ブレスレス(1983年アメリカ)

Breathless

ジェリー・リー・ルイスを敬愛するジム・マクブライドが
59年のジャン=リュック・ゴダールの名作『勝手にしやがれ』を独自の解釈でリメークした、
若さゆえの暴走、そして恋を描いた、半ばミュージカルのように音楽いっぱいな青春映画。

ジム・マクブライドは89年に『グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー』で
勢い余ってジェリー・リー・ルイスの伝記映画を撮っただけに、そうとう熱心なファンなんだろうけど、
本作の時点でゴダールの名作にロックンロールを採り入れて、個性的な映画に仕上げていたんですね(笑)。

ゴダールのリメークと思って観ると、全く別物の映画に観えてしまうので、
あくまでジム・マクブライドの映画だと思って観ないとダメだと思うのですが、
これはこれでユニークというか、スットコドッコイなところがある暴走映画になっていますね。

ジム・マクブライドって、この頃は期待されていた新進気鋭なディレクターだったのですが、
『グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー』よりも、ずっと主旨がよく分からない映画になってしまっていますね。

確かにゴダールの『勝手にしやがれ』を彼なりにアレンジしたと言えば、
それが大義名分になるのかもしれないけど、どうにもそれだけでは映画の魅力になりえていない気がする。
ジム・マクブライドも本作を通して、何を一番映したかったのかがハッキリとしない映画になっていて、
別に『勝手にしやがれ』の原作でなくとも、十分に成立しそうな企画に見えて仕方がないのが勿体ないですね。

『勝手にしやがれ』はフランスを舞台にして、フランス人青年がアメリカ人女性のために
暴走する映画という位置づけでしたが、本作ではその設定が正反対になっていて、
アメリカを舞台にして、アメリカ人青年がフランス人女性のために暴走する映画になっています。

そのフランス人女性を演じたヴァレリー・カプリウキーは当時、
とっても脱ぎっぷりの良いフランス人女優という位置づけでハリウッド進出をしてきていたのですが、
本作の後に『私生活のない女』で、アンジェイ・ズラウスキーに追い込まれるような芝居を強いられたり、
『サロメの季節』のように“脱ぎ専門”みたいな扱いになって、女優としてのキャリアを伸ばすことができず、
結果としてハリウッドでもブレイクすることなく、不遇の存在となってしまったことが、とっても残念ですね。

本作でもヴァレリー・カプリスキーの脱ぎっぷりは相変わらず良いんだけど(笑)、
本作はリチャード・ギアも破天荒な兄ちゃんになっていて、撮影当時、33歳とは思えぬハジケっぷり(笑)。

彼は無軌道な人生を歩むことしかできないからこそ、本作で描かれたような、
トンデモないことになってしまうのだけれども、かなり痛々しい若さが全開って感じで、
時折彼が見せる、訳の分からない腰ふりダンスがいつ観ても強烈で(笑)、どうしても忘れられない(笑)。

しかも、シャワー浴びるにしても、いちいち全裸になってデカい声で歌って、
また訳の分からない腰ふりダンスでシャワー浴びに行くから、チョット笑うなって言う方が無理ですね(笑)。
それに付き合わされるヴァレリー・カプリスキーも持ち前の脱ぎっぷりの良さで対抗してますが・・・(笑)。

ジム・マクブライドもそんな若さをジェリー・リー・ルイスの音楽に乗せて描きたかったのだろうけど、
正直、この映画の内容ではジェリー・リー・ルイスのロックンロールも輝きませんねぇ。

刹那的な生き方しかできないゆえ、映画のラストに近づくと、
主人公2人の成り行きが怪しくなっていくのですが、ある意味でニューシネマのようなラストにしようと、
ジム・マクブライドの個性が炸裂したラストになっているのですが、個人的にはこのラストがイマイチだと思った。
やはりこういう企画の場合は、偉大過ぎるオリジナルがあると大きなハンディキャップがありますねぇ。

それにしても、逃避行という割りには女性の方も自由過ぎる感じではあるのですが、
その自由さゆえ、やっぱり逃避行も簡単に終わりが来るという成り行きで、やはり若さゆえに
2人の心の揺れ動きがとっても繊細で、観客にも心が見えづらいというのが本作のネックですね。

普通に考えたら、映画の序盤で主人公がフランス人女性を連れ戻すために、
学校の教室に侵入して暴れ回るのですが、こういう行動なんかは、ただの迷惑な奴なんですね(笑)。
いくらベガスで一夜を共にした仲とは言え、ヴァレリー・カプリスキー演じるフランス人女学生も
よく主人公のああいった破天荒な行動に付いていく気になれるなぁと感心させられるほどで、
ジム・マクブライドもあたかも青春期の暴走の一つであるかのように描くのが、なんだかスゴいですねぇ(笑)。

この辺はアメリカと日本の感覚の違いがあるのかもしれませんが、
主人公の生き方の痛々しさは、ある意味で『勝手にしやがれ』以上だったと僕は思いますね。
それでも、頑として自分らしさを押し通そうとする主人公を描き続ける初志貫徹なところはスゴいですがね(笑)。

ただ、この底抜けの勢いだけは素晴らしいと思う。
やはりジム・マクブライドの監督作品と言えば、この疾走感がとっても大切で、これが無ければ彼の映画じゃない。
この疾走感は映画トータルとしてのスピード感につながり、これは『グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー』にも
しっかりと踏襲されており、こういう部分に関してはジェリー・リー・ルイスの音楽によく合っている。

そういう意味では、ジム・マクブライドってフィルム・ノワール調の映画に興味があるんだろうけど、
暗く破滅を描くようなストーリーの映画よりも、底抜けに明るい映画の方が合っているような気がするのです。
もっとも、映画の内容に合わせて、演出のカラーを変えられる器用さを持っていれば、ハリウッドで生き残っていて、
おそらく今も創作活動を継続させて、高い評価を得た映像作家であり続けられたのであろうけど。。。

この辺は彼の志向と、彼のやっていることが合っていないという気もしますねぇ・・・。
この合っていないギャップを楽しむタイプの映像作家とも思えないだけに、なんだか微妙なところです。

どうやらタランティーノが本作のことを気に入っているらしく、それは分かるような気がします。
チョット言い過ぎかもしれませんが、『トゥルー・ロマンス』なんかは本作を大きく参考にしている気がします。
映画のテンションとして、タランティーノの映画はジム・マクブライドの映画と同じ方向性のように思います。
(まぁ・・・タランティーノの映画がニューシネマ・テイストがあるというわけでもないのですが。。。)

若き日のリチャード・ギアの痛々しいまでのハジける青春に興味がある人にはオススメですが、
『勝手にしやがれ』のリメークだという意識を持って、観ようとしている人にはお世辞にもオススメできませんね。

(上映時間100分)

私の採点★★★★★☆☆☆☆☆〜5点

監督 ジム・マクブライド
製作 マーチン・アーリックマン
原作 ジャン=リュック・ゴダール
脚本 L・M・キット・カーソン
    ジム・マクブライド
撮影 リチャード・H・クライン
音楽 ジャック・ニッチェ
出演 リチャード・ギア
    ヴァレリー・カプリスキー
    アート・メトラーノ
    ジョン・P・ライアン
    ウィリアム・テッパー
    ロバート・ダン