あの夏、いちばん静かな海。(1991年日本)

ウソかホントか知らないのですが...
北野 武は90年に桑田 佳祐が撮って話題となった『稲村ジェーン』を観て、
「これは映画を観るというより、音楽を聞きに良くという感覚で観た方がいい」と遠回しに批判したらしい。

ひょっとしたら、この発言と関係があるのかもしれませんが、
北野 武はまるで桑田 佳祐に「映画ってのは、こういうことを言うんだよ」と諭すかのように、
本作を企画・製作したかのようで、これは正にお手本のようなサーフィン映画と言っていい。

ひょっとすると、今の日本映画界でもこれだけ力のある映画を撮れるのは、
北野 武しかいないのかもしれません。台詞は最小限に抑え、実に示唆的に描いています。

確かに内省的な内容で、派手さはなく、大衆ウケはしないかもしれませんが、
これは僕の大好きな映画であり、並みの映像作家では為し得ない秀作と言っていいと思う。
特に今の日本の映像作家たちは、本作のような作品をお手本にすべきで、実に感動的なフィルムだ。
おそらく当時はまだ北野 武が撮りたい映画の企画も多かったはずで、初めて恋愛映画に挑戦したものの、
予想外なほどにオーソドックスに、実直に映像化した内容で、むしろ新鮮味があったでしょうね。

敢えて『稲村ジェーン』と比較する必要はありませんが、
北野 武が映画監督としてデビューして、僅か数年で全く別の次元で創作活動していたことが分かります。
本作を観る限り、北野 武の映像作家としての余裕すら感じさせる内容で、実に見事な出来映えです。

少々、久石 譲の音楽を使い過ぎ、ラスト・シークエンスなんかはクドいような気がするのですが、
それも決して映画として致命傷となるような、雰囲気をブチ壊す描写にはなっておらず、
特に青春映画の要素が強い本作にあっては、登場人物が楽しそうにカメラに写っているショットを
連続して並べる発想自体は、そんなに悪いものではなかったと思いますね。

映画はゴミ収集業者に勤める聾唖の青年が、
偶然、ゴミ捨て場に置かれていたサーフィンと出会い、サーフィンの不思議な魅力に惹かれ、
恋人で聾唖の女性に見守られながら、サーフィンに打ち込むうちに腕を上げていき、
大会に出場するまでになる姿を描いたストイックな恋愛を基調にした青春映画なのですが、
本作での北野 武は敢えて台詞で多くを語らず、映画に空気を吹き込み、その空気で表現します。

時には台詞でハッキリと言ってしまった方がいい場合もあるのですが、
本作の場合はこのストイックさが素晴らしくハマっていて、空気だけでこれだけ多くを描くというのは、
そうとうな演出力がないと達成できないはずで、本作が早くも北野 武にとって一つの到達点だったのだろう。

僕は本作で北野 武がアピールした映像作家としての姿勢に、
強く感銘を受け、一気に彼の初期の監督作品に対する見方が変わったことは事実ですね。

ヒロインを演じた大島 弘子もとても印象的なのですが、
当初は本作出演後も芸能活動を継続させる予定だったらしいのですが、
どうやら本作出演後は映画には一本も出演しておらず、本作が現時点での最後の仕事みたいですね。
何だか勿体ないような気がしてなりませんね。本作では僅かな表情の変化で、多くを表現できているのに。

動きの少ない映画の中で、これだけしっかりとした表現ができたというのは、
当然、演出家の力もあるとは思うけど、正直、キャストに恵まれたことも大きかったと思いますね。
そういう意味で、若き日の真木 蔵人の存在感も抜群で忘れ難い。一人一人が、キッチリ仕事していますね。

全てのスタッフが機能的に絡み合っているのがよく分かる作品で、
それまでは半ば本能的に闇雲に映画を撮っていた面があった北野 武が初めて、
言葉に言い表し難い手応えを感じ始めていたのは、本作からではないでしょうかね。
まぁデビュー作の『その男、凶暴につき』の時点で、映画監督としては十分に凄かったとは思うけど。

あと、一見するとどうでもいいように思える細かい描写もキッチリやっていることに好感を持ちますね。
例えば、強気に経営するサーフショップの店での空気とか、自分の採点内容に不満を持ち、
大会の審査員に質問しに行き、一つ一つ審査員に説き伏せられてしまう様子とか、その全てが実に生々しい。

時にこういう部分がコント的になってしまいがちな北野映画なのですが、
本作は実に真摯な姿勢で、ストレートに生々しく描いてしまおうとする姿勢に好感が持てます。
(強いて言えば、主人公カップルを茶化しながらも、自分たちもサーフィンを始める2人組がコント的だが...)

ひょっとすると、これは90年代に製作された邦画の恋愛映画で一番、良いかもしれません。
これだけ慎み深く、映画が本来持つべきセオリーを踏襲し、完成した建設的な映画は珍しいぐらいです。

やろうと思えば、いくらだって感情的に映画を撮ることはできたでしょうが、
まるでカメラの手前側で、北野 武が必死に感情を抑えるかのように、敢えて過剰な演出をせずに
ルーチンワークを重ねて映画の雰囲気を作り出し、最後に結実させたという点で、これは賞賛に値します。
演出を過剰にすることは簡単ですが、これだけ感情を抑えて映画を撮ることは、ひじょうに難しいことですよ。

残念ながら、本作は商業的成功を収めることはできませんでしたが、
おそらく北野 武自身、今でも本作を撮ったことは後悔していないでしょうし、手応えは感じているはずです。

もうこの頃から、北野 武は映画監督として、世界的な評価を得る土台はできあがっていたのですね。

(上映時間101分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 北野 武
製作 館 幸雄
脚本 北野 武
撮影 柳島 克己
美術 佐々木 修
編集 北野 武
音楽 久石 譲
出演 真木 蔵人
    大島 弘子
    河原 さぶ
    藤原 稔三
    寺島 進
    小磯 勝弥
    松井 俊雄