ケープ・フィアー(1991年アメリカ)

Cape Fear

62年の『恐怖の岬』を名匠マーチン・スコセッシがリメークしたサスペンス・スリラー。

オリジナル作品では、バーナード・ハーマンが作曲したスコアでしたが、
本作ではそれをエルマー・バーンスタインがアレンジして、より直接的な恐怖心を煽っている。

映画は強姦の罪で14年の服役生活を終えたマックス・ケイティが出所するところから始まる。
彼は刑務所内で文字を学び、聖書やあらゆる歴史書、法律書を読みあさり、自分を十分に弁護しなかった
公選弁護人であるサムを逆恨みし、出所後はサムが暮らす小都市に住居を構えて、すぐにサムに接近して
彼の家族を含めて用意周到かつ、不法行為スレスレのところで陰湿な嫌がらせを繰り返すようになります。

そんなマックスにストレスを感じるサムはやがて苛立ちを隠せないようになりますが、
決して常に仲が良いとは言えない妻リーとの夫婦関係や、難しい年頃の娘ダニエルらを巻き込んで、
忍び寄るマックスの狂気に脅えながら、私立探偵カーセックを雇って、彼のアドバイスに従って
あらゆる手を尽くしてマックスを遠ざけようとしますが、次第にサムは弁護士業界でも不利な立場に追いやられます。

この映画は、あまり前のめりにならずに、少し斜に構えて観た方が楽しめると思います。

オリジナルである『恐怖の岬』とは全く別な作品となっていて、かなり全体としてステレオタイプである。
『恐怖の岬』では描けなかったニュアンスも大胆に採り入れており、映画終盤の攻防はほぼアクション映画である。
これはマーチン・スコセッシも確信犯的にやっていると思うし、オリジナルと大きく差別化しようとする意図が感じられる。

映画の冒頭からマックスを演じるデ・ニーロのやり過ぎなくらいの全身イレズミだらけ、
そして撮影当時48歳とは思えないほどの筋肉隆々に鍛え上げられた肉体に圧倒されますが、
この映画でデ・ニーロの芝居モードが、完全にホラー映画のモードで演じているようで、結構な暴走モード。

対するサムを演じるニック・ノルティも、他の出演作品からすると善良な市民を演じるというのも
なんだかギャップを感じさせるキャスティングですが、こういう役柄も上手く演じることができると証明しましたね。

オリジナルの『恐怖の岬』では、善良な弁護士サムをグレゴリー・ペックが演じ、
彼を逆恨みするマックス役をロバート・ミッチャムが、サムにアドバイスする警察署長をマーチン・バルサムが演じました。
彼らは本作にも登場時間は短いですが、ゲスト出演していて、これもマーチン・スコセッシの人脈ですかね。

面白いのは、本作ではサムに色々とアドバイスする刑事役としてロバート・ミッチャムが登場して、
痛めつけられたマックスが雇った敏腕弁護士で、サムの謀略を聞いて法曹界にサムの追放を申し立てる、
弁護士ヘラーを演じたのがグレゴリー・ペックで、そんなサムに不利な判決を下す裁判官をマーチン・バルサムが配役。
彼らはそれぞれが『恐怖の岬』で演じた役柄とは、全く正反対なキャラクターでゲスト出演していることですね。

劇場公開当時も話題となったようですが、サムの娘ダニエルを演じたのが、
ジェフリー・ルイスの娘であるジュリエット・ルイスで、実質的に本作で注目を浴びる結果となります。
僕はこの映画のジュリエット・ルイスの表現力はスゴいと思う。中盤にインパクト強い、デ・ニーロとのキスシーンが
ありますけど、別にあれを演じたからスゴいというわけではなく、終盤の攻防といい、撮影当時18歳とは思えない。

そして、サムの妻リーを演じたジェシカ・ラングも相変わらず素晴らしいですね。
クライマックス、船の中にマックスが潜入してきたおかげで、危うくレイプされかけますが、
その後に更にサムを痛めつけようとするマックスを見て、咄嗟にマックスを説得するシーンは真に迫っていた。

このキャスティングの的確さは、本作の売りでしょう。あらためて、キャスティングの重要性を実感します。

しかし、この映画で描かれるマックスの存在感の恐ろしさは印象的だ。
サムの不倫相手の頬に噛みつくのはともかくとしても、サムの行く先々に現れてプレッシャーをかけ続ける脅威。
そして、サムだけではなく、サムの目が届かないところで妻子とも接触していき、家族に近づくという脅威。

それら脅威が爆発し、既に家の中にいるかもしれない・・・という恐怖と、常に闘い続けなければならなくなる。
14年間の服役生活の中で、そんなことばかり考えていたのかとは思いますけど、恨みって怖いですからね。
彼曰くは、理論的かつ哲学的に考えた結果なのかもしれませんが、腕っぷしの強さに加えて、知恵をつけた恐ろしさ。

まぁ・・・映画が終盤に入るにつれて、家の中に侵入して変装したり、
サムの車の下にへばり付いて、サムの逃走先まで押し掛けたりするのは、結構なギャグには見えますがね。
ただ、映画を最初っから観ていると、思わず「このデ・ニーロならやりかねない」と観客に思わせることができている。
そう思わせたら、どんな非現実的なことでも映画に収めてしまえるので、マーチン・スコセッシの勝ちですね。

内容的にはオリジナルに忠実という見方もできるけど、
そういう意味では映画のコンセプト自体はまるで違うものという気がしますので、別物と考えた方が良いでしょう。

いずれにしても、この映画は「覚悟」を示していると思う。
マックス自身も、この執念の強さをサムへの復讐に向けて、徹底してやるという「覚悟」を感じさせるし、
サム自身も、いろいろな思いがありながらもマックスの脅威が近づくにつれて、どれだけの「覚悟」を持って、
マックスに対抗するかが試されているようなものですし、マーチン・スコセッシも『恐怖の岬』の物語を
現代的な解釈を持って、如何に大胆にアレンジするかという「覚悟」を持って、映画を構成している。
(オリジナルが好きな人から見れば、この映画って邪道に見える部分もあるでしょうしね・・)

サムはマックスの弁護にあたって減刑が期待できる証拠を握り潰したという、痛い過去がある。
これは弁護士としてはやってはならないこと。一方でマックスはこの事実を知ったようではあるが、
実は14年もの刑期になったのは、刑務所内の調理場でのトラブルが原因で7年もの刑期延長を喰らっている。
それでもこの14年間もの恨みと言い放つので、マックスの恨みは逆恨みと言っても過言ではないと思う。

現実的にはストーカーに近いものがありますので、そういう意味では先駆的な作品だったような気がします。
昔から、こういう陰湿な手口で嫌がらせしていたのがエスカレートして事件化したということはあったのでしょうが、
執拗なやり方で犯罪に至るストーカーの存在が注目されたのは、90年代半ばになってからですからね。

まぁ、ホントに私有地への不法侵入というだけで正当防衛が認められるのかは知りませんが、
現代のセキュリティの水準から言うと、今であればもっとマックスの接近を的確に防げそうな気はしますが、
やっぱりサムのように恨みをかってしまうと、常に脅えながら過ごすことになるし、日常生活にも支障がでる。

警察はアテにならないし、さすがはアメリカ、こうなると自衛するしかないという発想になる。
私立探偵しても、雇うとなれば当然お金がかかるし、サムは自分で銃を持つ決断もしているわけですね。

こういう姿を見ると、アメリカの銃社会というのはなかなか解消されないでしょうね。
「安全はタダではない」とはよく言ったもので、やはり彼らには自衛という精神が根底にありますからね。
こうなると、少々拡大解釈すると、一般家庭でも自衛のために銃は必要だという発想になるでしょうね。

ちなみに本作はスピルバーグの映画会社である“アンブリン”が出資している。
そのせいなのかは分かりませんが、クライマックスの船の上でのマックスとの対決シーンはなかなかの迫力だ。

そんな中で描かれるマックスの不死身っぽいところが、映画の最後の最後までしつこく描かれる。
某ホラー映画のようにタバコの火が上半身に引火しても死なないし、その姿はもう超人的ですらある。
しかし、これも含めてマーチン・スコセッシがやりたい放題やって成立している映画であり、立派なエンターテイメントだ。

ただ、映画に重厚さはありません。マーチン・スコセッシの他の監督作品とは毛色が異なる映画だ。

(上映時間127分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 マーチン・スコセッシ
製作 バーバラ・デ・フィーナ
原作 ジョン・D・マクドナルド
   ジェームズ・R・ウェップ
脚本 ウェズリー・ストリック
撮影 フレディ・フランシス
美術 ヘンリー・バムステッド
音楽 エルマー・バーンスタイン
出演 ロバート・デ・ニーロ
   ニック・ノルティ
   ジェシカ・ラング
   ジュリエット・ルイス
   ジョー・ドン・ベイカー
   イリアナ・ダグラス
   ロバート・ミッチャム
   グレゴリー・ペック
   マーチン・バルサム

1991年度アカデミー主演男優賞(ロバート・デ・ニーロ) ノミネート
1991年度アカデミー助演女優賞(ジュリエット・ルイス) ノミネート