カクテル(1988年アメリカ)

Cocktail

ニューヨークのウォール街で働くことを夢見て、
米軍除隊後に単身でニューヨークへ訪れるものの、学歴や経歴の乏しさで片っ端から採用されず、
仕方なく、昼は大学へ通い、夜は賑わうバーでバーテンダーとして学費を稼ぐ中で、
カリスマ的なバーテンダーであったダグラスに見い出されて、バーテンダーとして腕を磨く姿を描いた青春映画。

とは言え、僕はこの映画、好きな人には大変申し訳ないが、ハッキリ言ってダメだと思います。

監督がロジャー・ドナルドソンということ自体に驚きですが、
彼の監督作として前作にあたる87年の『追いつめられて』はこんなに酷い出来の映画ではなかったので、
この落差の大きさには正直言ってビックリだ。トム・クルーズ自身もあまり良くは思っていないだが、
それもそのはずだ。これはお世辞にも秀でた出来の映画とは言い難いし、何も得るものが無い。

主人公が頑張る姿を描いたサクセス・ストーリーかと思いきや、
田舎から出て来た田舎者とは言え、それを言い訳にできないぐらい、人としてどうなのか・・・という失敗をするし、
映画の終盤に向けて、とても大事な段階に及んでも、この主人公フラナガンは何も学習をしていない。

何に周囲が怒り、失望しているのか、まるで状況を理解していない男というのを
あたかも表向きの誠意だけで、傷心の女性を言いくるめようとする感じになってしまっていて、
おそらく、この物語の原作はもっとワイルドな物語だったのでしょうが、中途半端にトレンディに描こうとしていて、
これを洗練された物語として受け止めるのは、そう容易いことではないなぁと感じさせるハードルを感じる。

この辺は撮影当時、ロジャー・ドナルドソン自身がどう思っていたのか知りたいのですが、
本作で最も特徴的と言えるのは、バーテンダーのアクロバティックで派手なフレアバーテンディングくらいで、
あとは、どこか終始、納得性に欠け、肝心かなめの主人公フラナガンの人間性に疑問を抱きつつも、映画が終わる。

つまり、ロジャー・ドナルドソンはシナリオがどのような形であったとは言え、
この手の映画としては、やはり主人公のフラナガンを最低最悪な男、というだけで終わってしまい、
結局は「何も変わっていないな」と観客に悟らせてしまうような感じで、映画を締めくくってはいけなかったと思うのです。
これはどんな内容であっても、主人公に人間的な魅力を見い出せる描写がなければ、映画として成立しません。

おそらく80年代後半のバブリーな時代ですから、こういったバーは実在したのでしょう。
映画で描かれるバーでのシーンも、客のほとんどはウォール街で働いていたり、会社を経営していそうな雰囲気。
つまり、皆、金はあったというわけで、そんな羽振りの良さが店内の喧騒をより盛り上げる魔力がある。
これこそ、昭和末期を生きた方々の一部が忘れられないであろう、バブルの空気を象徴した映画ではある。

だから、僕は全否定したくはないし、これはこれで当時の世相を反映した内容である。

でも、それでも...僕はこの映画を受け入れることは、どこか出来ない、と言うかしたくない。
実はこの映画、僕は3・4回は観ているのですが、その度に「自分の“波長”とは合わないなぁ」と思わせられる。
ロバート・パーマーの『Addicted To Love』(恋におぼれて)を歌いながら、カクテル作るシーンも見応えはあるが、
それでもこの映画を観ていて、どうにも湧き上がるエモーショナルなものがないし、この音楽も上手く使えていない。

主人公が“儲かるというキャッチコピー”に惹かれて、結局は数年間バーテンダーとして
暮らすことになったジャマイカでのエピソードにしても、どこか“取って付けた”ような流れに見えてしまった。

フレアバーテンディングは実際に見たことはないけど、酒が飲めない僕でもバーテンダーの腕を競う、
大会があることを知ってはいるし、傍から見てもこだわりのある職業という感じがして、なんだかカッコ良い。

かつて、札幌のすすきのに果物屋さんが経営していたバーがあって、
2005年頃に2、3回行ったことがあって、今でもスゴく記憶に残っているのですが、そこで飲んだカクテルが
ホントに美味しく、ファッション的に飲まれている印象があるカクテルも、真剣にこだわると美味しいことが分かった(笑)。

リキュール等々、お酒の質も大事なんだけど、一緒に使う果物によってスゴく変わる。
本作の主人公らは、そういった類いのカクテルを作っているわけではないけれども、酒がほとんど飲めない自分に
「これは旨い!」と思わせられる酒を提供するというのは、今になって思えばスゴいことだったと思う。
(調べたら、そのお店は2007年に拡張のため、近くで移転して今もダイニング・バーとして営業中のようだ)

僕は、下戸なんで大丈夫なお酒なんか無いのですが、特にビールは相性が悪いのか
飲み会でお酒を飲んでいたときも、まず頼まなかったのですが、本作でダグラスが朝から晩まで
愛飲していたレッドアイを、初めて旨いと思って飲めたのは正にこのお店で、あれは忘れられない。
さすがにダグラスのように生卵をレッドアイに入れて飲む気はしないけど、トマトが美味しいと味はまた格別でした。

そういう意味では、この映画、僕が最も不満に感じることって、
何よりフラナガンが作っているカクテルが美味しそうに映らないことで、誰もその点を褒めないということだ。
現代では食べ物は五感で評価すべきものとされているので、見た目も大事だし、エンターテイメント性を持たせて、
調理する過程でパフォーマンスを交えて楽しませるということもあるでしょう。しかし、それらも美味しさあってこそだ。
この映画はカクテルという、れっきとした食品を題材にした映画なのに、それが際立たないというのは、寂しい。

結局、当時のトム・クルーズの人気とフレアバーテンディングがカッコ良いとされる、
当時のバブリーな風潮に乗っかっただけで、後には何も残らない映画だったと揶揄されても擁護のしようがない。
この辺はロジャー・ドナルドソンがどう思っているのか、個人的には聞いてみたい。映画を観ても、響かないだけに。

この映画のヒットのおかげで、潤ったのは主題歌『Kokomo』(ココモ)がヒットしたビーチ・ボーイズ≠ュらい。
タイトルはジャマイカのリゾート地を示す地名らしいけど、このヒットのおかげで再評価の気運も高まりましたからね。

ヒロインのジョーダン役にはエリザベス・シューが出演している。
今なら確実に撮影しない、若しくは編集でカットされるであろう無意味なサービス・ショットもあったりして、
ファンには良いのかもしれないけど、こういう映画のヒロインという割りに、あまり大切に描かれたような感じではない。
フラナガンのキャラクターから言って、遊び回っている可能性はジョーダンも分かってはいたと思うのですが、
それでも本気になり、フラナガンのことをいつしか本気で愛していたという、純粋さをもっとしっかり描いて欲しい。

ニューヨークに戻ってからのエピソードだけで、それを表現しようというのは、かなり難しいでしょう。
まるでシンデレラのように扱われる彼女をフラナガンが説得しに来るなんて、まるで『卒業』のようだ。
でも、ここまでくると、僕はトム・クルーズがやればやるほど駄目な映画に見えてしまうようで、ついて行けなかったなぁ。

この頃から、僕はトム・クルーズは決して下手な役者ではないと思うし、むしろ上手かった。
でも、この映画はその根本から、僕の求める映画のベクトルとは“ねじれの位置”のような関係だったので、
最初から最後までてんで合わない感じでした。バブル期に青春を費やしていたら、違った感想なのかもしれませんが。

そうなだけに、これは勿体ないし、ロジャー・ドナルドソンがメガホンを取った作品なので、
もっと上手く出来たと思うのですが、当時のビジネスライクなところに負けてしまったのかなぁ。
映画はヒットしたので、当時の需要を満たしたのでしょうが、これは映画としては見どころが皆無に等しい。
まったくもって寂しい出来で、厳しい言い方かもしれないが、こういう映画を量産する片棒をかついでしまった。

個人的にはもっとストイックにバーテンダーのプライドを描いた映画に、撮り直して欲しい(笑)。

(上映時間103分)

私の採点★★★☆☆☆☆☆☆☆〜3点

監督 ロジャー・ドナルドソン
製作 テッド・フィールド
   ロバート・W・コート
原案 ヘイウッド・グールド
脚本 ヘイウッド・グールド
撮影 ディーン・セムラー
音楽 J・ピーター・ロビンソン
出演 トム・クルーズ
   ブライアン・ブラウン
   エリザベス・シュー
   ジーナ・ガーション
   リサ・ベインズ
   ローレンス・ラッキンビル
   ケリー・リンチ

1988年度ゴールデン・ラズベリー賞ワースト作品賞 受賞
1988年度ゴールデン・ラズベリー賞ワースト主演男優賞(トム・クルーズ) ノミネート
1988年度ゴールデン・ラズベリー賞ワースト監督賞(ロジャー・ドナルドソン) ノミネート
1988年度ゴールデン・ラズベリー賞ワースト脚本賞(ヘイウッド・グールド) 受賞