カリートの道(1993年アメリカ)

Carlito's Way

これは80年代後半から低迷期に入っていたデ・パルマの面目躍如の快心の作品。

83年に『スカーフェイス』でタッグを組んだアル・パチーノと再び組んで、なかなか断ち切れない裏社会の闇を
敢えてロマンスを中心に描くことによって、この手のマフィア映画にはなかなかない妙味を引き出している。

いきなり30年の懲役刑が減刑され、5年で出所するところから始まるので、
主人公のカリートが何をキッカケに裏社会と訣別し、堅気として生きていく決意をしたのか、
また、その決意が不透明なまま映画が始まってしまうのが、少々、この映画の足を引っ張っている感はあるのですが、
それでも本作でデ・パルマが表現したかった世界観はよく分かるし、なかなか足を洗えないジレンマを見事に表現。

しかも、デ・パルマの監督作品の持ち味ともいえる、強いこだわりを感じさせるカメラワークや
引き締まった緊張感あるキレ味良い演出など、それまでの不振を払拭するように快心の出来に仕上げてきました。
(ただ、残念ながら本作以降のデ・パルマは...また元に戻ってしまった感じがするけど・・・)

まぁ、ロマンスがベースにある映画ですので、常にヒリついた緊張感が漂っているわけではありませんが、
口ではみんなが仁義を大切にするような発言はしているものの、いつ自分が裏切られて命を狙われるか分からない、
油断や隙が命取りになるような不安定さというのは映画全体を支配していて、カリートの精神が休まることはない。
そんなアウトローな世界を、ロマンスをベースに描くというデ・パルマにしては実に器用なことをやっていて感心した(笑)。

相変わらず、デ・パルマが駅が大好きなんだということが、本作を観ているとよく分かる。
まるで87年の『アンタッチャブル』を思い起こさせるようなアクション・シーンもあったりして、
グランド・セントラル駅のロケーションの良さも相まって、ジックリとアクションを見せてくれうのが嬉しい。

ベタではありますが、エスカレーターを使ったアクション・シーンのカッコ良さにはシビれたなぁ。
やっぱりこういうシーンを撮らせると、デ・パルマは上手い。いつまでもこういう映画を撮って欲しいなぁ。

どうも、デ・パルマはデビュー当時のヒッチコックの70年代版とも言える、トリッキーな映像表現で
映画評論家や映画ファンから高く評価され、“そういう”映画を撮るうちに彼なりの迷路に入ってしまったように見える。
確かに僕も、“そういう”映画も好きなんだけど、一つの枠の中で映画を撮ることに、早い段階から限界を感じて、
なかなか原点回帰するキッカケを得ることもできず、デ・パルマらしくない映画を撮った時期が長かったように思う。

ホントは初期の段階から、いろんなジャンルの映画を撮って経験を積んで、
デ・パルマの作家性を広げられれば良かったとは思うのですが、そういうキャリアは積んでいませんでしたからね。
そういう意味で本作は、デ・パルマが良い意味で原点回帰するキッカケであったのかなとも思いますねぇ。
その中で、ロマンスを映画のベースにするなど、新たなアプローチがあって、それが上手くマッチしたと思います。

本作はアル・パチーノ兄貴の哀愁味ある芝居も素晴らしいのだけれども、
ヒロインのゲイルを演じたペネロープ・アン・ミラーの存在感が、また素晴らしいんですね。本作によく合っている。
ほど良く所帯じみた感じもあって、ほど良く若々しさがあって、ほど良く幸薄そうな雰囲気もあって。
彼女は90年の『キンダガートン・コップ』のヒロインなどで当時は注目されていましたが、あまりブレイクしませんでした。

97年の『レリック』で主演に抜擢されたこともありましたが、個人的にはもっと活躍して欲しかった女優さんの一人。

カリートのマブダチでも悪徳弁護士クラインフェルドを演じたショーン・ペンは言うまでもない仕事ぶり。
特殊メイクを駆使して、一見するとショーン・ペンだと分からないくらいの“変装”をしていますが、
ここまでの役作りをしたということは、ひょっとしたら実在の人物でクラインフェルドのモデルがいたのかもしれませんね。

あらためて思いますが、本作でも描かれている通り、一度つながってしまった裏社会と手を切ることは難しい。
何をしたら、どの段階になれば「更生した」と言ってもらえるのは僕には分かりませんが、これは万国共通だと思う。
そもそもカリートはゲイルに会いたい一心で、出所後は一儲けしてバハマに逃げるという夢を持って勉強し、
友人のクラインフェルドに弁護を依頼して減刑を達成しますが、そもそもクラインフェルドは悪徳弁護士で知られている。

いくらマブダチだからと言っても、ホントに「更生した」ならば自身の弁護をクラインフェルドにお願いしないだろうし、
もっと違うことは考えるだろう。そんな常識的なことを言っても仕方ないのですが、カリートも劇中語っているように、
「自分が手を切ろうとしても、アイツら(裏社会)から寄ってくる」ということは、おそらく当たり前に起こることだろう。

なんせ、出所直後に迎えに来た従兄弟が、早速ヤクの売人をやっていて、
帰宅する前にバーに立ち寄って、カリートのことを自慢がてらコカインを売ってきたいと言われるくらいですから、
結局、そう簡単に悪の道から手を切れないし、社会に出ては目の前に悪の道が広がっているというわけです。

いつ出所したかも公然の事実だし、そうなると出所後どうするのかも周囲から見られている。
カリートの仁義もあるのだろうが、カリートもずっと気にしていたように裏社会に生きる人間は周囲の目も重要となる。
だからこそ、仲間から甘く見られないようにと、“見せしめ”のような犯罪行為をすることもあるというのがセオリー。
しかし、ここで中途半端に振る舞ったカリートは、この“見せしめ”について判断を見誤ってしまったのが彼の致命傷。
でも、それをカリート自身のナレーションで「いかん、いかん。つい昔のクセが出てしまった」と言うのが、妙に人間クサい。

裏社会で一匹狼のように生きて、いくら悪の伝説があるカリートとは言えど、やっぱり一人の人間だということ。
こういった人間クサい部分を描いたというのも、他作品のデ・パルマだったらありえなかったことだと思いますね。

クライマックスのオチも悪くないとは思うのですが、個人的にはデ・パルマらしいフラッシュ・バックが残念。
映画の冒頭と最後に、バハマのビーチのポスターだけがカラーで、それ以外はモノクロームという映像も良いけど、
僕はここはデ・パルマっぽくなくなるけど、フラッシュ・バックを使わない方が本作はグッと引き締まったと思う。
これはオチが分かるから止めた方が良いと言っているわけではなく、単純にフィルム・ノワールを踏襲するよりも
僕はあくまで本作を恋愛映画として捉えたので、一つ一つ弁証するようにラストに結び付けた方が良かったと思う。
別に映画の冒頭で結末を暗示せずとも、映画は成立したはずだし、より悲恋な雰囲気も高められたはずだ。

まぁ、それでも飽きさせないところが本作のデ・パルマの強みではあるのですが、ここだけは気になった。

劇中、何度か流れるジョー・コッカーの You Are So Beautiful(ユー・アー・ソー・ビューティフル)がなんとも切ない。
これはカリートとゲイルのどこか刹那的な恋を象徴するような選曲で、デ・パルマにしては音楽のセンスが良い(笑)。
相変わらず情熱的なアル・パチーノ兄貴ではありますが、一方ではゲイルに対してはとてつもなく寛大で優しい。

血気盛んで若いマフィア気質な男であれば、ゲイルがストリッパーだと知ったら激怒するだろうし、
イタリアン・マフィアとダンスホールで踊るなんて、相手をボコボコにするほどブチギレしていたかもしれない。
しかし、本作でのカリートはそれでも微笑み、光り輝くゲイルを優しい眼差しで見つめているという姿が、実に印象的だ。

それでも、カリートが「サプライズだ」と言って、夜中にゲイルのアパートを訪ねて、
鍵をかけられた玄関越しにゲイルに見とれ、カリートが玄関を破ってゲイルとのキスシーンになだれ込む
一連のシーンはとても情熱的で、インパクトが強い。そう、本作のアル・パチーノはその出し入れがとても上手い。
ひょっとしたら、90年代の彼の出演作で本作が最も豊かに表現された、出色の芝居だったのかもしれませんね。

こういった感情の出し入れが、本作はとっても良い塩梅で上手いなぁと感心させられました。
デ・パルマがここまで器用に表現できるとは思っていなかったので、本作の内容にはホントに驚かされる。
『スカーフェイス』の後日談でもあるような内容であり、デ・パルマがホントに描きたかったことなのかもしれません。

本作は『スカーフェイス』ほど熱狂的でカルトな人気を生む作品ではないかもしれませんが、
夢を追いかけつつも、なかなか上手くいかない男の悲しくも皮肉な運命を描いた作品として、もっと評価されていい作品。

(上映時間143分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 ブライアン・デ・パルマ
製作 マーティン・ブレグマン
   ウィリー・ベアー
   マイケル・S・ブレグマン
原作 エドウィン・トレス
脚本 デビッド・コープ
撮影 スティーブン・H・ブラム
音楽 パトリック・ドイル
出演 アル・パチーノ
   ショーン・ペン
   ペネロープ・アン・ミラー
   ジョン・レグイザモ
   イングリット・ロジャース
   ルイス・ガスマン
   ヴィゴ・モーテンセン
   エイドリアン・パスダー
   ジェームズ・レブホーン