夜の訪問者(1970年フランス・イタリア合作)

De La Part Des Copains

脂が乗っていた頃のチャールズ・ブロンソン主演のサスペンス映画。

リチャード・マシスンの原作をフランスを代表する観光地ニースを舞台にしているのですが、
これはこれで凄く謎な映画で、いろんなツッコミどころ満載な内容で、いろんな意味で面白い映画だ。

映画もあっち行ったりこっち行ったりするせいもあって、
なんだか焦点が定まらず、正直、よく観ていてもストーリーがよく分からない部分がある。
しかも主演キャストの大多数が英語圏の役者なせいか、台詞のほとんどがアテレコ(笑)。
このフランス語の吹き替えが、観ていて強い違和感があって、映画の最後の最後まで気になってしまう。

特にジェームズ・メイソンは彼自身の声だとは思えず、強烈な違和感がずっと拭えない。
そう思って観ると、チャールズ・ブロンソンも違和感があり、もっと上手いことやって欲しかったですね。

監督はテレンス・ヤングで、それまで“007シリーズ”の専属監督というイメージがありましたが、
一転して67年の『暗くなるまで待って』あたりから、サスペンス映画を中心に活動するようになり、
本作も緊張感あるシーン演出に、切れ味鋭いアクション・シーンもあり、映画に良い意味でメリハリがある。

但し、肉体派なチャールズ・ブロンソンからイメージされる、
ハードなアクション・シーンであったり、派手なガン・ファイトが描かれているわけではないので、
いつものブロンソン映画と比べると、本作はどことなく地味でストイックに見えるかもしれません。

映画は仕事して賭け事をして帰宅する主人公が、
自宅で謎の殺しを予告する電話を受け、すぐに妻に実家に帰るよう促し、警戒態勢に入るところから始まります。

まず、この時点で何かおかしい。
警察に電話ではなくって、明らかに襲撃に備える準備があって、ただの家庭人ではないことが分かる。
しかも妻にも話していない“過去”があって、それが消し去りたいレヴェルの“過去”であることを匂わす。

そこから映画が動き始めるのですが、この映画の不思議なところは、
主人公を脅す、かつての仲間たちにしても、主人公にしてもお互いに殺すチャンスがあったのに、
まったくお互いに脅すだけで、何もしないという点でお互いに「どこまで本気でやってるのだろうか?」と疑問が残る。

その中では、カタンガという中年のオッサンだけが異様な存在で、
見た目は普通の中年のオッサンなのですが、「殺しを楽しんでやる」と言われるだけあって、
他のメンバーから比べると、“浮いて”いるぐらいの異常性があるキャラクターで、残忍なのは当たり前のこととして、
主人公の義理の12歳の娘に、瞬間的に性的興味を示す仕草が映画の中でも、異様なニュアンスである。

こういう部分は“007シリーズ”でも、テレンス・ヤングは時折見せていた側面で、
悪役に不穏で常軌を逸したニュアンスを持たせることで、映画に一種独特な緊張感を持たせています。
本作のホントの意味での悪党は、このカタンガという風貌は冴えない中年のオッサンでしょう。

一方で、吹き替えが変だと前述した、名優ジェームズ・メイソンは髭面にメイクして、
彼もまた個性的なルックスで登場してきますが、彼の立ち振る舞いは紳士的で悪党とは呼べない。
とは言え、映画の終盤の荒野のド真ん中にある小屋で、主人公に市街地まで医者を呼びに行かせ、
人質に取っていたはずの主人公の妻と娘に励まされながら、仲間だったはずのカタンガに銃を向けるという、
なんだか訳の分からない状況に陥ってからの彼は、迫真の演技を通り越し、ゾンビのような熱演ぶりで、
これはこれで貴重と言える。「よくもまぁ・・・ジェームズ・メイソンも、この役を引き受けたなぁ」と感心しました(笑)。

日本の映画配給会社も、もっとよく考えて邦題を付ければ良かったのに、
同じチャールズ・ブロンソン主演のサスペンス映画、本作と全く同じ年である1970年に、
『雨の訪問者』という映画も製作されており、本作とどっちがどっちがか区別がつかなくなって困ります(笑)。

それから、映画の終盤にある主人公が運転する車のカー・チェイス・シーンは圧巻の出来だ。
やはり当時は、『ブリット』の影響がかなりあったのでしょう。本作でも長過ぎるくらいのチェイスが描かれます。
チャールズ・ブロンソンも自慢のハンドルさばきというところでしょうが、途中から“コース・アウト”して、
道なき道を走るというか、斜面を落ちていくような車の動きが、もはや現実離れした様相でもあった。
(後部座席に乗っていた医者の爺さんが、あれだけの衝撃になんとも無かったというのも信じ難い・・・)

映画のラストシーンは、なんともブロンソン映画らしい幕切れだ。
しかし、ここに至るまでの納得性は正直言って、低い。どうも尻切れトンボのように、呆気ない幕切れだ。
でも、このときに見せるチャールズ・ブロンソンの表情は実に良い。なんでも許したくなる気分にさせられる。

思えば、チャールズ・ブロンソン演じる主人公もアウトローで、
酷いことばかりやってるが、それでもまるでパリ祭のついでとして過去が清算できたとばかりに陽気な表情(笑)。

映画はなんだか訳が分からない部分が多いが、全てを許してあげたくなる。
それくらい、チャールズ・ブロンソンの武骨さから程遠いと思える、彼の陽気なテンションを観ると、
「ブロンソンが喜んでいるから・・・まぁいいや」と、よく分からない“魔力”が発揮されるラストシーンだ。

テレンス・ヤングも途中から、映画の本筋を語ることよりも、
カタンガの異様さと、ジェームズ・メイソンの怪演と、ブロンソンの笑顔に完全に頼ってしまったようだ。
それなりの体裁を整えようとするなら、せめてクライマックスのカタンガを船に乗せて、
沖に出るシーンでは、それなりのアクション・シーンを見せて欲しかったのですが、実にアッサリと終わってしまう。
これは実に勿体なく、特に盛り上がるところなく映画が終わってしまう感じで、物足りない印象が残りますね。

ちなみにジェームズ・メイソンの愛人役でロサンゼルスから合流してくる若い女性を
演じたのはジル・アイアランドですが、彼女は当時、チャールズ・ブロンソンの実生活での妻でした。
(残念ながら1990年に乳がんで他界してしまいますが・・・)

夫婦共演は多い2人でしたが、主人公の妻役を演じるには若すぎると感じていたのか、
何故か本作の妻役はリブ・ウルマンが配役されてますが、リブ・ウルマンはもっと若かったのです・・・。

(上映時間93分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 テレンス・ヤング
製作 ロベール・ドルフマン
原作 リチャード・マシスン
脚本 アルベール・シモナン
   シモン・ウィンセルベルグ
撮影 ジャン・ラビエ
音楽 ミシェル・マーニュ
出演 チャールズ・ブロンソン
   リブ・ウルマン
   ジェームズ・メイソン
   ジル・アイアランド
   ミシェル・コンスタンタン
   ジャン・トパール
   ルイジ・ピスティッリ