セントラル・ステーション(1998年ブラジル・フランス合作)

Central Do Brasil

96年にサンダンス・NHK国際映像作家賞を受賞して、製作にあたっての支援を受けて、
映画化が実現し、98年のベルリン国際映画祭で最優秀作品賞を受賞するなど、国際的に高い評価を得た秀作。

雑踏が行き交うリオデジャネイロの駅で、手紙の代筆業を営む女性が
飲んだくれて家出してしまったとされる亭主へ宛てた手紙を書いてくれと依頼されたものの、
駅の近くで交通事故死してしまい、残された息子を引き連れて、父親探しの旅に出る姿を描いています。

これはとっても良く出来た作品で、サンダンス映画祭で評価されて映画化へ向けて、
製作の経済的なアシストを受けて、全国で劇場公開されることになってホントに良かったですね。
少々、終わり方に疑問に残るところはありますが、観た後の充実感はとても大きな映画だと思います。

ベテラン女優のフェルナンダ・モンテネグロ演じるドーラは、実は孤独で充実感を得られない日々だ。
決して莫大な収入が得られるわけではない代筆業を営み、おそらく年齢的にも若くはない設定だろうが、
体力的に静かな余生を送るわけにもいかず、物騒で治安の悪い駅で働き続けざるをえない生活を送っている。

最初は目の前で母親が交通事故死しようが、残された子供が困っていようが、
どちらかと言えば、「関わりたくない」という彼女の本音が見え隠れする態度・行動で、現代社会を象徴している。
もっとも、特にブラジルともなれば、そうでしょう。これが日常茶飯事とは言いませんが、少なくとも日本人の感覚とは
異なるだろうし、助け合いの精神がないわけでもないだろうが、どちらかと言えば、自分の生活で精いっぱいだろう。

しかし、アパートの仲良しで元教師のイレーニに諭されて、次第にドーラはドーラなりに心を開いていきます。

特に怪しげなブローカーに大金を引き換えに困った子供を預けて、喜んでいたドーラでしたが、
イレーニに「世間知らずね! それは殺されて、臓器を売られるのよ!」と言われ、恐怖と後悔にかられて、
それまでのドーラの生活からは想像もつかないぐらいに、力技で子供を取り返しに行くシーンが印象的です。

そこからは、ドーラを中心としたロード・ムービーに転じるのですが、
心優しきトラック・ドライバーとの出会いから、「心を許してもいいかな・・・」と久しぶりの淡い恋心を募らせ、
思わずトイレで見知らぬ女性から口紅をもらって、なかなかしない化粧をして出てくるなんて心ときめくエピソードもある。

ドーラと子供の交流の一つ一つが、次第に良い思い出に変わっていくような瞬間を見事に捉えている。
普通だったら、「うるさいなぁ!」と幼いながらも反抗心を剥き出しにしがちなところを、徐々に心の交流を深め、
急ぎ過ぎない適度なスピード感で、お互いの心の距離をゆっくりと縮めていく感じなので、それだけ固い絆になる。
この映画のシナリオは確かに魅力的なもので、なかなか無いタイプのロード・ムービーとして価値が高いものです。

正直、ブラジルで製作された映画って、ほとんど観てこなかったのですが、
本作はとてもレヴェルが高い映画であって、単に脚本の完成度の高さだけではなく、
一つ一つのシーン演出にしても、実に丁寧かつ繊細に描かれており、映画全体がとても質の高いものだと感じました。

細かな部分では日本人の感覚とは、当然大きく異なります。
一般にブラジルは治安が悪いというイメージがありますけど、この映画でもその一端は描かれてる。

駅の商店で小物を盗んだ万引き犯は、駅の商店のボスのような怖いオッサンに徹底的に追われ、
終いには駅の外れで無情にも射殺されて、それでも警察は動かないし、始発列車に席をゲットするためなのか、
我先にも窓からも車内に侵入して、人波が次々と列車内にゴッタ返すシーンなんかは、考えられない光景です。
こういうのを観ると、日本をはじめとする国々では、ドアが開くまでホームで秩序を保って待っているし、
車内に我先にと全員がなだれ込むような、マナーの悪さが生み出すカオスな感じは無いからか、まるで感覚が異なる。

車内に席が無いからと言って、危険な屋根に登って無理矢理に列車に乗車することもないし、
ドアを開けたまま発車するというカオスも無い。こういうのでいちいちカルチャー・ギャップを受けてはいけないのかも
しれないが、でも、これがブラジルの現実なのかもしれない。つまり、常に警戒心を持って行動しなければならないのだ。

ドーラもこういう毎日に飲み込まれる存在であり、華奢な年老いた女性ではありますが、
こういう現実の中で生き抜く術(すべ)を持っているからこそ、映画の序盤にあるような無感情的な態度なのだろう。

確かに価値観の違い、国民性の違いなど、あらゆるキャップを感じる内容ではあったが、
そのギャップを埋める過程を楽しむ要素が本作にはあって、とても興味深かったですね。
と言うのも、映画が進むにつれて、次第にドーラが素顔を見せ始めて、ドーラと少年の心の交流が始まり、
観客とドーラの距離感も徐々に縮まっていく感じで、実に上手く物語が展開していく。その過程でギャップも埋めていく。

そのせいか、すっかり映画の終盤ではドーラの心境、少年の想いと自分の目線がシンクロしていましたね。

本作は潤沢な製作費があったわけでも、強力なスタジオがバックにいたわけでもありません。
劇場公開当時から、サンダンス映画祭で評価され映画化が実現しただけに大きな話題ではありましたが、
日本でもあくまで単館系のいわゆるミニシアターで劇場公開されたわけで、扱いは大きくはありませんでした。
それが本作には合っていたと思うし、インディペンデント系の映画特有の良さもあって、実に良い塩梅の映画だと思う。

そういう意味でも、僕はホントに映画化が実現して良かったなぁと思います。
サンダンス映画祭で見い出されていなかったら、ホントにいつ映画化されていたか分からないですからねぇ。

最初はお互いに警戒していたし、そもそもドーラは面倒を看ることに意欲的ではなかった。
ただホームレスになる姿が痛ましく、保護をしようとするが、目先の大金に目がくらんで少年を“売り渡した”。
しかし、それでも見捨てることはできないと、心の葛藤がありながらも親の元へ届けようとする姿が実に尊い。
子育ての経験があるのかは詳しくは語られないが、ドーラにとって少年はまるで息子のように見えていただろう。

確かにドーラは最初っから模範的な人間というわけではない。
それどころか、前述したように目先のお金に目がくらんで少年を売り飛ばそうとさえしたくらいだ。
お金を取って代筆した手紙も抹消しようとしたり、この辺はドーラが共感を得難いところがあるかもしれない。

しかし、そんなドーラが「大変なことをしてしまった・・・」という後悔にかられて、
ドーラは少年を憂い、次第にお互いの距離を縮め、お互いに信頼し合って固い絆で結ばれていきます。
この映画では、特にリオデジャネイロから脱出するために飛び乗る、長距離バスに乗ってからの描写は実に見事だ。

時にぶつかったり、分かり合えない瞬間もありますが、徐々にお互いに心の交流を深めていきます。
そういう意味では、ドーラに声かけられて、売り飛ばされたことも自覚あったはずなのに、それでも父に会うためと
ドーラのことを慕って、彼女を信じ通す少年はスゴいですね。ある意味では、ドーラは少年との出会いで成長するのです。

主演のフェルナンダ・モンテネグロは撮影当時、60代後半だったと思うのですが、若いですね。
化粧してからは少年が言うように女性の身だしなみって感じになりますけど、途中、立ち寄った田舎町で
即席で代筆業を営んで儲けたお金で泊まったモーテルのベッドで、少年と並んで寝るシーンを観ても、若いなぁと思った。

監督のヴァルテル・サレスも高く評価されるキッカケとなった作品となりました。
彼は01年に『シティ・オブ・ゴッド』のプロデュースを担当したり、国際的に高く評価されるブラジル映画に加わっており、
彼自身は他国に渡って映画を撮っていないようですが、長く活躍するブラジル映画界の実力者の一人です。

本作が高い評価されたことがキッカケで、サンダンス映画祭のプレゼンスも上がったと思います。

(上映時間109分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 ヴァルテル・サレス
製作 アーサー・コーン
   マルティーヌ・ドゥ・クレルモン=トネール
脚本 ジョアン・エマヌエル・カルネイロ
   マルコス・ベルンステイン
撮影 ヴァルテル・カルヴァーリョ
音楽 アントニオ・ピント
   ジャック・モレレンバウム
出演 フェルナンダ・モンテネグロ
   マリリア・ベーラ
   ヴィニシウス・デ・オリヴェイラ
   ソイア・ライラ
   オトン・バストス
   オタヴィオ・アウグスト

1998年度アカデミー主演女優賞(フェルナンダ・モンテネグロ) ノミネート
1998年度アカデミー外国語映画賞 ノミネート
1998年度イギリス・アカデミー賞外国語映画賞 受賞
1998年度ロサンゼルス映画批評家協会賞主演女優賞(フェルナンダ・モンテネグロ) 受賞
1998年度ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞 受賞
1998年度ベルリン国際映画祭金熊賞 受賞
1998年度ベルリン国際映画祭主演女優賞(フェルナンダ・モンテネグロ) 受賞