バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2(1989年アメリカ)

Back To The Future Part U

85年に世界的な大ヒットとなった第1作を受けて、
満を持して製作された第2弾で、今回は3時間を超える長編になるのを避けて、第3作への“つなぎ”となりました。
事実、この映画のエンド・クレジット直前には、1990年夏に第3作を劇場公開する告知が組み込まれています。

第1作では、半ば作り手の洒落で作られた続編を期待させるラストを利用していて、
ドクが未来からすぐに戻ってきて、マーティに「君たちの子供が危ない」と言って、未来で更に改造したデロリアンに
マーティと彼の恋人ジェニファーを乗せて、2015年に向けてタイムスリップするところから映画は始まります。

本作では、マーティとジェニファーが結婚していて、彼らの子供が悪い同級生にそそのかされて、
悪事に手を染めてしまうことを、ドクはマーティに子供に成り済まさせて、誘いを断わろうと計画します。

しかし、そこで乗ってきたデロリアンを見た、未来のビフ老人がマーティとドクの秘密を知り、
隙を見てデロリアンを奪って、1955年にタイムスリップしてスポーツ年鑑を渡すことで、
過去を大幅に変えて、ビフが大金持ちとなり、マーティの母親ロレインも奪って結婚するという
マーティにとってはありえない現実に変えてしまう。計画を成功させたマーティとドクは1985年に帰りますが、
そこでビフ老人が勝手に変えてしまったトンデモない1985年に変貌していたことから、
マーティとドクは1955年にタイムスリップして、未来のビフ老人がスポーツ年鑑を渡すのを阻止することに決めます。

よくもまぁ・・・こうも奇想天外なストーリーを思いつき、
スピルバーグの映画会社“アンブリン”の力もあったとは言え、見事に映像化したと今でも感心してしまいます。

確かに、この第2作までいってしまうと、もはや映画というより感覚的にはゲームかもしれませんが、
当時のロバート・ゼメキスは『ロジャー・ラビット』を監督するなど、ハリウッドでも実験的な映画を撮り、
周囲をアッと言わせていただけに、本作で彼がとったスタイルというのは、大きなチャレンジだったのでしょう。

いくらアイデアが膨れ上がって、長編を分割して第3作までのシリーズにしようとしても、
これが退屈な第2作であったら、このラストの第3作の予告編はお寒い余興ということになってしまいます。
それを見事に楽しい第2作としてくれたおかげで、最高のお膳立てであったと言っても過言ではないと思います。

当時のスピルバーグがこのシリーズにどんな印象を持っていたかは分かりませんが、
これだけ実験的なアプローチで撮りながらもしっかり楽しませてくれて、エキサイティングな仕上がりというのも珍しい。

さすがに現実の2015年は、本作で描かれたような姿ではありませんでした(笑)。
今は2021年、それでも尚、本作で描かれた2015年のデザインとは程遠い世界のように思います。
空飛ぶ自動車は存在しないし、映画で大活躍したホバークラフトも街で楽しむスポーツにはなっていない。
市街地に3D映像を使った宣伝など無いし、自動で乾燥するジャケットなど発明されてはいない。

現実はそんなものかもしれませんが...でも、興味深いのは、
80年代後半に「30年後はこんな未来かも・・・」という期待とアイデアが詰まったのが、この映像ということだ。
第1作でも思いましたが、1955年から1985年にかけての30年間の変化と、1985年から2015年にかけての
30年間の変化では、まともに比較ができないくらい、時代の動き方と生活の変化は全く異なるでしょう。
どう考えても、1955年から1985年の30年間に及ぶ変化は、とても大きな変化であったのは間違いないでしょう。

同じような変化の度合いを2015年までにするとしたら、
確かに空飛ぶ自動車が実用化されてるくらいでなければ、それに匹敵しないことになりますね。

それにしても、大富豪になったビフが建てたビルの中の自宅の趣味が悪くて、なんだか笑える。
どこかで観た気がした光景でしたが、ひょっとしたら『スカーフェイス』のパロディなのかもしれません。
何故か美女と一緒にデカい風呂に入るというゲスな趣味ですが、葉巻を咥えて、まんまトニー・モンタナだ(笑)。
2015年に街角で劇場公開されていた映画が『ジョーズ19』であったりと、随所にパロディが入っている。

おそらく、こういう作り手のおふざけが賛否両論なのだろうけど、
これは完全に自分の思い入れだけで語ってしまいますが(笑)、僕はこの映画のおふざけは好きだ。
そこには当時のスピルバーグの創作活動の根底にあった、「ファンをとことん楽しませる」であったり、
「とにかく観客をビックリさせる映画を作る」ということに基づいた発想を踏襲した内容と解釈したからです。

そして、いつの時代もドクとマーティをつなぐものが、手紙であるという発想もなんだか嬉しい。
おそらく本作劇場公開当時の技術水準から言っても、インターネットの発達で人々がオンラインで
“つながる”という未来予想図を描くことは、そう困難なことではなかったと思うのですが、敢えてアナログにしている。

勿論、ドクやマーティが活動する時代性のこともあるでしょうが、
それを加味しても、最終的に彼らを“つないだ”ものが、いつの時代・場所にもある手紙であるということが妙に落ち着く。

この頃のロバート・ゼメキスはこういう遊び心と、センチメンタルな部分を両立させるアプローチが出来ていて、
そこにデロリアンという最高のアイテムを武器にしたのだから、この映画がヒットしないわけがありません。
あくまで“つなぎ”の第2作にしかすぎなかったのですが、やはり第3作の予告編を挿入した効果もあって、
待ちに待った第1作のファンの心をつかんで、本作は本国アメリカのみならず世界的な大ヒットとなりました。

映画の終盤で、もう一度1955年の“魅惑の深海ダンス・パーティー”を再現していて、
第1作で映したショットとは違うところから、マーティがビフからスポーツ年鑑を取り戻そうと奮闘する姿が
描かれていて、これは細部にわたって作り手が気を遣ったところでしょう。とても良く出来ています。

当然、第1作を撮影したときに撮影していたわけではないので、
これはこれで4年経ってから、同じ撮影シーンを再現したと考えると、本作に関わったスタッフの苦労は
もの凄いものであったはずで、おそらく何度も何度も第1作の“魅惑の深海ダンス・パーティー”を見返したのでしょう。
そうとう緻密に各登場人物の動き、カメラの配置などを考え抜いたものと思われ、凄い苦労だったはずだ。

ちなみに未来のマーティの家族(息子と娘)については、何故かマイケル・J・フォックスの三役だ。
何故こうしようと思ったのかは謎ですが、さすがに娘役のメイクは違和感バリバリだった気がします。。。

前述した通り、本作は第3作と一体となった長編作品だったというのが当初の構想で、
撮影も一気に第3作まで行われていたようです。後々の回想録から明らかになっていますが、
マイケル・J・フォックスはこの頃から、体調の不調を感じ、パーキンソン病の症状に悩まされていたようです。
特に80年代は売れっ子俳優で、次か次へと仕事をこなしていたようで、本作あたりから俳優として次のステージに
進もうとしていた時期なだけに、本作で元気に動き回り、三役をこなす姿に彼自身が思うところがあるのかもしれない。

しかし、マイケル・J・フォックス自身、本作が自身の代表作であることを自認しており、
後々のイベントなどでも、ドク役のクリストファー・ロイドらと顔を見せており、やはり思い出深いのだろう。

僕にとっても、生涯大切にしたいシリーズで、これからも何度も観たいと思う。
そういう人が世界各国にいるのだろうと思うと、あらためてこのシリーズの凄さを感じさせられますね。
何故このシリーズがそこまで愛されるかと言われると、僕はこの第2作を上手いことやったからだと思っています。

当然、第1作のインパクトは格別なもので、第2作以降がそれを超えることはないと思うけど、
でも、だからこそこの第2作が上手くシリーズを“つなげた”からこそ、愛されるシリーズ映画になったのだと思う。

(上映時間108分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 ロバート・ゼメキス
製作 ニール・キャントン
   ボブ・ゲイル
脚本 ボブ・ゲイル
撮影 ディーン・カンディ
特撮 ILM
音楽 アラン・シルベストリ
出演 マイケル・J・フォックス
   クリストファー・ロイド
   リー・トンプソン
   トーマス・F・ウィルソン
   クリスピン・クローバー
   エリザベス・シュー
   ジェームズ・トルカン
   ジェフリー・ワイズマン

1989年度アカデミー視覚効果賞 ノミネート
1989年度イギリス・アカデミー賞特殊視覚効果賞 受賞