ブロークダウン・パレス(1999年アメリカ)

Brokedown Palace

高校の卒業旅行でタイを訪れていたアメリカ人女性2人が、
現地で知り合ったオーストラリア出身の男を尋ねるために香港へ行くことにするのですが、
道中、タイの飛行場で現地警察にヘロイン所持で逮捕されたことから始まる、
異国の地での不衛生かつ、無慈悲な投獄生活と無実を訴える姿を描いたサスペンス映画。

当時、『ロミオ&ジュリエット』のヒロイン役に抜擢されて日本でも人気急上昇中だった、
クレア・デーンズを主演に据えて、相手役のダーリーンにはまだ知名度が低かったケイト・ベッキンセール。
今になって思えば、とても贅沢なキャスティングの作品だったんですね。当時はそんな扱いではなかったけど。

勝手の分からない異国の地での投獄生活という、想像を絶する過酷さを描いた作品という意味で、
そこそこ見応えがある作品で、映画の出来自体はそんなに悪いものではないように思います。

監督は88年に『告発の行方』を発表して、大きな話題となったジョナサン・カプランで、
最近はテレビ業界に活動の場を移しているようで、あまり映画を撮らなくなってしまいました。
本作のような社会性の高いテーマを持った映画に関しては、やっぱり得意分野なんですね。
ジョナサン・カプランはあまり知名度のあるディレクターではないし、監督作品の数自体もそこまで多くないせいか、
日本でもすっかり忘れられた存在のようになっていますけど、ディレクターとしての力量はかなり高いと思う。

ただ、個人的にはこれを美談のように扱うのは、何か違う気はする・・・。

特に東南アジアや南米での、麻薬犯罪に対する処罰の厳しさは有名で、
本作で描かれた女子2人は卒業旅行で訪れる国とするなら、もっと情報を入れておくべきだった。
アメリカの感覚で海外を見てしまうことの恐ろしさというか、その代償を描いているわけで、
ティーンエージャーには酷な言い方かもしれないが、それでも「自己責任」の範疇は確実に存在している。

東南アジアで麻薬所持の罪で投獄されたという事実の重さは、
チョット知っている人なら、すぐに分かることだと思いますが、若さゆえかアリスとダーリーンは
「きっと、すぐに(刑務所から)出してくれる」と、心のどこかで楽観していた部分があったのでしょう。

そのせいか、絶望的な状況に置かれても尚、
この2人はどうしようもないことで対立し、男と寝た寝ないを気にして、弁護士にも事実を言わない。

傍から見れば、苦しい立場に追い込まれていき、
どうしようもない状況になってしまうことは、自業自得のようにも見えてしまう。
それでも尚、アリスにいたっては「これだから、後進国は!!」と悪態をつく始末で、心象が悪くなってしまう。

しかし、自分の中では「チョット待てよ」と考え込む。「10代なんて、こんなものじゃないか」と。

そういう意味で、繰り返しになりますが...やはりこの代償はあまりに大きいですね。
それが高校の卒業旅行だというのだから、全米の親は本作を観て、ビビッた側面はあるのかもしれない。

タイだけでなく、麻薬所持に対して厳罰に処す、
諸国で意図せず“運び屋”をさせられた外国籍の若者が、数多く投獄されているケースが多いようだ。
無知がもたらす、あまりに過酷な現実ではありますが、手を差し伸べられないケースが大半らしい。

そこで、ジョナサン・カプランの倫理観のせいなのか、映画はラストにドンデン返しが待っています。
詳細は映画の核心に関わるので言及を避けますが、これは“魂の叫び”を表現していたのでしょう。

僕は、このドンデン返しは如何にもアメリカ人が好みそうな倫理観だと思った。
ジョナサン・カプランはフランス出身らしいのですが、子役時代からアメリカで長く活動しており、
完全なるアメリカ的発想の持ち主なのかもしれませんが、こういうことが美談として扱われることに
僕には妙な違和感があり、この抽象的な終わり方こそ本作の持ち味なのだろうが、
映画で描かれた“犠牲”を、手放しで「人道的に素晴らしい行為」だなんて口が裂けても言えない。

これはジョナサン・カプラン自身、どういう想いで描いたのか、聞いてみたいと思っているぐらいだ。

しかし、若さとは恐ろしいものでもある。
本作撮影当時20歳であったアリスを演じたクレア・デーンズは、本作の記者会見の席で
本作撮影のロケで訪れたフィリピンのことを卑下する発言をし、物議を醸し、フィリピン政府も許すことはないとし、
おそらくこれはずっと和解することはないだろう。全てを若さのせいにするのはいかがなものかと思いますが、
本作でアリスやダーリーンが味わったこと、本作で描かれた教訓が生かされなかったことは残念でしたね。
(ちなみにクレア・デーンズ本人はすぐにこの発言を撤回、フィリピンへ謝罪の意を示している)

それなりに見応えはあるのだけど、欲を言えば、もっとヘヴィな映画にして欲しかった。
この内容であれば、どうしても78年の『ミッドナイト・エクスプレス』と比較されてしまうのは免れないし、
映画自体のメッセージ性、訴求力を求められることは明白な企画であり、ジョナサン・カプランの素養からもしても、
もっと重厚感のある精神的にも思わず躊躇してしまうぐらいの、タフネスさが欲しかったというのが本音。

そのタフさが無いから良いという人もいるだろうが、
ジョナサン・カプランの力量からすると、正直言って、この水準は遥かに凌ぐ映画ができると思うからこそなのです。

どうも、悪い意味で軽さが目立つというか、
もう少し踏み込めば、訴求する映画になるというのに、どこか軽い演出を先行させてしまう。
そんな悪い意味でのハリウッドのプロダクションの存在を感じさせるところが、彼の作家性を失わさせている。

映画は十分に及第点レヴェルを上回っていると思うし、
これだけの内容とできたのは、作り手の功績がデカいだろう。主人公2人の描き方に関しては一貫性があり、
そこに絡むタイの司法に詳しい、現地で事務所を構えるアメリカ人弁護士を演じたビル・プルマンも控え目で良い。
映画のペース配分も含めて、やはりこの映画の作り手はバランス感覚に優れた部分があったのでしょう。

だからこそ勿体ない。思わず、「もっと良くできたはずなのに〜」と嘆きたくなる(苦笑)。

海外であれば尚更のことですが、油断して行動できるところなどありませんが、
治安の良し悪し、現地で横行する犯罪の実情などは、渡航前にしっかり調べることは当然のことだろう。
分かっていても、こういった冤罪被害にあっている現実があるだけに、常に警戒心を持たなければならないだろう。

そんな教訓は分かっていながらも、この映画の結末はどこか釈然としない。
いや、真相はどうでもいいのだが、やっぱり“魂の叫び”が何を意味するのか...と思うと、なんだかやるせない。

(上映時間100分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 ジョナサン・カプラン
製作 アダム・フィールズ
脚本 デビッド・アラタ
撮影 ニュートン・トーマス・サイジェル
音楽 デビッド・ニューマン
出演 クレア・デーンズ
    ケイト・ベッキンセール
    ビル・プルマン
    ジャクリーン・キム
    ルー・ダイアモンド・フィリップス
    ダニエル・ラパイン
    トム・アマンデス
    インティラー・ジャルンプラ