が破綻し、自堕落な生活へと転じます。
おそらくは、マデリーンの散在癖に悩まされ、アーネストの収入の大半はマデリーンに“喰われて”しまっているよう。

本作のラストで、「人生は50歳からだ」なんて言ってますが、
これは見方によっては「人間、去り際が重要である」という言葉通りなのかもしれず、
マデリーンにしろヘレンにしろ、不老不死の秘薬を手にし、いつしかお互いの利害関係が一致し、その去り際どころか
お互いに不老不死を手に入れたとたんに暴走し始めます。しかも、マデリーンとヘレンが結託し始めるのです。

最初はお互いへの対抗心から攻め合うことから始まったものの、
お互いに不老不死を得たということで、利害関係が一致した途端に結託し始める、というのが面白い発想だ。

ILMとしては当時の最新の技術を結集して、ロバート・ゼメキスのヴィジョンを具現化していて凄い。
階段から転落して首が180°曲がってしまったメリル・ストリープやら、ショットガンで特大の弾丸をブッ放たれて、
お腹にポッカリと大きな穴が開いてしまうゴールディ・ホーンなど、あり得ないほどの描写で贅沢に使われている。

それに主演3人だけでなく、実年齢は71歳だと豪語する不老不死の謎の薬を渡す、
魔女のような秘密クラブの主催者リスルを演じたイザベラ・ロッセリーニの過激な衣装も印象的でしたね。
リスルが主催する秘密クラブには、不老不死の薬に魅せられたメンバーがたくさん集っているのですが、
周囲から不審に思われないために、頃合いを見て、表舞台からは姿を消しなさいと指示されているのが面白い。

確かにそうですよね。死とは得体の知れないもので、誰にも平等に訪れるものですが、
ナンダカンダ言って、一定の恐怖を感じるものだとは思う。一方、不老不死となれば「死なない」という原則がある。
そうであるがゆえ、周囲は死んでいくのに、自分だけ死ぬことはないという状況は、それはそれで怖いものだと思う。

要するに「終わりが無い」ということだ。エンドレスと聞けば、聞こえが良いような気はするけど、
どんな状況に陥っても死ぬことがないというのは、「人生に終わりが無い」ということで、自分だけが若さ維持して、
生き残り続けるというのは、周囲から見てもホラーだし、当人からしても何とも言えない恐怖心に苛まれるだろう。

美に執着し過ぎるあまり、不老不死にたどり着くという話しもユニークですが、これは確かにそうかもしれない。
しかし、マデリーンにしてもヘレンにしても、不老不死の大原則である「メンテナンスは必要よ」という言葉を忘れて、
何もせず生き続けた結果、ロボットのような状態でも尚、生き続けるという皮肉な結果を迎えるのも面白い。
これは、ブラック・ユーモアに満ちた作品ですけど、ロバート・ゼメキスの監督作品としては異例なくらいブラックですね。

本編は圧倒的に女性が強く、優位な立場で進む映画ではありますが、
ハリウッドを代表するアクション・スターとしてタフガイなイメージを確立していたブルース・ウィリスが、
女性のパワーに圧倒されっ放しの冴えない美容外科医を演じるという、逆転のキャスティングも映画を盛り上げる。

思えばブルース・ウィリスも『ダイ・ハード』でブレイクする前は、
テレビ・ドラマで人気を博した役者さんでしたので、こういうコミカルな仕事も難なくやってのける器用さがある。

まぁ、禿げたり・太ったり・シワが目立ったり・白髪が生えたり、色々な老化や加齢現象がでてきますが、
人間誰しも、大なり小なりそういった加齢現象に抗いたいという気持ちは芽生えるものだと思います。
実際問題として、どこまでやるかという点では個人差があるでしょうけど、その想いは特別なことではありません。
そういう意味では、不老不死とは夢のようなことなのでしょうが、変わらない・終わらないというのも怖いものです。
あれが良い、これが良いという割りには、いざ現実になるとデメリットを探してしまって、人って贅沢なものです(笑)。

でも、こうして何にしてもメリットがあればデメリットもあるということなんですね。これは忘れてはなりません。

個人的には年相応な美を追求することが良いのではないかとは思いますが、
人によっては強いコンプレックスであったり、美の追求が生きがいのようになる人もいますからねぇ。
それらは否定されるものではないし、人間の欲求として自然なものなのだろう。他人に迷惑かけるものでもないし、
命を削るようなものではないのであれば、僕はこれはこれをルッキズムだのなんだのと否定する気にはなりません。

まぁ・・・何にしても、やり過ぎはいけませんね。メリットとデメリット、双方あるものだと考えて、
どうするのが良いのか、冷静に判断することが大事なのでしょう。本作はあくまでそういう極端になった、
人間の争いを描いているわけで、このブラックな視点を理解できる人でなければ、本作を楽しむことは難しいだろう。

本来的にはロバート・ゼメキスではなく、ティム・バートンあたりが撮っていそうな映画ですね。
イザベラ・ロッセリーニ演じるリスルをヘレナ・ボナム=カーターが演じれば、まんまティム・バートン印の映画だ。

欲を言えば、もっとメリル・ストリープとゴールディ・ホーンが激しくバトルするという展開も観たかった。
視覚効果技術も駆使した作品なので、やろうと思えば出来たのだと思うけれども、敢えてバトルを描かなかった。
ロバート・ゼメキスの意図は分かりませんが、もっとバトルがあった方が終盤の2人の結託も効いたと思うんだよなぁ。
どちらかと言えば、ゴールディ・ホーン演じるヘレンがアーネストを操る感じったので、直接手を下すという感じではない。
もう怒り狂って、ヘレン自らマデリーンに手をかけようとするぐらい、暴走する姿があっても良かったかもしれません。

ロバート・ゼメキスは本作以降から、脱SF映画を決意したかのように、
ドラマ系統の作品を好んで手掛けるようになり、本作のような遊び心溢れる映画は少なくなっていきました。
僕はナンダカンダ言って、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズが大好きだし、お行儀の良い映画を撮れるのも
分かるけど、それでもロバート・ゼメキスは遊び心を持った映画を撮ると、最高に面白い映画を撮ることができるはず。

ひょっとしたら、本作である程度、撮りたいSF映画のアイデアにケリがついたのかもしれませんが、
もっともっと遊び心に溢れた監督作を観たいですね。本作のブラック・ユーモアだって、悪くはないですしね。

ちなみに終盤、不老不死を手に入れたメンバーたちが集まる、秘密クラブのパーティーのシーンがありますが、
このパーティーに集った人として、エルヴィス・プレスリーやジェームズ・ディーンと思われる人物がいるのが面白い。
彼らは実は不老不死を手に入れていて、周囲から不審に思われるのを防ぐために、適当なタイミングで死んだことに
したという設定なのだろうが、こういう形で登場させられるなんて、遺族やファンがよく許したなぁ・・・と感心してしまう。
一般市民の正義感が強い現代では、「これは不謹慎では?」と言われ、撮り直しさせられていたかもしれませんね。

得てして、ブラック・ユーモアを含んだ映画って、こういう要素を多く持っているのですが、
コンプライアンスが厳しく喚起される現代社会では、こういう映画も作りづらくなっているのかもしれませんね。

でもね...個人的にはなんとか頑張って作って欲しいと思ってるのですよね・・・。

(上映時間102分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 ロバート・ゼメキス
製作 ロバート・ゼメキス
   スティーブ・スターキー
脚本 マーティン・ドノバン
   デビッド・コープ
撮影 ディーン・カンディ
特撮 ILM
音楽 アラン・シルベストリ
出演 メリル・ストリープ
   ゴールディ・ホーン
   ブルース・ウィリス
   イザベラ・ロッセリーニ
   シドニー・ポラック
   ミシェル・ジョンソン
   トレーシー・ウルマン
   イアン・オギルビー

1992年度アカデミー視覚効果賞 受賞
1992年度イギリス・アカデミー賞特殊視覚効果賞 受賞