バニー・レークは行方不明(1965年イギリス)

Bunny Lake Is Missing

ストーリーだけで観るならば、疑問が残る部分は多い映画ではあるけど、
これは僕はとても斬新な作品で、ある意味では時代をかなり先取りした作品なのではないかと思う。

話しの様相も二転三転させるのですが、作り手のコントロールが絶妙で、
映画の終盤は一気にスリラー色を増し、常軌を逸した精神状態を巧みに描き出していきます。

映画はイギリスで雑誌記者をする兄と共に暮らすために、
アメリカから一人娘と共に船でロンドンに渡ってきたシングルマザーが、新居が空くのをロンドン市内の別宅で待ち、
4泊後に新居で生活を始めるにあたって、愛娘を近所の幼稚園に預けたところ、娘が行方不明になることから始まる。

慣れない土地、異国の地という不安から、次第に情緒不安定に陥っていく母親。
自信満々に幼稚園の管理体制を指摘して、警察を自ら呼び、公開捜査を求める冷静な兄。
しかし、証言内容を立証し切れず、次第に警察側は娘が実在するのかという観点から、捜査を進めます。

ストーリーを追うだけなら疑問が残る・・・というのは、
本編を観れば、分かりますが、母親の新居となる家の大家の存在でしょう。

ハッキリ言うと、不気味。現代の感覚では、まったくありえないことを平気でやってくる。
鍵がかっていないからということで、部屋の中に勝手に入り込んで、セクハラをしてくる。
今の時代なら、強姦犯の手口のようなやり方で、何故かヒロインもあしらうように冷静に対応しているけど、
あれは完全に常軌を逸した犯罪行為であって、警察に被害届をだしても良いレヴェルでしょう。

当時の感覚からしても、警察官は「あの大家は変な人物で、変態です」と報告している。
つまり、誰がどう見ても異様な人物であり、どこから見ても事件に関与していると言わざるをえない要注意人物だ。

オットー・プレミンジャーがどう考えて、あの大家を描いていたのか分かりませんが、
テレビに出演しているという設定のようですので文化人扱いなのでしょうけど、あれはホントにヤバい奴でしょう。
まぁ・・・でも、あの大家のストレスフルな存在があったからこそ、良い意味で映画の流れが混乱させられて、
上手い具合にかく乱されて、結果的には良い方向に機能させられたのではないでしょうか。

行方不明者の捜索から、狂言を疑われるようになるという展開は
よくあるタイプの物語ではありますが、本作は後年の映画に与えた影響は大きいと思いますね。

クライマックスで全てが明らかになるという展開ですが、
実は大きな秘密が隠されていて、常軌を逸した側面が見えてくると一気にスリラー映画に変貌を遂げます。
何を言っても聞く耳を持たず、無表情で行動に移す姿が異様に怖く、なんとなく『影なき狙撃者』を思い出す。

幼稚園の描写も面白くって、映画の冒頭からバニーが行方不明になったというところから
映画が始まりますので、幼稚園内を捜索するという形になるのですが、横にはそこまで広い施設ではなく、
階段の描写が印象的で、徐々に登りながら一つ一つ部屋を捜索していくのが、なかなか良い。
そして、まるで屋根裏部屋のようなところに、実はリタイアした老婆がいて、ここもまた怪しい(笑)。

こうして怪しい人物を片っ端から描いていて、
それでいてバニーの実在を、そう簡単に明確化させないので、とってもミステリアスで面白い。
やはり、さすがはオットー・プレミンジャーの手腕でとっても見せ方が上手いですね。

確かに映画の中で、行方不明者を捜索する中で、狂言を疑われるということは
数多くの映画で描かれてきましたが、本作の特徴は行方不明者を映画の序盤では敢えて描かずに
映画を進行させているという点で、観客にもそのミステリーを楽しめるようにしたことでしょう。

いろんな見方ができる映画で、バニー・レークを捜すシングル・マザーや彼女の兄の視点で
映画を観ることもできるし、途中からバニー・レークの存在を疑うようになる、ニューハウス警部の視点で
映画を観ることもでき、映画鑑賞の多様性というのを作り手が演出したという意味で、価値があります。
ちなみにニューハウス警部を演じるローレンス・オリビエが、また存在感抜群でさすが名優の仕事ですね。

音楽ファンにとって必見なのは、何と言ってもゾンビーズ≠ナしょう!

ブリティッシュ・ロック好きなら貴重な映像として興味深いでしょうし、
当時はイギリスのテレビも普通にこういうのを放送していたのだろうと思えるのが、なんだか羨ましい(笑)。
ニューハウスがシングルマザーを落ち着かせようと、パブで食事を促すシーンでパブのテレビで放送されています。
これがまた、警察が何もしていないわけではないとアピールするために、ニュース番組を見せるところ、
パブの店主が「暗い放送は店に合わない」と言わんばかりに、何も言わずチャンネルを変えてしまいます。

当時はポピュラー・ミュージックに対する理解も進んでいなかった時代と聞いていますので、
ゾンビーズ≠ェこのような形で、映画の中でフィーチャーされたことは、とても貴重な映像資料だと思います。

オットー・プレミンジャーは人種偏見が蔓延っていた1950年代に、
黒人俳優だけを起用した舞台劇を企画演出したりしていて、かなり前衛的なスタイルを持っていたので、
本作の中でもさり気なく、“新しい風”を映画の中に吹き込もうとするエッセンスが入っているんですね。

日本でもマスコミを騒がせた失踪事件は数多くあり、
中には狂言ではないかと疑いがかけられた事例もあったかもしれませんが、
失踪事件の捜査というのも難しいですよね。特に異国の地に移ったばかりということになると、
目撃証言が得にくいということもありますし、本作で描かれたように管理体制が杜撰な園内で
娘が行方不明になったということが難しさが、捜査の難しさをUpさせていて、ニューハウスがバニーの存在を
疑い始めるというのも、捜査の過程としては「可能性は排除しない」という意味で、当然のことと感じます。

意地悪なことを言えば、ニューハウスがバニーの存在について
アメリカへ情報照会を求めない理由がよく分からないけれども、そんなことは大きな問題ではありません。

映画のオープニングの紙を破いていくソウル・バスのデザインも斬新だ。
不規則に紙を破きながら、キャストやスタッフのクレジットが出てくるのは、遊び心があって面白い。
やはり当時のソウル・バスのヴィジュアル・センスは傑出していたと思うし、インパクトがありますね。

オットー・プレミンジャーは好んでソウル・バスを起用しておりましたが、
重厚なタッチのオットー・プレミンジャーの演出と、相対するようなソウル・バスのポップさが良いコントラストだ。
どことなく、映画の雰囲気としてはヒッチコックを想起させられるような感じで、実に興味深いですね。
(やはり、本作のイメージとリンクするのは、60年の『サイコ』かと感じます)

大人になり切れない大人を描いた作品とも考えられますが、
屈折して、どこか倒錯した世界観というのが、白黒映像と陰鬱な音楽で増長されていて、
これはこれで現代の映画ではなかなか出せない、究極の形に近いスリラー映画なのかもしれません。

(上映時間107分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 オットー・プレミンジャー
製作 オットー・プレミンジャー
原作 イブリン・パイパー
脚本 ジョン・モーティマー
   ペネロープ・モーティマー
撮影 デニス・クープ
音楽 ポール・グラス
出演 ローレンス・オリビエ
   キャロル・リンレー
   キア・デュリア
   ノエル・カワード
   マーティタ・ハント
   フィンレイ・カリー