いまを生きる(1989年アメリカ)

Dead Poets Society

厳しい戒律と強い管理で有名な全寮制の進学校を舞台に、
赴任したばかりの学校のOBで型破りな英語教師と生徒たちの交流を描いたヒューマン・ドラマ。

監督はオーストラリア出身のピーター・ウィアーで、彼は80年代に何本かヒット作を撮っている。

如何にもロビン・ウィリアムスが演じそうなキャラクターですが、
これは映画の内容的に様々な意見に分かれそうな作品であって、日本では根強い人気のある作品だ。
実際に舞台劇にもなっていて、89年度のアカデミー賞でも作品含む4部門でノミネートされるなど、評価が高かった。

しかし、僕の率直な感想を言わせてもらうと、正直言って、僕は本作に感動はできなかったし、
主人公キーティングの行った教育が理想であるとも思えなかった。詰め込み教育を肯定する気はないし、
物事の価値判断を他人から押し付けられたものではなく、自分で考える力を育むことはとても重要であると思う。

故に、映画で描かれた全寮制の進学校の教育方針や教育方法を肯定する気もありません。

そういう時代性であったとは言え、子どもの将来を親が決めてしまうなんて変な話しだと思うし、
それに子どもも親の奴隷のように服従し、周囲も何も言えないなんて強権的な環境はおかしいと思っている。
とは、キーティングの教育は10代の多感な年頃の青年たちには、正直言って“刺激的”過ぎるアプローチだと思う。
別にキーティングがたぶらかしたわけではないが、映画の終盤に起こる“事件”の責任の一端は彼にもあると思う。

要するに学校の方針に逆らっていることはキーティング自身がOBなので分かっているはずで、
勝手に学校方針に逆らった授業を行うのではなく、校長らにキチッと真正面から対決すべきだったと思うのです。
そこを中途半端に生徒たちに“火を点けた”ようになってしまったから、キーティングの意図を超えた行動にでてしまう。

何故、僕自身がこうも否定的に捉えてしまったかと言うと、
僕は本作の終盤で描かれる“事件”は観たくなかったからだ。あまりに安直で感情的過ぎるように感じた。
ピーター・ウィアーはこういうところがあるので油断できないディレクターなのですが、匂わせるだかならまだしも、
こういう観客の居心地すら悪くさせてしまう“事件”を、ドラマの一環としてサラッと描くことができてしまうディレクター。

得てして、現実世界でもこういった“事件”は数多くあります。それくらいの不安定さを抱えた年代なので。
でも、やっぱり...映画の中で、もう少し違った形で彼らの不安定さを表現できなかったものかと思えてならない。
単なる個人的な嗜好ですが、若者の不幸を大人のエゴの犠牲として、ストレートに描き過ぎていて好きになれない。

正直言って、こんなエピソードを描かなくとも本作は素晴らしいメッセージを込められたと思うし、
ピーター・ウィアーの哲学を映画の中に反映させることは十分に出来たと思う。そこがどうしても僕とは合わなかった。

キーティングも自分がOBだからこそ、「この学校の教えが全てではないんだ」と伝えたかったのだろう。
だから彼が授業の中で生徒たちに伝えた内容、学習内容も間違いだったとは言えない。ただ、最適なものではない。
皮肉にも同僚の堅物教員から、「17歳でそんなことは判断できんよ」と言われたことが現実なものになってしまう。
その危うさについて、顧みることなく突き進んでしまったことは、僕はキーティングに責任が無いとは言えないと思う。

とは言え、キーティングの型破りな教えは今でもとても斬新なものに映る。
彼の指導は、旧態依然とした詰め込み教育をすればいいとする、古株の教員たちからは問題視されるが、
従来の高校での指導というよりも、大学などでとられるようなスタイルに近いように見える。覚えることよりも、
自分で考えることに力点を置いていて、これこそ“生きる力”を養うスタイルに近いと思うし、とても“刺激的”だ。

だからこそ、多感な高校生には難しいアプローチだった。監督のピーター・ウィアーがどう考えていたかは
分からないが、ティーンの不安定さを描きたかったようにも思え、キーティングの全てを肯定する内容には見えない。

欲を言えば、キーティングの優秀さや有能さを、何か一つでもいいので描いて欲しかったなぁ。
と言うのも、原題にもある Dead Poets Societyで問題になったOBなのに、いくら他校で評判だったからといって、
これだけ厳格な学校がキーティングを教員として呼ぶというのは、どうにも信じ難い展開としか思えないのですよね。
何か一つ小さなことでもいい、キーティングがこの学校に呼ばれた理由をしっかりと描いて欲しかったところ。

一見すると、キーティングが船長と船員に例えて生徒たちとの信頼関係を築いているので、
より近い精神年齢で接することでキーティングは導こうとしているようにも見えるが、一概にそうでもないと思います。
むしろキーティングが求めたものは、成熟した精神性であり、生徒たちへの要求のハードルは高かったと思う。

あまりにキーティングの教育も個性的なアプローチであるがゆえ、ややもすると押しつけがましくなってしまう。
キーティングは既成概念を疑え、自分で考えて答えをだせ、ということが彼なりのメッセージなのですが、
このキーティングの教え自体が生徒たちを型にハメてしまう恐れがある。それは彼自身も気づいていたのだろう。

それゆえ、キーティングは学校を去る時に、自分から生徒たちに何も言葉をかけられずにいたのかもしれない。
それは起きてしまった“事件”の現実を前に、キーティング自身が自問自答し続けていたからかもしれない。

それでも、色々な苦難を経験した生徒たちは、その全ての責任をキーティングが負うという
学校側が下した裁定もおかしいと思っている。だからこそ、“船員”たちは“船長”に敬意を表するわけですが、
これは自分たちで物事について考え、一つの結論を導き出すという生徒たちの精神的な成長を捉えたシーンだ。
それまでの既存の教員たちや、親たちの言いなりでしかなかった生徒たちが、初めて自己主張をし始めるわけです。

まぁ・・・机の上に乗ることを良いことだとは言わないけど、こういった成長を象徴するシーンとして、
本作のラストシーンは良いシーンだと思う。欲を言えば、もっとさり気なく描いてくれた方が、合っていたとは思うけど。

劇中、演劇を志す青年と彼の父親の対立構造がクローズアップされますが、
この父親の在り方は過剰なまでに子どもの人生に介入してしまうという、親としての愛情のかけ方を間違えたように
描かれていますが、息子を徹底的に型にハメて、一方的に息子の将来を決めてしまうというのは、あまりに酷だ。
この教育の異常性に気づいていないあたりが怖いが、これは誰しも陥り易い親としての側面で紙一重だなと思った。

本作は1959年を時代背景にした作品なので、こういう親子関係も現実にあっただろうし、
全寮制でかなり厳しい校則で生徒たちを締め付け、文字通りの勉強漬けにしていた進学校もあっただろう。
(現代にも僅かながらあるが、当時のそれは今の学校教育以上のものであっただろう・・・)

僕も高校の教員になりたかったので、大学生の頃に教員免許状を取得しました。
その際は、母校に教育実習に行かなければ単位が取れずに免状も交付されませんので、当然行きました。

僕は高校がスゴく楽しかったので、それで夢見がてら憧れていたのかもしれませんが、
その教育実習で更に魅せられて、大学卒業後は違う高校で非常勤講師として働いて、一気に現実を見ました。
それはともかくとして、教育実習に行った当時、自分が高校を卒業して僅か3年間の間に、高校が様変わりしていて、
すっかり進学校へと転換する気運が高まり、今となってはそこそこの進学実績を上げた上位校扱いのようです。

僕が通ったのは私立高校なので、正直言って、当時は公立高校に落ちた人が集まっていたし、
自分はいわゆる普通科で、進学クラスではなかったので、そりゃ当時のクラスの状況には驚きました(笑)。
でも、あの時代、良い意味でフリーでスゴく楽しかったんですね。先生方は大変だったでしょうけど。

それが進学校を目指して一気に方向転換したのは、当時、既に少子化の影響を予測していたからかもしれません。

どうしても公立高校のようにはいかない私立高校ですから、生き残るための策として、
進学クラスを中心とした進学校化は有効な手段だったのかもしれません。実際、中途半端になってしまった高校は
特に私立高校を中心に、一部で経営が厳しいと囁かれている学校もあるのは事実で、更に二極化が進むでしょう。
私の母校が様変わりしていたのは正直、複雑な心境もなきにしもあらずでしたが、これはこれで一つの選択だった。
(まぁ...私が教育実習で更に魅せられてしまったのは、優秀で心優しい生徒たちのおかげなんだけど・・・)

今思えば、イージーに会社員になるのではなくって、もっと教員の道を粘っていれば・・・とも思うのですが、
当時はあれ以上、粘れるほどの精神力が自分には無かったし、何より教壇に立つのは早過ぎたなぁ・・・と回想。

キーティングの姿を見て、なんだか妙なことを思い出してしまいました・・・(苦笑)。

(上映時間128分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 ピーター・ウィアー
製作 スティーブン・ハーフ
   ポール・ユンガー・ウィット
   トニー・トーマス
脚本 トム・シュルマン
撮影 ジョン・シール
編集 ウィリアム・アンダーソン
音楽 モーリス・ジャール
出演 ロビン・ウィリアムス
   ロバート・ショーン・レナード
   イーサン・ホーク
   ジョシュ・チャールズ
   ゲイル・ハンセン
   アレロン・ルッジェロ
   ジェームズ・ウォーターストン
   カートウッド・スミス
   ララ・フリン・ボイル

1989年度アカデミー作品賞 ノミネート
1989年度アカデミー主演男優賞(ロビン・ウィリアムス) ノミネート
1989年度アカデミー監督賞(ピーター・ウィアー) ノミネート
1989年度アカデミーオリジナル脚本賞(トム・シュルマン) 受賞
1989年度イギリス・アカデミー賞作品賞 受賞
1989年度イギリス・アカデミー賞作曲賞(モーリス・ジャール) 受賞