ワールド・オブ・ライズ(2008年アメリカ)

Body Of Lies

何か特別なものがある映画というわけではないが、まずまず手堅い出来のポリティカル・スリラー。
リドリー・スコット監督作品にラッセル・クロウが出演するのは、本作で3回目となりました。

どうやら、リドリー・スコットが本作のホフマン役にと、ラッセル・クロウへオファーを出した時に、
彼に20kgの増量を指示していたようで、確かに引き締まった身体ではなく、完全にメタボ体型で驚く。
まるで現代のデ・ニーロのように、ラッセル・クロウも役作りのためならと、体型を変える徹底ぶりだ。

映画は、中東に潜入してイスラム過激派のアジトと内偵するCIA極秘部隊のフェリスを軸に、
ただひたすら安全なCIAのオフィスから遠隔で指示を出すホフマンは、内情おかまいなしに冷徹な判断を下し、
ときにフェリスの命が脅かされるようなことがあり、フェリスも反発しながらイスラム過激派の指導者である
アル・サリームの身柄を拘束すべく、ヨルダンのアンマンを中心に工作活動を進めていく姿を描いています。

リドリー・スコットの監督作品としては、やや地味な作りに終始している印象はありますが、
それはそれで意外だったな魅力というか、これまでとは違った方向性を示した作品になったとは思います。
まぁ、映画の終盤にあるフェリスが尋問や拷問されるシーンは、少しだけリドリー・スコットっぽいところありますが。

映画の中では、フェリスがアンマンで工作活動を展開するためにと、
CIAを中心としたアメリカの独力では上手くできないために、現地のイスラム社会で力を持つ、
マーク・ストロング演じるハニ・サラームの組織力を借りるというのが、一つのキー・ポイントとなっていて、
ホフマンのことを快く思わないハニに、フェリスは好かれようと無意識的に振る舞うのが何とも興味深い。

要するに、フェリスはハニの力が絶対に必要となってくることをよく分かっていて、
言語を含めてイスラムの教えも勉強したフェリスではありますが、現地のディープなところまで踏み込んだり、
現地で諜報活動を行うためには、「郷に入っては郷に従え」という諺の如く、本能的にハニに近づこうとします。

だからこそ、一度、ハニに「12時間以内にヨルダンから出て行け。さもなくば、命は保障しない」と脅され、
泣く泣くアンマンを後にするフェリスは激怒し、アメリカに帰国後、すぐにホフマンに強く抗議しに行きます。
勿論、自分の知らないところでホフマンが勝手なことをやっていることに対して激怒したということもあるが、
何より作戦を成功させるために、「郷に入っては郷に従え」ということを、実行できなくなることに憤ったのだろう。

別にハニに気に入られることに目的があるわけではないだろうが、
不思議なことに、フェリスは途中からホフマンよりもハニに好意と信頼を寄せているように見え、
映画も結果的にそれを支持するようなエンディングを用意しているあたりが、なんとも妙なストーリー展開だ。

個人的にはフェリスがアンマンの診療所の看護婦に恋心を抱くというエピソードは、
なんだか蛇足的に感じられてしまい、映画の終盤で半ば強引に必要性を出そうとしていたように見えたのが、
どことなく映画の流れにフィットしていないように感じたのですが、それを除けば、物語自体も申し分ない。

映画のテンポも良く、相変わらずリドリー・スコットの語り口・演出もキレが良い。
ナンダカンダで映画の終盤、アリ・サリームにフェリスが尋問・拷問されるシーンの緊張感は特筆に値する。

演じるレオナルド・ディカプリオはよく頑張っているが、もう一つ突き抜けたものは無かったかな。
これはラッセル・クロウもそう。前述した役作りはスゴいが、この映画のホフマン役はあまりに動きが無さ過ぎた。
結局、レオナルド・ディカプリオとラッセル・クロウの共演というからには、それなりの“対決感”を期待した向きも
強かったはずなのですが、映画の本編を観る限りでは、どうにもバチバチしたものを感じさせるほど、熱くはない。

リドリー・スコットも演出は期待通りの仕事ぶりだけど、キャスティングを追い風には出来なかったですね。
この映画、主演2人がもっとバチバチやる内容になっていれば、もっとヒットしたのではないかと思います。
(ディカプリオとラッセル・クロウは95年の『クイック&デッド』以来、2度目の共演でした)

それから、多少の脚色があっても良かったとは思う。
と言うのも、宗教的・政治的な観点から観ると、アメリカvsイスラム社会みたいな構図が、色々な議論を呼びそう。
でも僕は、あんまりそういう観点で映画を観ることが好きではないので、宗教観や政治は無視して考えると...

あくまでCIAの秘密部隊という“仕事”を真正面から描いた作品でもあるので、
ホフマンをもっと掘り下げて欲しかった。例えば、ホフマンもかつてはフェリスと同じように
現地に潜入して秘密工作活動を行う職員であったとか、そういった過去があると、ホフマンの立ち位置と
フェリスの主張を対立的に描く上で、もっと深遠なものを表現できたと思うし、ホフマンを現場を知る司令塔として
描くことで、司令塔なりの苦悩と現場で求めるものをギャップを両立して表現できたりと、もっと魅力的にできたと思う。

要するに、フェリスとホフマン、どちらかに肩入れすることなく描いた方が、
本作の場合は映画としてバランス感覚に優れたものになったと思うのです。ホフマンの描写を観る限り、
この映画、少々、CIAをどうしようもない組織、ホフマンをトンデモない男という側面からだけで、描き過ぎに感じる。

寄り添うタイプの上司ではないはずのホフマンが、ラストシーンで擦り寄ってくるように見えるのも、
これはこれで絶妙なタイミングではあるのですが、やっぱりホフマンがただただ嫌な奴としか映らない。
これでは、映画としては少々安直に見える。そもそも、なんでホフマンがこのポストにいるのか?も、よく分からないし。

まぁ・・・リドリー・スコットも単なる自国を賛美する映画と解釈されたくないというのは、分かりますがね。。。

ちなみに原題は「ウソの塊」という意味。邦題は、かなり意訳した感じで、
違うニュアンスにもとれますが、要するにウソの応酬で相手を揺さぶり、揺さぶられるということでしょう。
現代の諜報活動は文字通りの情報戦でしょうし、通信機器を使いこなしてナンボの世界になっているでしょう。
本作で描かれたレヴェルかどうかまでは知りませんが、衛星による監視システムもスゴい精度なのでしょう。

そうなだけに、映画の終盤に描かれたような砂漠地帯でのフェリスの身柄引き渡しなど、
一見するとアナログなんだけど、トリッキーなことをやられると脆弱性が露呈したりもするあたりが、実に面白い。

現実にアメリカがどれだけ、中近東にこのような内偵や諜報活動をさせているのか、
僕にはよく分かりませんが、確かに大きな戦争に即時に発展させないための“根回し”というのは、
現実に行っているような気がしますし、ホントに“要注意な人物”を押さえるための、活動はきっとあるのでしょう。

おりしも、01年の“9・11”で一気にテロに対する危機意識が高まったアメリカ。
ワールド・トレード・センター・ビルに旅客機が突っ込み、高層ビルが倒壊したシーンは、世界に衝撃を与えましたが、
あれから20年が経ち、未だに抜本的な解決はしておらず、結局、アメリカも決め手を欠いているように見えます。

ベトナムは時間をかけて独自の道を歩むようにはなりましたが、
特にアフガニスタンやその近隣諸国に平和な日々が訪れることは、まだまだ時間がかかるかもしれません。

そういう意味でも、今まさに動いていることを題材にしている映画なのですが、
劇場公開当時もあまり大きな話題となることはなく、劇場公開が終了してしまったのは残念ですね。
この辺はプロダクションも期待していたものではなかったかもしれない。映画の出来はそんなに悪くはないのですが。。。

ところで、アンマンでフェリスが動き回ったり、看護婦さんとお茶したりしますが、
常に周囲の市民が見張っているかのような目くばせがあるかのように見えるのが、なんだか怖い。
でも、普通に考えて、あんだけ傷だらけの見るからにアメリカ人がいれば、そりゃ誰だって見ますよね。

(上映時間128分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

日本公開時[PG−12]

監督 リドリー・スコット
製作 ドナルド・デ・ライン
原作 デビッド・イグネイシアス
脚本 ウィリアム・モナハン
撮影 アレクサンダー・ウィット
編集 ピエトロ・スカリア
音楽 マルク・ストライテンフェルト
出演 レオナルド・ディカプリオ
   ラッセル・クロウ
   マーク・ストロング
   ゴルシフテ・ファラハニ
   アスカー・アイザック
   サイモン・マクバーニー