ブリット(1968年アメリカ)

Bullitt

70年代に入ると、ハリウッドでも刑事映画ブームが到来しましたが、
本作はそのブームの先駆けとなる作品で、映画の中盤にある約10分のカー・チェイスが強烈なインパクトだ。

映画としては、カー・チェイスの突出したインパクトは素晴らしいけど、それ以外は平坦な作りだし、
個人的には主人公のブリットに、もっと強烈なカリスマ性を持たせても良かったと思うのですが、
職人肌の監督であるピーター・イエーツは、本作では個性的なアプローチよりも淡々と映画を進めることに徹している。

時代性もあるのか、サンフランシスコという比較的、先進的な文化を持っていた都市の特徴なのか、
黒人が表向きは、白人と対等に社会で活躍しているようなニュアンスで描かれているし、ジャズも流れている。
(劇場公開当時はあまり称賛されなかったようですが、ラロ・シフリンの音楽がムード満点で最高!)

主演のスティーブ・マックイーンも彼なりのファッション・センスを炸裂させている作品でもあり、
彼自身はとてもクールに見える。でも、本作で残念なのは、ブリットには内に秘めたる熱いものがあるのに、
それをほとんど表に出すようなところが無いことだ。何か一つでいいから、何かに強く執着するものを見せて欲しい。

確かに映画の終盤でロバート・ヴォーン演じる政治家チャルマースから、
証人であるロスを暗に殺すなと指示口調で言われて、イラッとした雰囲気で突き返すのがせいぜいで、
それ以外にブリットの熱さを感じさせるシーンが無い。でも、一つでいいから、そんな彼の内面的な熱さを描くことで、
本作で描かれるブリットが、この時代のアイコン的存在の映画史に残るキャクラターとして語り継がれたと思う。

あくまでマックイーンがブリットを演じたから、これだけのキャラクターに磨かれたわけであって、
ピーター・イエーツがブリットというキャラクターを、もっと強く引き立たせるように磨き切れているわけではない。
僕は刑事映画というのは、そういった作り手のアプローチがないと、どうしても表層的な映画になってしまうと思う。

本作なんかは、フィリップ・ダントニがプロデューサーなだけあって、
71年の『フレンチ・コネクション』の原型であることは間違いないのです。あの強烈なカー・チェイスなんかはモロに。
それでも、おそらく本作の反省を、『フレンチ・コネクション』に生かしたのでしょう。だから良くなって当然なのかも。

でもね、僕は本作と『フレンチ・コネクション』の決定的な違いというのは、
ディレクターの作為と、彼らが如何に主人公のキャラクターを“立てて”描き切ることができたのか、ということだと思う。

申し訳ないが...本作のピーター・イエーツはそういった観点からは、どうしても弱い。
僕はピーター・イエーツの手腕は良いものを持っていると思う。いろんなジャンルの映画を撮れたし、
良い企画と良いキャストが集まれば、実に手堅いクオリティの作品に仕上げる。本作は彼の代表作の一つなんだけど、
でも、ベストな出来だとは思わないんですよね。本作には思わず唸らせられるほどのものは、無かったと思います。

映画のクライマックスの空港での攻防なんかも、チョット勿体なかったですよね。
正直言って、滑走路に出て行ってまでも、無理矢理にアクションを描く必要があったのかも疑問ですし、
これならば最初っから、ターミナル・ビルに戻って、逃走犯も追跡者も人混みの中の空港ターミナル・ビルという
制約の中でお互いの目的を達成させなければならないという、緊張感あるアクションを見せて欲しかった。
このクライマックスのアクション・シーンが、割合として滑走路に出てからのシーンのウェイトが思いのほか高かった。

この緊張感あるアクションというのが一つのミソだと思っていて、
本作の中盤に約10分に渡ってサンフランシスコの市街地から郊外の道路にかけて展開される、
ライフル犯を助手席に乗せて逃げ回るダッチ・チャージャーと、マックイーン自らハンドルを握るフォード・マスタングが
延々とカー・チェイスを繰り広げるのが、あまりに強烈なインパクトを持っているのは、ここだけ異様な緊張感だから。

映画として起伏があるのは決して悪いことではないのですが、
言い換えると、このカー・チェイス以外のアクション・シーンがイマイチなのですよね。ハッキリ言って、緊張感ゼロ。
いつやられるか分からない、油断も隙も許されないという雰囲気ではないのが、なんだか残念でした。

生前のマックイーンは本作に対する意気込みが半端なものではなかったと自ら語っており、
撮影に入る前にマックイーン自身、スタントマンのところで猛スピードで繰り広げるカー・チェイスの訓練を受けている。

それくらい彼は“本物の映像”にこだわっていたようですが、
それならば尚更のこと、カー・チェイス以外のシーンにもこだわって欲しかった。嫌味な政治家のチャルマースは
終始、嫌な奴って感じなんだけど、彼の言う通り、ブリットが与えられた任務に失敗したことは間違いないですからね。

ブリットの恋人を演じたジャクリーン・ビセットも話題になったようですが、
個人的にはブリットのエピソードに注力して欲しかった。と言うのも、僕には彼女が添え物的キャラクターに見えたから。
こういう女性の描かれ方はあまり感心しない。描くならば、重要な役柄でブリットの精神的バランスをとるのだろうから、
もっとしっかりと描いて欲しい。このままでは、映画の流れをぶった切るだけのキャラクターになってしまっている。

そうなると、やっぱり本作はマックイーンを圧倒的な強い刑事像として打ち出すべきだったのだろう。

本作で描かれる主人公のブリットは、どちらかと言えば寡黙で淡々と仕事をこなすタイプだ。
目的を達成するためであれば犯罪を黙認するなど、手段を選ばぬアウトローな刑事というタイプでもない。
ただ、おそらくは仕事の依頼主である政治家チャルマースのことは最初っから好きではなかっただろうし、
そんな好きではない政治家から依頼された仕事で、失敗をしてしまったことに自分自身で苛立ちがあっただろう。

そんなウップンを晴らすためにも、黙々と仕事をこなしていくわけですが、
マックイーンのファッションが絶妙なくらいにカッコ良く、そのシルエットは印象的なのですが、
彼が淡々と仕事をする姿に、「圧倒的な強い刑事像」を見い出すことは難しい。どちらかと言えば、スマートな刑事。

そんなスマートな刑事像であるならば、僕はもっと“犯人”との駆け引きを描いて欲しかった。
それはカー・チェイスの相手とも同様だし、空港でブリットが追い詰める相手も同様で、本作には駆け引きが無い。
これではブリットの捜査にスリリングさが根付かないですよね。どうにも映画が引き締まらないのが気になりました。

とまぁ・・・正直、マイナスなところも目立った作品ではあるのですが、
それでも、まるでそこだけに注力したかのように、当時としては異例なくらいに派手なカー・チェイスが素晴らしく、
犯人の乗ったダッチ・チャージャーが逃げ回り、シートベルトをカチッと締めるのが“合図”になっているのが実に良い。
臨場感溢れる映像を見事に捉え、前述したようにこれが無ければ、71年の『フレンチ・コネクション』は無かっただろう。

それから、事件の前段を語るオープニングも当時としてはスタイリッシュでカッコ良い出だしですよね。
この辺はピーター・イエーツのセンスが光る演出だなぁと感じるのですが、ニューシネマっぽいテイストでもある。

そう思って観れば、本作のクライマックスの呆気なさもどことなくアメリカン・ニューシネマっぽいのですが、
どうも本作のラストにはカタルシスというか、“後にひく”ものが無いんですよね。呆気ないのは良いのですが、
それでも観終わってからも、響き続けるものが欲しい。やっぱり犯人もしっかり描いた方が、映画は引き締まりましたね。

まぁ、不足なところが散見はされるので僕は傑作とまでは思っていないけど、
それでもマックイーン=車というイメージが決定的なものとなったのも間違いないし、当時のマックイーンが
ハリウッドでもアイコン的存在であったことを象徴する作品でもある。そう思うと、意義深い作品であって、
映像資料的に考えても、カー・チェイスとはこう撮るものだという定義づけをした作品として、価値が高い作品である。

しかし、不思議と本作はマックーンの代名詞的作品の一つなんだけど、
監督のピーター・イエーツの仕事ぶりはあまり評価されず、彼の代表作として語られることは少ないかもしれない。
それはピーター・イエーツって多才な人で、いろんなジャンルの作品を監督したことが大きく影響したのかもしれません。

多くの監督作品があるというディレクターではありませんが、幅広いジャンルで手堅い出来の作品を多く残してます。

(上映時間113分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 ピーター・イエーツ
製作 フィリップ・ダントニ
原作 ロバート・L・パイク
脚本 アラン・R・トラストマン
   ハリー・クライナー
撮影 ウィリアム・A・フレイカー
音楽 ラロ・シフリン
出演 スティーブ・マックイーン
   ロバート・ボーン
   ジャクリーン・ビセット
   ドン・ゴードン
   サイモン・オークランド
   ロバート・デュバル
   ノーマン・フェル
   ジョーグ・スタンフォード・ブラウン

1968年度アカデミー音響賞 ノミネート
1968年度アカデミー編集賞 受賞
1968年度全米映画批評家協会賞撮影賞(ウィリアム・A・フレイカー) 受賞