訣別の街(1996年アメリカ)
City Hall
これは決して派手さはないし、売れ線の映画ではないが...
徹底して地味かつ、硬派な路線を貫き通したポリティカル・サスペンスとして、評価に値する作品だと思う。
監督は89年の『シー・オブ・ラブ』でアル・パチーノを起用したハロルド・ベッカーですが、
動きの大きな映画ではないし、静かな男同士の駆け引きを描いており、僕はなかなか良い仕事をしたと思います。
賛否はあると思いますが、ニューヨーク市長を演じた主演のアル・パチーノは、
実に良い存在感で、映画の中盤にある少年の葬儀のシーンでのお得意の“大演説”は最大級のテンションだ。
90年代のアル・パチーノは出演作で、次々と“絶叫演技”をすることで否定的な意見も多かったけど、
本作のアル・パチーノの“大演説”は90年代でも最高潮のヴォルテージで、約5分にわたって大熱演。
そりゃ、現実的には人の葬儀でやることではない。
ただ、葬儀の参列者も「何しに来たんだ?」みたいな表情で、壇上に上がるアル・パチーノを見るほど、
不穏な雰囲気で、参列することはおろか、葬儀の場でスピーチすることも周囲から反対されるくらいの環境。
そこで彼は、あくまで政治家として票を集めるという最終目的を果たすために、
少年の尊い命を失い悲しみ暮れ、怒りに震える人々を前に、その抑圧された感情を惹起するかのように
アル・パチーノが“大演説”。言ってることは、「オレに協力してくれ!」ということが主旨なのだけれども、
あれだけの鬼気迫る迫力で、目の前で“大演説”されれば、そりゃ多くの人々は感化されるだろうなと、思わせられる。
それでいて、本作でのアル・パチーノは終始、どこか疲れ果てたような表情を見せる。
裏側で彼が見せる表情は生気が無く、人間的な感情を見せる瞬間も少ない。ONとOFFがハッキリしているのだ。
だからこそ、彼はカリスマであり、周囲の支持者を感化し多くの取り巻きを得て、
ニューヨーク市長まで上り詰めたのだろう。そんな彼の野心は留まるところを知らず、ゆくゆくは州知事、
そしてホワイトハウスに入ることを夢見ている。言ってしまえば、出世の野心を隠さぬ、典型的な政治家だ。
しかし、一人では何もできないことは彼が最もよく分かっているし、
有能、且つ行動力のある右腕が必要だと認識しているからこそ、ジョン・キューザック演じるカルフーンのような
有能な若者を3年間で補佐官に引き上げるほど、彼は政治家として側近の力を見極めていたのです。
でも、それはそれで政治家として間違いなく必要な能力であり、これがないと強い体制は作れないだろう。
市長が言う“信義(メンチカイト)”があってこそ、作り上げた人間関係であることを強調しますが、
それはただ単に持ちつ持たれつの関係であり、多少、ダークなことでも躊躇しない割り切りがあり、
言ってしまえば癒着で出来上がった人間関係である。マフィアとの間接的な関係も否定できず、
一見すると政敵である地元の政治家とも、実は裏でつながり、利益を配分するように公共事業の差配を行う。
しかし、真っ当な政治家に憧れ、アル・パチーノ演じるニューヨーク市長のカリスマ性に惹かれて、
市長補佐官に就任したカルフーンからすると、市長の政治理念に近づけば近づくほど、次第に疑問が沸いてきます。
映画は、ニューヨークはブルックリン地区で刑事とマフィアがお互いに銃撃し合い、
その流れ弾に当たって通りかかった少年も撃たれるなど、3人が死亡する事件の捜査にあたって、
実は刑事とマフィアが内通していることが明るみになり、行政を巻き込んだスキャンダルになることを懸念して、
自ら調査に乗り出したニューヨーク市長の補佐官と、殉職刑事の支援団体の女性を中心に描いていきます。
そこで絡んでくるのは、市長の政敵となる民主党の議員であるアンセルモの存在ですが、
表舞台では市長と対立関係にある存在でありながらも、実は裏では取引関係にある間柄であり、
政治の裏の世界を垣間見る存在である。演じるダニー・アイエロが相変わらずの上手さで、ピッタリの配役である。
特にプライベートではミュージカルが好きでカフェで歌い出したり、観劇してウットリしたりと、なんか「本物」っぽい。
懐かしのブリジット・フォンダも殉職刑事の支援団体の担当者を演じているのですが、
少々、出番が少ないのが気にはなるけど、映画の中では結構重要な役どころで決して悪い扱いではない。
日本では政治家と反社会的勢力との関わりが、厳しく指摘されますが、
当然それはアメリカでも同様でしょう。ただ、アンセルモを見ていると公然とマフィアと接触していたり、
アンセルモの妻もマフィアのボスと顔見知りだったりして、思わず「こんな政治家いるのだろうか?」と思ってしまった。
正直、ダニー・アイエロ自身がマフィアのボスみたいな風貌なので(←失礼)、
すぐにその関係を怪しまれそうな気がする。まぁ、実際には持ちつ持たれつみたいな関係なのかもしれない。
この映画の場合は一概に誰が大悪党とは言い難いが、それでも犯罪であり汚職に該当するので許されることではない。
本作が安っぽい政治映画ではないのは、カルフーンにしても熱き正義漢で
ただただ理想を追い求めるだけに一心不乱に前へ突き進むというだけではなく、現実をしっかりと見据えながら、
それでいて現実に負けることなく、自分の足で実証を重ねる。どうすれば相手を口説けるのかを考えながら行動し、
マフィアのボスからも脅威な存在であると認識される。この辺の微妙なニュアンスが、僕には大人な映画に感じました。
そこでクライマックスに、カルフーンが市長と対峙して、お互いに本音を探り合いながら、
正しい方向性へと導く、とても静かでありながら、内に秘めたる熱量が半端ではない攻防が展開されます。
普通に考えると、カルフーンからすればニューヨーク市長は直属の上司だし、
ルイジアナ州から大都会ニューヨークへやって来て、念願の政治の世界に入って活躍する
キッカケを作ってくれたのがアル・パチーノ演じる市長なのですから、市長の疑惑に対して独自の内偵で迫っていく
というのは、半端ではない勇気が必要なことだと思う。だからこそクライマックスの駆け引きは、なんとも味わい深い。
そう考えると、もっと煽動的なシーン演出を行って、大きく見せたくなってしまうものですが、
そこをしっかりと抑制の利かせた演出に徹して、静かに描き切ったことが逆にこの映画の重みを感じさせる。
言い過ぎだと思われるかもしれませんが、本作はハロルド・ベッカーの監督作品としては
ベストな出来ではないだろうかと思う。生真面目に作られた脚本で、大きな動きのある内容ではないが、
ストレートなアプローチで撮った政治映画として、正攻法で作られた上質な作品と言っていいと思います。
ハッキリ言って、大きなカラクリがある作品でもないし、ビックリさせられるラストでもない。
本作はあくまでミステリーに軸足を置いた作品ではなく、政治家の駆け引きに軸足を置いた作品なので、
謎解きを追う映画が好きな人にはオススメできる内容ではありませんが、僕はこの映画の雰囲気に合っていると思う。
そういう意味ではハロルド・ベッカーのアプローチは間違っていないと思うし、『シー・オブ・ラブ』のような映画よりも、
ハロルド・ベッカーには本作のような硬派でストレートな作品の方が合っているのではないかと思います。
但し、この映画の原題になっている「市庁舎」というのも、あんまり映画の主旨を反映していない気がします。
かと言って、この邦題も正直、意味不明なのですが...原題も邦題ももっとマシなのが無かったのでしょうかねぇ。
勿論、市庁舎内でのエピソードも数多く描かれてはいますが、
映画は後半に差し掛かると、カルフーンが単独で事件の内偵を進めることがメインに切り替わってしまうので、
市庁舎自体の存在感が映画の中でそこまで高くはない。原題にするのであれば、もっと強調して描いて欲しかったなぁ。
それと意味ありげに終盤で描いていた、カルフーンらが乗っていた
ニューヨークへ戻るために乗っていた列車が除雪のために1時間停車した駅の近くのダイナーで、
カルフーンがレモンプディングを頼んで一口だけ食べるのですが、なんだか気になるアイテムでした。
あのシーンは一体どんな意味があったのだろうか?
(上映時間111分)
私の採点★★★★★★★★★☆〜9点
監督 ハロルド・ベッカー
製作 エドワード・R・プレスマン
ケン・リッパー
脚本 ケン・リッパー
ボー・ゴールドマン
アンドリュー・バーグマン
撮影 マイケル・セレシン
音楽 ジェリー・ゴールドスミス
出演 アル・パチーノ
ジョン・キューザック
ブリジット・フォンダ
ダニー・アイエロ
マーチン・ランドー
デビッド・ペイマー
アンソニー・フランシオサ