レナードの朝(1990年アメリカ)

Awakenings

もともとは医師オリバー・サックスのノンフィクションの映画化作品ですが、
本作は脳炎後遺症で長年闘病していたレナードという男性をメインに描いたフィクションとのこと。

臨床での経験がなく、ほとんどが神経医学の研究に勤しんでいたセイヤー医師が
たまたま求人の出ていたブロンクスの慢性神経病患者を専門に入院する病院に応募し、
面接の中で実は臨床経験のある医師を必要としていることが分かり辞退しかけるものの、人手不足に悩む院側が
セイヤーの臨床経験を無理矢理導き出して、採用することになったものの、臨床経験のないセイヤーが困惑しながらも
実は入院患者の多くに共通した反射的な動きが見られ、数十年前に流行した謎の脳炎のことに行き着きます。

そんな中で、パーキンソン病向けの新薬L−ドーパに強烈に惹かれたセイヤーが
自身の患者たちに投与を試みて、最初の投与患者であったレナードに奇跡の目覚めの朝が訪れます。

L−ドーパは「レボドパ」と呼ばれており、今でも向パーキンソン病薬や向精神薬として使われているそうだ。
レナードに奇跡が訪れたことをキッカケに、寄付金を広く集め、他の患者へも投与することで病院は一変します。

クドいようですが、本作はオリバー・サックスの実体験を基にしているようですので、
実際にこれに近いことが行われ、実際に一時的な目覚めがあったようで、意識障害治療に一石を投じました。
しかし、映画でも描かれている通り、化学反応には副反応が生じることは往々にしてあり、薬になると副作用と呼ばれる。
L−ドーパも副作用があるわけで、映画で描かれるセイヤーの行ったことは、冷静に考えるとハイリスクな治療行為だ。

症状を緩和したいがために、そして症状が思わしくないと、より症状を改善させるために
ついつい薬の処方量が増えていくがために、当時、どれだけ統計的な考え方に基づいてL−ドーパの投与試験を
実施していたのかは分からないけど、映画で描かれている試験はかなりのリスクを伴ったもののように見える。

おそらくセイヤーからすると、「完治の可能性がある治療法は、これしかない」という想いからの行動で
レナードらの家族も同意したことから、決して医療倫理に反することではないが、後に劇中語られていますが、
必ずしも家族や本人にとって望んだ結果を生み出すとも限らず、医師という職業の難しさを感じさせます。

病院の既存の医師たちや薬剤師に任せていては、このようなL−ドーパの効果は分からなかっただろうが、
医師なので患者の人生にとって最良な治療が何なのかということを、考えなければならないわけで、
そこに100点満点の答えというのは難しいでしょうね。病気も多種多様、個人差があり、家族の意見もそれぞれだ。

それでも、ハイリスクな治療を試みたセイヤーの行動には賛否があるだろうが、
映画の序盤で描かれた通り、臨床経験がほとんどなく、研究畑で働いてきたセイヤーだからこそ、
こういったことに躊躇は無かったのかもしれないと、このストーリー展開については説得力があると思います。

一時的に奇跡的な目覚めがレナードに起こり、他の患者も奇跡の目覚めが訪れ、
一見すると意識障害が解決したかのように見えますが、次第にレナードには副作用としてチック症の症状が見え始め、
更にはレナード自身の母親に対して感情的な対応が増えるなど、症状は再び悪化し、セイヤーも治療に苦慮します。

自由のない入院生活に怒りを隠し切れないレナードは、強引に外出しようとしますが、
引き止められ、一気に症状が悪化し、レナードは別な病棟に移動させられ、再び身体の自由がきかなくなっていきます。

L−ドーパの効果は脳炎後遺症患者の意識障害を緩和させますが、あくまで一時的なものであり、
場合によっては、副作用を伴いながら再び意識障害の症状が出始めるということで、元に戻ってしまう。
最後に流れるテロップによると、その後も治療は続けられ一時的な改善はあったが、すぐに戻っているとのこと。
如何に神経症状の抜本的な改善が難しいかと物語っており、未だ医学的に解明できていないことも多くあります。

症状が日に日に悪化していることを自覚したレナードが、強い症状を発作的に起こした時に、
セイヤーに自分をカメラで撮影して、自らの症状を研究材料とするように強く指示するといったシーンもあり、
レナードも自ら患った疾患が、医学的に解明されていないことを悟り、献身的な見地に立つ姿が印象的だ。

と言うのも、レナードは11歳のときから昏睡状態であり、彼の記憶は少年時代から途絶えている。
中年期になってから、急に目指したわけで、彼の中でも大きな戸惑いと内面的には少年そのままであったはずだ。
そうであっても、自分の置かれた状況を冷静に感じ取り、セイヤーと対等に話しをできるようになるのは、大きな成長だ。

正直言って、レナードがペネロープ・アン・ミラー演じる見舞いの女性に、淡い恋心を抱き、
病院の食堂に立ち寄った彼女に、自ら接近していくというエピソードは個人的にはどうなのかと思ったのですが、
あくまでフィクションとして目をつぶることとして、おそらくペニー・マーシャルは目覚めたレナードが周囲の想像を上回る
急速なスピードで実年齢に追いつこうとする、無意識的な作用を表現したかったのだろうと、かなり“意訳”しました(笑)。

まぁ、本作はロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムスの2人をキャスティングできたことが
最も大きかったのだろうけど、一部で言われていたように、僕も本作のデ・ニーロは少々映画に合っていない
オーバーアクトに見えて、チック症の発作的な症状などかなり研究したのだろうが、あまり自然な芝居には観えなかった。

一方で、セイヤー医師を演じたロビン・ウィリアムスはかなり抑えた演技に終始していますが、
当時からシリアスな映画にも出演したいとする意向が強かったのか、デ・ニーロのオーバーアクトの方が目立ってしまう。

決してつまらない映画だとは思わないし、随所に良いシーン演出もあるのですが、
本作の場合はデ・ニーロの演技が映画に合っていない感じで、映画の最後の最後まで気になって仕方がなかった。
この辺はペニー・マーシャルもディレクターとして、もっと全体のバランスに気を配って欲しかったなぁと思う。

良いシーンという意味では、患者たちがL−ドーパの効果で一時的に覚醒し、
患者たちが日常を送る日差しが差し込む部屋が、次第に活気づいていく雰囲気などとても良く描けていると思う。
患者の一人としてジャズ・ミュージシャンのデクスター・ゴードンが出演していて、持ち前のサキソフォンではなく、
ピアノを演奏する姿を映すシーンにも要注目。セイヤーが看護婦のエレノアからお茶に誘われる空気感も良い。

ただ、僕は医療従事者の観点から描いた映画として観ていたせいか、
あまりレナードのような患者たちの目線から映画を観ていなかった気がする。そのせいか、感動作とは映らなかった。

どちらかと言えば、前述したように患者や家族の期待に応える治療を選択することの難しさや
物事の多面性から、どういう選択肢をとっても、ある一定以上のリスクを背負わなければならない医師という
職業の難しさを切り取った、医療ドラマにも近い感覚で本作を観ていました。ですから、「考えさせられる映画」ですね。

患者の視点を考えるという意味では、観終わってから思ったけど、
30年間の昏睡状態から目覚め、その間の記憶は全くないということは、想像を絶する不幸な状況かもしれない。
さすがに1930年代から1960年代までの30年間の変化というのは、今の30年前との比較とは桁違いだろうし、
かけがえのない青年期を奪われたことへの憤りなど、いろいろな感情が湧いてきて普通だと僕は思います。

それらが頭の中でパンクしてしまって、大きく混乱しても不思議ではありません。
そういう意味では、レナードの反応というのは実はスゴいことなのかもしれません。普通なら耐えられないと思います。

一度は治癒に向かっていると思われたレナードと、セイヤー医師が笑顔でツーショット写真を撮ったりと
交流を重ねるシーンがなんとも切ない。やはり医療というのは、時々刻々と変化する状況の中で100点満点の答えを
導き出すことは難しく、一つの困難を乗り越えても、すぐにまた新たな困難が襲いかかってくることなど日常茶飯事。

しかも、必ずしも薬漬けや手術の連続で、疾患を完治させることだけが患者の幸せというわけでもなく、
患者自身にも、その家族にも多種多様な意見や希望があり、そこに医療が介入するのは限界がある。

セイヤーも医師免許を持ちながらも、ずっと研究畑の人という設定。
きっと、ずっと研究職に就いていては、こういう難しさに直面することも経験ができなかったでしょう。
そういう意味では、本作はセイヤーの大きな変化を描いた映画でもあるわけで、そこはとても良く出来ていると思う。

(上映時間120分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 ペニー・マーシャル
製作 ウォルター・F・パークス
   ローレンス・ラスカー
原作 オリバー・サックス
脚本 スティーブン・ザイリアン
撮影 ミロスラフ・オンドリチェック
編集 ジェラルド・B・グリーンバーグ
音楽 ランディ・ニューマン
出演 ロバート・デ・ニーロ
   ロビン・ウィリアムス
   ジュリー・カブナー
   ジョン・ハード
   ルース・ネルソン
   ペネロープ・アン・ミラー
   マックス・フォン・シドー
   ピーター・ストーメア
   デクスター・ゴードン

1990年度アカデミー作品賞 ノミネート
1990年度アカデミー主演男優賞(ロバート・デ・ニーロ) ノミネート
1990年度アカデミー脚色賞(スティーブン・ザイリアン) ノミネート
1990年度ニューヨーク映画批評家協会賞主演男優賞(ロバート・デ・ニーロ) 受賞