フォエバー・フレンズ(1988年アメリカ)

Beachs

長年の幼馴染の女の子の、深い絆を描いたヒューマン・ドラマ。

幼い頃に、偶然出会い、お互いの境遇の違いから意気投合した少女2人が、
お互いに文通相手となり、元々ミュージカル女優としての成功を夢見ていたCCは、
地元のニューヨークで売れない舞台女優志望で頑張り続け、裕福な家庭に生まれ育ち、
弁護士になるという夢を叶えつつあったホイットニーが、成人してから再会したものの、
あくまでショービズ界での成功を求めるCCと、結婚して家庭に収まるホイットニーは別々な道を歩みながらも、
お互いの友情を深めつつ、時に笑い合い、時にケンカしながら年を重ねていく姿を描いています。

どちらかと言えば、アクの強いベット・ミドラーと、
若い頃から実力派女優として経験を積んできたバーバラ・ハーシー。
一見すると、どこかアンバランスな2人に映る部分はあるけど、そこは上手くカバーされた作品になっていると思う。

監督は後に『プリティ・ウーマン』など世界的な大ヒット作を手掛けるヒットメーカー、
ゲーリー・マーシャルで本作自体も評判は良かったものの、まだ本作も抜きんでるものが無いというのが本音ですね。

ただ、さすがに30年にも及ぶ友情関係を2時間にまとめ上げる力量は素晴らしく、
演じたベット・ミドラー、バーバラ・ハーシー共に観客の感情を揺さぶる力のある芝居を見せていると思う。
それでいながら、時に軽いユーモアを混ぜたりしながら、映画全体のバランスをとっているのも絶妙ですね。

ベット・ミドラー自身、若い頃からショービズの世界に入って、
70年代に歌手として成功を収め、79年の『ローズ』でジャニス・ジョップリンをモデルにして演じたあたりから、
女優としての地位を築き上げてきましたが、やはり彼女自身とダブるようなキャラクターでここも上手いですね。
この辺はシナリオに合ったキャストを探すという、映画の準備段階での基本がしっかりとできています。

話しは変わって...
個人的には、このような幼馴染と呼べる存在はいないせいか、
ある意味で親類以上の関係とも呼べなくはない、30年にも及ぶ親友ってどんな感覚なのだろう?と
不思議な疑問を感じました。確かに親友とは言え、本作で描かれたように、くっ付いたり離れたり、
常に距離的に近い存在であるとは限りませんが、親とは違う意味で、離れていても絆で結ばれているのでしょう。

でも、それが果たしてどういう“感覚”なのか?
現実にこういう、幼馴染と呼べる存在がいない限り、よく分からないところなのでしょうけど、
そんな幼馴染から受ける影響って、実はもの凄く大きなものなのだろうなぁと感じますねぇ。

人って、やはり成長の過程で変わっていくので、
お互いに成長して変わっていき、環境も変わりながら年を重ねていきながらも、
幼馴染の関係を続けていけるというのは、ホントに何物にも替え難い素晴らしい人生の宝物なのかもしれません。

だからこそ、この映画で描かれたように、その喪失というのは大きなものになるのでしょう。
監督のゲーリー・マーシャルも決して悲観的になり過ぎることなく、CCとjホイットニーのその時々の感情を
大切に描きながら、くっ付いたり離れたりする姿を描いています。くっ付いた時には、「これが普通だ」という
お互いの安定した友情がCCとホイットニーの間をつなぐのだろうし、離れたときには友情を喪失した痛みを感じます。

この映画で描かれることには、メッセージも何が正しくて、何が間違っているとか、
そういったことは皆無だと思います。「友情を大切にしよう!」みたいな説教クサさもありません。
それがゲーリー・マーシャルの映画の良いところだと思います。意外に、なかなかこうはできないものです。

ただただ、CCとホイットニーの30年にも及ぶ友情の深さを描くに留まります。
でも、それが過剰に賛美されるわけでも、悲劇的になるわけでもなく、実に良く制御された味わい深さ。

CCが舞台女優として成功していく過程で、
劇団の主宰者とホイットニーとの三角関係をサラッと描いたり、ホイットニーの結婚相手が
トンデモない奴だったりと、友情を壊す典型例や酷な現実を描いてはいますが、
これらはゲーリー・マーシャルの腕にかかれば、実にアッサリと描かれ、映画が重たくなり過ぎません。

こういう意味では、本作はゲーリー・マーシャルにピッタリな企画だったと言えると思います。

それにしても、CCが女優としての成功をつかむ第1歩となった、
産業がどうのこうのという前衛的なミュージカルが訳分からない感じで謎でしたが、
成功してからの舞台で、ブラジャー開発をテーマにした下ネタ連発の劇もまったく謎なものでしたね。

これらって、ホントに上映されたもののモデルなのでしょうか?(笑)

あまり性別の話しはしたくありませんが、これが男性同士の友情となると、
また違った側面が出てくると思います。だからこそ感じるのですが、女性同士の深い絆を
原作が女流作家のものであるとは言え、男性監督であるゲーリー・マーシャルが描くというのも、また妙ですね。
おそらく、この原作に彼自身、どこか共感するものがあったのでしょうけど、実に上手く描けていると思います。
ひょっとすると、男性だったからこそ、どこか客観的な目線を交えながら、冷静に描けたのかもしれませんがね。

欲を言えば、CCとホイットニーの愛娘の関係については、
早い段階からしっかりと描いて欲しかった。ここ、最後まで観れば分かりますが、実は凄く重要な部分なので。
できることであれば、娘に自我が生まれて成長していく過程で、CCがどう関わったのか?など・・・。

それがあれば、映画の最後はもっと未来的な部分も示唆できる深い内容になったでしょう。
本作で物足りない部分を感じたのは、この部分ですね。結局、この物足りなさがラストに響いてしまった感じですね。
やはり映画のラストは、その映画の印象を決めてしまう、とても重要なところで作り手は大切にしているはずだ。
問題はそのラストに至るまでの納得感を、どれだけ観客が得られるかで、これで映画の印象が決まる。

本作はそのラストに至るまでの描写で、「実は大事だよね」という部分が欠落してしまった印象だ。

映画はあくまでCCとホイットニーの友情にフォーカスしたかったようですが、
映画の最後にどこか食い足りなさが残ってしまったのは、映画の力強さをトーンダウンさせたようで少し残念。

(上映時間123分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 ゲーリー・マーシャル
製作 ポニー・ブラッカイマー=マーテル
   M・J・サウス
   ベット・ミドラー
原作 アイリス・レイナー・ダート
脚本 メアリー・アグネス・ドナヒュー
撮影 ダンテ・スピノッティ
編集 リチャード・ハルシー
音楽 ジョルジュ・ドルリュー
出演 ベット・ミドラー
   バーバラ・ハーシー
   ジョン・ハード
   スポルディング・グレイ
   レイニー・カザン
   ジェームズ・リード
   ヘクター・エリゾンド

1988年度アカデミー美術賞 ノミネート