コンテイジョン(2011年アメリカ)

Contagion

映画の出来はともかくとして...
僕はこの映画を最初にコロナ禍以前に観ていたのですが、コロナ禍を経た今になってもう一度観たところ、
あらためて本作の高い予見性に驚かされました。100%当たっていたとまでは言いませんが、かなり的を得ていました。

『トラフィック』などで知られるスティーブン・ソダーバーグの監督作品ということもあって、
スタイリッシュな映像表現や編集技法を期待していた人も多かったかもしれませんが、
本作はそういった技巧的なベクトルに傾くことなく、実にストレートにサスペンス描写に徹しています。

野生動物が媒介する未知のウイルスによる、謎の人獣共通感染症が発生し、
病原性が高くヒトに感染し市中感染が一気に拡大する恐怖に始まり、人々が無意識的にやってしまう行動から
無尽蔵に感染が拡大していく、いわゆるパンデミックの恐怖を題材にしており、まるでコロナ禍を予見していたよう。

マスクなどの衛生用品が無くなり、病院も感染者に対してどう対処していいのか分からない。
政府はマスコミを通して、市民に感染拡大防止を呼び掛けるために、スケープゴート(生贄)のような存在を立て、
次第に怒りに溢れた市民たちは、このスケープゴートにその怒りの矛先を向け始める。一方でSNSを中心にした、
インフルエンサーが生まれ、政府のウソを暴くという大義で、「この薬で感染から治ったのに、政府は無視している!」と
フォロワーを煽動するようになり、関係企業の間ではワクチン開発競争になるものの、このワクチンにも懐疑的な意見が
生まれ、上市するまでの時間をショートカットするためにと、科学的な裏付けが弱いままワクチン接種を開始する・・・。

これら全てが、現実に起きた一連のコロナ禍で私たちが目の当たりにしてきたことです。

僕は素直に、この映画の実に的確な予見性にあらためて驚かれました。
言い方を変えれば、おそらく本作で描かれていたことは以前から、疫学の研究者たちの間では懸念されていたことで
ひとたびウイルス・パニックに陥れば、ウイルスの感染拡大よりも人々の行いや噂の暴走の方が“凶器”になる。

映画の中では、やや曖昧に描かれているのですが、
ジュード・ロウ演じる自称ジャーナリストのアランは、感染から発病し、レンギョウと呼ばれる薬を服用して、
回復したということをSNSにアップすることで一気にフォロワーが増し、やがては警察に目を付けられるようになります。

確かに感染したというのも自己判断であり、なんだか怪しい雰囲気もあるのですが、
アランが問いただしていた、どこかハッキリしないスタンスの政府と、産業界の癒着構造も無いとは言えない。

アランに関する事実は藪の中という感じで、狂言なのか否かはハッキリしませんが、
彼のような正義感から行動することが、時に屈折したエネルギーにつながってしまう恐ろしさも感じさせる。
ワクチン接種の是非に関しては僕には何とも言えませんが、アランのようなインフルエンサーの意見力が
SNSを通じて肥大化していくことは否めないと思います。これは今回のコロナ禍でも、あらためて感じたことです。

細かな描写ではありますが、グウィネス・パルトロウ演じるベスの遺体について、
土葬を中心とするアメリカの葬儀会社が受け取りを拒否するというエピソードもしっかりと描かれている。
これはコロナ禍に於いて、ウイルスの脅威を正当に評価できておらず、遺体を安全に扱う手順が出来ていなかった
日本でも大きな話題になっていたことで、陽性患者の遺体については火葬することを優先していたことを思い出す。

パンデミックになると、デマや陰謀論がネット社会を通じて拡散される世の中であり、
それが市民生活を麻痺させ、人々をパニックに陥らせることを加速させることの恐ろしさ、医療従事者に留まらず、
防疫の専門家までもが感染してしまう脅威に、往々にして不顕性感染者がいて、この不顕性感染から感染が
拡大していく構図など、コロナ禍の約10年ほど前に製作された本作で、既にこれらの出来事が克明に描かれています。

ついでに言えば、ワクチンを入手する競争についても言及されており、
それを巡る誘拐事件にまで発展するのは現実世界では聞かなかったけれども、その可能性はありましたね。
それくらい特にコロナ禍に入りたてだった2020年の春あたりは、未知のウイルスの恐怖に晒されていましたからね。

こういう世相になってしまうと、決して間違った風潮とも言い切れませんが、
「危険側に振れるよりも、安全側に振れた方がマシだ」という考えから、ビビり過ぎるくらいで丁度良いという論調が
主流になってしまうので、なかなか後戻りできなくなってしまいます。こうなると、恐怖心の方が勝ってしまいますよね。

日本でも、今となっては考えられない出来事ですが、
店などに停められている居住地と違うナンバーの車に破壊行為やら、「来るな!」というビラを貼付したりと、
恐怖が勝った結果、理性的な判断ができなくなったがゆえの出来事が散見されました。これはホントに良い教訓です。
人間は感情で生きる生き物であるがゆえに、恐怖が勝ると論理的な判断よりも、感情的な判断が勝ってしまうのです。

ただ、この映画を観ていて一つだけ気になったのは、
あくまで現実論としての話しですが、新型コロナのときも一つの焦点であったのが発症までの潜伏期間で
本作で描かれた未知のウイルスも感染力が高く、ウイルスなので変異しやすいということも分かったのですが、
本来的には潜伏期間が長く毒性も中程度というウイルスの方が、拡がり易く、被害が甚大なものになり易い。

本作で描かれたウイルスのように、潜伏期間が短くて、致死性も高いという方が拡がりにくいとされています。
それはウイルスは独りでに増えて拡がっていくものではなく、必ず宿主の細胞に寄生して増殖していき、
動物同士で移し合うという基本事項があるからであり、潜伏期間が短く毒性が強いと、宿主が死んでしまうことが多い。

結果、宿主が死んでしまうと拡がらなくなりますからね。
むしろ潜伏期間は長い方が、他人への感染力が強まるのが発症よりも先のケースが多いために、
他人へ移しているリスクが大きいですからねぇ。本作は03年のSARSや09年の新型インフルエンザの流行が
キッカケとなって製作された映画と聞きましたが、CDCの協力を得ているとのことですから、ここは惜しかったなぁ。

映画の出来としては、そこそこの出来で平均点は超えた仕上がりだと思います。
パンデミックを見えない恐怖として表現した作品は稀であり、今までならゾンビ映画にでもなっていたでしょう。

そこを静かに生々しく表現したことで、より強い恐怖となってジンワリと観客に体感させる作品になっている。
感染源、いわゆるグラウンド・ゼロを特定することが重要と主張したいのだろうが、「1日目」をラストに持って来るのは
唯一、本作の中でスティーブン・ソダーバーグっぽいところですが、それ以外は彼の強い個性はあまり感じさせない。

でも、それが逆に本作にとっては良かったかもしれません。彼の器用さを証明したと思います。
僕はトリッキーな映像表現を使わなくとも、これだけジワジワと来るパンデミックの恐怖を表現することができるのだと、
スティーブン・ソダーバーグの力量の高さを感じました。あまり気取ったところもなくて、実に良い仕上がりだと思います。

相変わらずスティーブン・ソダーバーグの監督作品には、ビッグネームの俳優たちが集まりますが、
本作もその例に漏れることなく、豪華キャスト勢揃いだ。前述したベスを演じたグウィネス・パルトロウや、
CDCから派遣された調査官ミアーズを演じたケイト・ウィンスレットといった豪華女優陣が、あまりにアッサリと
退場していってしまうのには、さすがに驚かされた。これはこれで、このアッサリさに、強い恐怖を感じるかもしれない。

いやはや、普通の映画だったら、彼女たちのこの扱いって...あり得ないと思います(笑)。

結局、ウイルスも怖いけど、人の方が怖いよね・・・ってことになる。
勿論、パンデミックの世の中では他人との接触で感染するリスクがあるし、デマや拡大解釈した人の暴走、
そして暴徒化など、自分たちでドンドンとパニックを肥大化させてしまう。その原動力は恐怖であることが大半なのだ。

稀にアランのような、少々、屈折した正義感から暴走する人もいるけど、
悪意がないという前提の暴走って、何気に最強な気がする。だって悪意がないのですから、絶対に曲げないですよね。

(上映時間106分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 スティーブン・ソダーバーグ
製作 マイケル・シャンバーグ
   ステイシー・シェア
   グレゴリー・ジェイコブズ
脚本 スコット・Z・バーンズ
撮影 ピーター・アンドリュース
編集 スティーブン・ミリオン
音楽 クリフ・マルティネス
出演 マット・デイモン
   マリオン・コティヤール
   ローレンス・フィッシュバーン
   ケイト・ウィンスレット
   グウィネス・パルトロウ
   ジュード・ロウ
   ジェニファー・イーリー
   ブライアン・クランストン
   サナ・レイサン
   ラリー・クラーク
   エリオット・グールド