綴り字のシーズン(2005年アメリカ)

Bee Season

愛娘が全米スペリング・コンテストへの出場権を獲得した一家に於いて、
それまで知らなかった娘の能力に舞い上がる父親とは対照的に、アヤしい宗教にのめり込む長男と、
誰も知らなかった精神的な病いを患っていた妻の姿を描いた、エモーショナルなヒューマン・ドラマ。

日本では劇場公開時、あまり話題にならなかった作品ではありますが、
これは機会があったら、一度、観て欲しい一本です。かなり映画の出来は良いと判断します。

日本では馴染みの薄いスペリング・コンテストですが、これはアメリカではかなりポピュラーらしく、
9歳〜15歳の子供たちを対象にして、スペルを覚えることを目的とした賞金のあるコンテストであり、
映画で描かれたように地区大会から勝ち上がると、全米大会への出場権が獲得できるシステムで、
事実、アメリカでは人気あるコンテストとして、テレビ中継されるほどポピュラーな大会らしい。

で、この映画はそんなコンテストに愛娘が出場することになる、
大学で宗教学の教鞭をとる、ソールという中年男の家族の崩壊と、徐々に再生するまでの物語なのですが、
それぞれのプロセスをキチッと描けていることに好感を持ちましたし、独特な映像表現も悪くないと思います。

映画はリチャード・ギア演じるソールが、子供たちの教育には熱心な父親という設定であり、
それまではチェロの素養があると判断してか、長男の教育に熱心で、練習を一緒に行うなどしていたのに、
娘のイライザがスペリング・コンテストの地区予選に出場することが決まった瞬間、イライザへの教育に
シフトしていく姿とは裏腹に、家族がバラバラになってしまう様子を実に繊細に描いています。

もっとも、それまでの家庭生活もソール中心に回っていたわけで、
研究者である妻ミリアムにしても、何でも主導権を握ろうとするソールに疑問を抱いていたはずです。

長男のアーロンもチェロの練習にあまりに熱心なソールを煩わしく思っていた側面があった一方、
イライザの能力に気づいた途端に、自分にはまるで興味なく態度を覆し、練習は共にしなくなり、
挙句の果てには「イライザが勉強してるんだから、(チェロの)音は小さくしなさい!」と言われる始末。
そんな親父を信用できなくなっていたはずだし、おそらく嫌悪すら抱いていたはずである。

イライザにしたって、スペリング・コンテスト地区予選参加の手紙をソールの部屋に届けたにも関わらず、
一切、ソールが知らなかったなんて、如何に自分に興味が届いていないかを露呈する出来事であり、
イライザが幼かったから生じなかったのかもしれないが、大人であれば、これは問題になっていたかもしれない。

まぁ百歩譲れば、ソールの気持ちも分からなくはない。
これは彼なりの家族に対する愛情表現の一つなのです。だからこそ、彼はコントロールしたくなります。
しかしながら、彼が足りなかったことは、相手の話しを聞こうとはしないことで、全てが自分本位なところです。
従って、家庭内での相互理解が行き届かず、結果として残ったものは不和しかなかったということなのです。

自分から何をアプローチして、子供たちの能力に気づいたというわけではなく、
ソールはイライザの能力についても、本人やアーロンから聞かされて気づくのです。

如何に彼自身の努力が足りなかったかということを痛感する一コマではありますが、
但し、実際にこういう家庭になる可能性って、誰にだって秘めていると思うんですよね。
たまたま映画の題材がスペリング・コンテストだっただけで、これは日本でも置き換えられる話しだ。

この映画で一つ食い足りなかった部分は、妻ミリアムの心の闇を抽象的に描き過ぎた点だ。
これでは何故、彼女がああいった症状にハマってしまったのか、クリアにはなっていない。
僕はこのままではフェアな映画とは言い切れないと感じるし、ここは不明瞭にすべきではないと思いました。
せっかくジュリエット・ビノシュをキャスティングできたのですから、彼女もしっかりと描いて欲しかったですね。

この映画を観て、感じたことは「No.1になることの必要性という意味」についてです。

よく、研究者や実業家の間ではNo.1にならなければ意味がないということを言います。
実は僕もそう思っている一人で。スポーツなんかも一緒で、勝つ喜びを知ることも一つの目的だと思います。
(それ故、挫折や敗北を知っている人こそ、真の意味で強い人間なのだと思うのだけれども)

ただ、どちらかと言えば、この映画はそのアンチテーゼなんですね。
ソールは正しく、No.1になることに意味を置きます。彼自身が研究者であるからこそなのかもしれません。
しかし、そのスタンスを貫き通そうとしても、上手くいかないんですね。家庭生活が不和を迎えます。

僕、No.1になる必要性はあると思う反面、「No.1にならなくてもいい」という論調は否定しません。
ひょっとしたら、「No.1じゃなきゃ意味ないじゃん!」と主張することはあるかもしれませんけど、
「No.1にならなくてもいい」という意見は否定できないんですよね。何故なら、No.1になるためには、
おのずと何かを犠牲にしなければならないからです。お互いにWin−Winな関係を築くためには、
この辺は“どちらをとるか?”という問題なだけで、どちらかが間違っているなんてことは言えません。
(誤解なきように、基礎研究や企業活動は常にNo.1を目指すことが正しい選択だと僕は思っています)

そういう意味では、この映画、ラストに一つの大きな選択があります。
このシーン、おそらく賛否が分かれるだろうとは思いますが、僕はこれはこれで良いと思うんですよね。
(まぁ・・・こういった選択を子供に強いてしまうのは、どうかと思うけど・・・)

自分の信念を貫くこと、そして家庭を守ること、そして子育て・教育について、
真正面から考えるには、良いキッカケを与えてくれる映画だと思います。
この映画から考えても、そこに正答はありません。これこそ、考えることに意味があると僕は思います。

少しでも興味があれば、ご覧になることをオススメしたい秀作の一本です。

(上映時間104分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 スコット・マクギー
    デビッド・シーゲル
製作 アルバート・バーガー
    ロン・イェルザ
    ドクター・ウィンフリード・ハマチャー
原作 マイラ・ゴールドバーグ
脚本 ナオミ・フォナー・ギレンホール
撮影 ジャイルズ・ナットシェンズ
編集 ローレン・ザッカーマン
音楽 ピーター・ナシェル
出演 リチャード・ギア
    ジュリエット・ビノシュ
    フローラ・クロス
    マックス・ミンゲラ
    ケイト・ボスワース