クリムゾン・タイド(1995年アメリカ)

Crimson Tide

内政不安定なロシアで紛争が絶えず、核兵器を手にした反乱軍が米日を脅したことをキッカケに
極東の海域へ出陣することになった、原子力潜水艦の中で確かな確認がとれない指令をめぐって、
艦長と副艦長の緊張感満ち溢れる、艦内でのやり取りを中心に描いた密室性の高いサスペンス映画。

さすがはトニー・スコット、内容的にはとてもポリティカルでデリケートなのですが、
上手い具合にエンターテイメントに昇華させていて、安心のブランドって感じですね。

劇中の会話で広島・長崎への原爆投下の話しが、米軍の視点から語られたりして、
日本人にとってはは思わずドキッとするような会話もあるのですが、やはりアメリカ人の見方って、
あんな感じのが大勢を占めているのかもしれません。それはともかくとして、映画を政治の話しとしたり、
戦争を描くという視点にせずに、原潜艦内での規律という視点から描いたというのは、新鮮に感じましたね。

当然、アメリカ海軍ですから、部隊の規律性を高めるために内規があるわけで、
部隊に指示するにしても、大きな決断を下すにも、傍から見れば七面倒な手続きを課しているわけです。

映画で大きな焦点となるのは、一旦はワシントンから「ミサイルを撃て」という指令が来たものの、
次に新たな指示事項を受信する間に、アクシデントで通信手段が途絶えてしまい、新たな指令の詳細を
キチッと確認できる状態ではなくなり、それでも艦長は強硬に最初の指示に従い、ミサイルの発射を進めます。

しかし、ミサイルを実際に発射するとなると、艦長の独断で撃つというわけにもいかず、
暗号化されたワシントンからの指令も複数名で確認し、その指令を実行に移すことも副艦長の同意が
必要であるという内規になっているわけで、本作でデンンゼル・ワシントン演じる副艦長は
途中で通信が途絶えて解読できない新たな指令が確認できない状態で、最初の指令通りに発射をするということに
反対をして、部隊の前で艦長に異を唱えることで、艦内には妙な緊張が走り、次第に不穏な空気が漂います。

まぁ、デンゼル・ワシントンとジーン・ハックマンの対立構図としていることから、
白人と黒人の軋轢というニュアンスも無いわけではない。でも、僕はこの映画からは人種間の軋轢よりも、
上官のプライドに触った部下が、どうやって独善的な上官を止めるか?という観点から描いていると感じましたね。

この映画は、さすがにキャスティングの功績が大きかったのではないかと思います。
やはりデンゼル・ワシントンとジーン・ハックマンの攻防は、映画の見応えを格段にアップさせています。

映画の序盤に、デンゼル・ワシントンにジーン・ハックマンは「真の実力者は、あまり喋らない」みたいなことを
豪語していたにも関わらず、潜水してからは随分とあれやこれやと饒舌なのはどうなのかとは思ったけど(笑)、
それにしても、表情一つ一つや台詞を放つ間など、映画の大きなアクセントとなっているのは確かだ。
おそらく主演キャストが、彼らでなければ、この映画はここまで見応えのある内容にはなっていなかっただろう。

結論を言えば、それを引き出したトニー・スコットが偉いということになるのでしょうが、
ナンダカンダで軍の内規など無視をするかのように、愛犬を勝手に艦内に連れ込み、
やりたい邦題やって、実は不信感を持つ部下も多かったという設定が、この映画のポイントでもあるでしょう。

やたらと好戦的で艦長は結局、長年の乗艦歴の中で何かを成し遂げたという名誉が欲しかったせいか、
それゆえに阻むような発言をする副艦長の異論が、特に許せなかったのか、手段を選ばなくなるわけです。
だからこそ、2人の攻防はより激化し、部隊の士気に関わる重大な局面を迎えることになるわけです。
そういう意味では、この映画はシナリオも良かったのだと思います。主演2人も、演じ易かったのかもしれません。

しかし、決断することの重さをあらためて実感させられる映画ですね。
決断をするということは、決断した結果に対する責任を負うことが大多数なわけですが、
物事を決断するに至るまでは、本来、しっかりとしたプロセスがあって、根拠を持って決断をくだすわけですが、
それでも忘れてはならないのは、物事に絶対はないということ。故に、意図しない結果を招いた、
若しくは誤った決断であった場合は責任をとらなければならないということ。責任という言葉は時に曖昧ですが、
そんな責任を負うにも関わらず、現代は物事の決断のスピードを求められるから、難しくなっているのかもしれない。

あまり責任という言葉に捉われるのもどうかと思いますが、
本来、実行するか否かの決断というのは、最高責任者がくださなければならないわけではないと思う。
それよりも何より最高責任者(トップ)の重大な仕事は、実行していることをやめる決断をくだすことだ。
現代社会では、実行することが前へ進むことと誤認して、やめる決断をくだしたがらない責任者が多い。
皆、やめることで生じる結果に対する責任を負いたくないのだろう。それから、「やった気になる」というのもあるかも。

でも、実行していることをやめること、整理することの方が、実は遥かに難しいことで、
未来志向型のマネジメントなのです。だって、世の中は常に変わっていくわけで、時間も資源も有限です。
どんなに有能な人間でもAIでも、できることには限りがあり、そう驚くようなスーパーマンはいません。
だからこそ、次のアクションを起こすための余力を作ることというのは、責任者の最大の責務だと思う。

昨今、よく話題となる緊急事態宣言にしてもそう。出口戦略なんて、耳慣れない言葉で表現されてますが、
要は宣言を出すことよりも、解除する決断の方が遥かに難しい。みんな、やめることのリスクを恐れるからだ。
日本人は特にリスクコントロールをして、リスクを許容するという思想にないので、こういう閉塞感を生み出すがちだ。

戦争も同様。戦争を始めることよりも、戦争を終わらせることの方が遥かに難しい。
だからこそ、戦争は始めるべきではないのだ。まぁ・・・口で言うほど、そう簡単なことではないのだけれども。

本作はドン・シンプソンとジェリー・ブラッカイマーの名コンビのプロデュースです。
90年代後半あたりからジェリー・ブラッカイマーがやたらと娯楽色豊かな作品ばかり手掛けるので、
当時の映画ファンからは批判の対象でしたが、本作はそんな調子ではなく、どちらかと言えばシリアスな路線だ。

丁度、本作を製作したあたりで、ドラッグ中毒が表面化して深刻な状況になってきたドン・シンプソンと
ジェリー・ブラッカイマーから見切られコンビを解消した頃で、残念ながらドン・シンプソンは96年に他界しました。

本作はド派手な爆破シーンがあるわけでもなく、CGを大々的に使ったわけでもないので、
莫大な予算を投じた作品というわけではありません。トニー・スコットのストレートな演出が光る内容ですね。
奇をてらった演出を一切排し、終始、艦長と副艦長の攻防にクローズアップしたのが良かったですねぇ。

本来、ワシントンからの指令を忠実に守るために部下を率いるはずの艦長が、
副艦長との対立が露呈し、激しい攻防をする中で艦長は目的を見失ったかのように、ミサイルを撃つために
手段を選ばぬ行動をとり始めます。こういう姿を観ると、まるでただミサイルを撃ちたかっただけに見えてきますね。

そうなだけに、ラストの裁判のシーンではどことなく違和感がありますけど、
一見すると好漢に徹していた副艦長でしたが、このラストでは艦長が最後に“優しく”してくれたことで
裁判の中で異を唱える気が失せてしまったのか、いつの間にか恩義を感じているかのような表情を浮かべる。
副艦長のチョットしたダークな部分が見え隠れするラストなのですが、このラストは賛否が分かれるかもしれません。

個人的にはトニー・スコットの監督作品の中では、1位・2位を争うくらい楽しめた作品だ。

(上映時間115分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 トニー・スコット
製作 ドン・シンプソン
   ジェリー・ブラッカイマー
原案 マイケル・シファー
   リチャード・P・ヘンリック
脚本 マイケル・シファー
撮影 ダリウス・ウォルスキー
編集 クリス・レベンソン
音楽 ハンス・ジマー
出演 デンゼル・ワシントン
   ジーン・ハックマン
   ジョージ・ズンザ
   ヴィゴ・モーテンセン
   ジェームズ・ガンドルフィーニ
   マット・クレイブン
   ライアン・フィリップ
   スティーブ・ザーン
   ジェーソン・ロバーズ

1995年度アカデミー音響賞 ノミネート
1995年度アカデミー音響効果編集賞 ノミネート
1995年度アカデミー編集賞(クリス・レベンソン) ノミネート