ブラック・ライダー(1971年アメリカ)

Buck And The Preacher

タイトルにもなっている通り、どちらかと言えば、これはバディ・ムービーですね。

シドニー・ポワチエ演じるバックという黒人男性と、宣教師を演じるハリー・ベラフォンテがコンビを組み、
黒人たちのコミニュティが安全に移動するために悪戦苦闘する姿をコミカルに描いた西部劇です。

確かに、どことなくアメリカン・ニューシネマなテイストを感じる映画ではあるのですが、
やはり決定的に異なるのは映画の終わり方で、もっと絶望的・悲劇的な終わり方をして、
強く訴求するクライマックスであれば、れっきとしたアメリカン・ニューシネマというカテゴリーだったのでしょうが、
監督も兼任したシドニー・ポワチエからすると、別にそんなつもりは無かったのでしょうね。

ニューシネマのスターというわけではなかったシドニー・ポワチエですし、
どちらかと言えば、苦労した時代の黒人たちを称える西部劇にしたかったのではないかと思います。

南北戦争を終えて、奴隷制度を解放したにも関わらず、白人たちは黒人を奴隷化した労働者として就労させたく、
黒人たちの移動を制限し、自由な生活を阻害し強制的に労働させることで、黒人たちは苦労を強いられていた。
そこで彼らは自由な生活を手にするために白人たちの追跡をかわし、北を目指していた・・・というのが映画のベース。

シドニー・ポワチエの監督デビュー作となりましたが、演出自体は堅実な印象を受ける。
僅かにガン・アクションもありますが、そう悪い出来ではない。ただ、どこか映画としてこれといったインパクトに欠ける。
実際にこの映画の中で、どこがハイライトに当たるのか、その盛り上がりの起伏が分かりづらいせいか、ピンと来ない。

それは、クライマックスのガン・アクションの撮り方もあるのかもしれない。
確かに少し距離を置くかのように、カメラが銃撃戦の全体を見渡すように撮るというのは特徴的だが、
これは賛否があるというか、僕はどこか“入り込めない”クールさというのが、どうにも馴染めなかった。
決して悪い出来のシーンではないし、むしろ単発的には良く出来ていた。ただ、この距離感が微妙な感じなんですね。

でも、作り手が冷静に見過ぎているというか、どこか熱くなれない“何か”を感じずにはいられない作品である。
これは突き放したように撮っているのと違っていて、このガン・アクションだけが持つ距離感なので、
映画全体で統一されたものというわけではなく、どこか違和感があると僕は感じたんですよねぇ。

シドニー・ポワチエ演じるバックは実質的に賞金首となり、その任務を高額報酬の約束を取りつけたのが
ハリー・ベラフォンテ演じる宣教師ということになるのですが、宣教師はバックについて歩くので一筋縄にいきません。

実際、バックの首に賞金をかけるのがキャメロン・ミッチェル演じるデュシェイという悪党になり、
一応、映画の中では執拗にデュシェイが追ってきて、差別心丸出しに追い回すという設定になっていますが、
思いのほか、デュシェイが早くに退場してしまうので、これはこれで拍子抜けというかインパクトが弱い。
この手の映画の悪役というのは、やはりもっと執拗にしつこく追い回して、観客のストレスになる存在でないと、
映画を彩るようなインパクトの強い悪役にはならないと思うのですよね。その観点からすると、かなり物足りない。

デュシェイの撮り方からして、ふてぶてしい態度や表情で良い感じに撮っていたので、
もっと映画のクライマックスまでデュシェイが執拗に主人公たちを追い詰めて、直接的に対決する展開を
僕は期待していたのですが、そこは全くの空振りで面白そうなキャラクターを生かせずじまいで、少し残念でした。

せめて、映画のクライマックスにも絡んでくるようなキャラクターであって欲しかったし、
何より“倒しがい”のある悪党であって欲しかったですね。この辺は、本作最大のウィークポイントかもしれません。

シドニー・ポワチエが監督デビュー作として、何故に西部劇を選んだのかがよく分かりませんが、
もうチョット活劇性を追求して欲しかったですね。せっかくのバディ(相棒)・ムービーなので、
2人で協力しながら闘うとか、公民権を得るための闘いという枠に留まらない内容にして欲しかったなぁ。

ただ、個人的にはアメリカ史としては極めて重要なターニング・ポイントである南北戦争に於いて、
戦争終結後もスンナリと黒人たちが公民権を得たわけではなくって、続けて虐げられていた現実を
西部劇というフォーマットの中で表現したということに、本作の価値は高いと思いますね。
僕自身、あんまりこの事実を意識して考えてこなかっただけに、何故今も尚、人種差別が話題になるのかと思うと、
当然、南北戦争後の情勢からいっても、根強く差別はあっただろうと思えるだけに本作で描いたことは意義深い。

実際、奴隷制度は撤廃されたが、黒人への差別は撤廃されたわけではなく、
アメリカ南部を中心に根強く人種差別が残ったわけで、もっとスポットライトを当てるべき歴史の一部なのでしょう。

ハリー・ベラフォンテ演じる宣教師のメイクはやり過ぎな気もしますが、
彼もまた、何か“裏”がありそうなキャラクターでありながら、しっかりと主人公を支えているのも印象的だ。
この辺は実に良いキャスティングをしたと思う。どうせなら、主題歌も歌ってもらえば良かったのですが(苦笑)。

この宣教師も、どこまで信用していいのか分からないキャラクターなのですが、
おそらく彼のキャラクターから、映画にコミカルさをエッセンスとして加えたかったのではないかと思います。
ただ、これは中途半端というか、映画全体で考えた時に悪い意味でアンバランスさを残してしまったと思う。

と言うのも、どちらが良いか悪いかは判断つかないけれども、
対する主人公バックを演じたシドニー・ポワチエ自身が、定常運転のように真面目なキャラクターで
バディ・ムービー調に描いているので、この2人の凸凹感を強調したいのかと思いきや、実際はそうでもなく、
宣教師にバックがしっかり支えてもらっちゃうという雰囲気なので、そのコミカルさが悪い意味で中途半端に映る。

結果として、このコミカルさが映画の持ち味にはなり切れなかったという印象ばかりが残りますね。
この辺はシドニー・ポワチエのイメージというのもあったのだろうけど、なんだかチグハグに見えてしまう。

そう思うと、僕にはどうしてもシドニー・ポワチエが本作を通して何を表現したかったのか、
どういう感情を表現したかったのか、何を訴求したのかが、よく見えなかった。前述したように、南北戦争直後の
黒人たちの人種差別による苦難というテーマはあまり意識してこなかったことだから意義はあったけど、
それ以上に敢えて、映画というメディアで表現する必然性というものが、今一つ伝わってこなかったというのが本音。

もう少しニューシネマに寄った内容にすれば、当時の映画界の潮流に乗れただろうけど、
おそらくそんなことはシドニー・ポワチエ自身は、あまり考えていなかっただろうし、他に何かがあったのだろう。
その何かが、この映画を観ただけでは伝わってこないというか、どこか分かりにくいというのが、僕の中ではネック。

シドニー・ポワチエの初監督作品としては、おそらく手応えのある作品だったのでしょう。
そのせいか、本作の後に何本か監督作品を手掛けるチャンスに恵まれ、ある一定の評価を得たのでしょう。
そういう意味では本作自体の出来はともかくとして、映画監督としてのキャリアの原点であったのでしょうね。

ホントは黒人のカウボーイって、いっぱいいたと思うのですが、過去の映画史の中では
あまり描かれてこなかった存在で、これはこれで人種差別の系譜でもあるのかもしれませんね。
そういうことに風穴を開けたかったということもあるのかもしれませんが、人種差別に関するメッセージ性を
敢えて映画の前面に出さずに、自らがカウボーイを演じることで、静かに主張しているのが印象的だ。

共演のハリー・ベラフォンテも実に楽しそうに、ノリノリで演じているのも貴重で、
よくよく調べたらハリー・ベラフォンテって、シドニー・ポワチエと同じ年だったんですね。
お互いに黒人俳優・歌手として、差別的待遇と闘いながら活動してきた立場として、共通するものがあったのでしょう。

(上映時間102分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 シドニー・ポワチエ
製作 ジョエル・グリックマン
原案 ドレイク・ウォーカー
   アーネスト・キノイ
脚本 アーネスト・キノイ
撮影 アレックス・フィリップスJr
音楽 ベニー・カーター
出演 シドニー・ポワチエ
   ハリー・ベラフォンテ
   ニタ・タルボット
   ルビー・ディー
   デニー・ミラー
   ジョン・ケリー
   キャメロン・ミッチェル