A.I.(2001年アメリカ)

A.I. / Artificial Intelligence 

これは劇場公開当時、僕は映画館で観ました。当時、かなりヒットしていたので。
約20年強経って、時代がキューブリックやスピルバーグに追いついたというか、装置にAI搭載が標準の時代になり、
1児の父となって本作を観ると、初見時に比べるとかなり感じ方が違うなぁと、自分でもよく分かる不思議(笑)。

いや、これは子どもを目の前に生活していると、全く感じ方が違いますわ。
映画の出来自体は、劇場公開当時から賛否両論だったけど、僕はそこまで当時から悪いものだとは思っていなかった。

その意見はそんなに変わらないのだけれども、正直、「感動作」と評される理由はよく分かっていなかった。
ただ、今は分かるわ(笑)。これはロボットの少年が「人間になって、母の愛を受けたい」と切望するだけ涙(笑)。

この映画で描かれるロボットのデビッド少年は、あくまで人間によってプログラムされたロボットですが、
強烈なまでのマザコンで、母親からの愛に飢えている。それゆえ、彼の行動の原動力は全て母への愛である。
でも身近で子どもを見ていると、まぁ・・・そんなもんかなと今は思ってしまう。自分もそうだったのだろう。

本作は企画をスタンリー・キューブリックが長年温めていたらしく、
残念ながら『アイズ・ワイド・シャット』を遺作にしてキューブリックが他界したことにより、スピルバーグが引き継ぎました。

まぁ、キューブリックが撮っていれば、もっとアヴァンギャルドな映画になっていたのではないかと
勝手に想像しているのですが、それでも本作はスピルバーグなりにダーク・サイドな部分を描いていて頑張っている。
お世辞にも明るい内容の映画とは言えないし、希望に満ち溢れたストーリー展開でもない。色々な意見はあるだろうが、
御伽噺でも子供騙しの映画でもないと、僕は感じました。ただ、厳しく描き切れないあたりはスピルバーグらしい。

キューブリックも脚本の全てを書き上げていたわけではなく、途中で終わっていた遺稿を読んで
スピルバーグらが追記していったらしいのですが、どこが書き足した部分なのかは正確には分からない。
ただ、映画を観ていて初見時からずっと感じるのは、映画のラスト約20分は蛇足に感じられてならないのは変わらない。

正直言って、デビッドが念願のフェアリーテイルを探しに行ったり、
2000年後の未来の姿、そしてデビッドの夢を具現化させてしまうのは、少々“おせっかい”に見えてしまった。
これを除けば、本作は終始、心を揺さぶる力のある秀作だと思う。本作のテーマに上手く肉薄していますしね。

そりゃ、本作の大きなテーマとは、「人工知能が愛を示して、人間が人工知能を愛せるのか?ということだろう。

よくよく観れば、本作で描かれる人間たちの行動や発言はあまりに無機質で自分勝手なものだ。
亡くした子どもの幻影を追いかけるように、亡くなった息子をモデルにしたロボットを開発する博士に、
意識不明に陥った子どもを看病し続けるツラさから逃避するために、そのロボットを借りて“代用”させたり、
挙句の果てには安易にロボットのスイッチを入れておきながら、危険だからと判断して破壊せずに解き放ったり。

これでは、まるで外来種を飼いきれないからと野に解き放つ行動と一緒だ。
人間ではないロボットを人間へ愛情を注ぐ“代用”として、まるでペットのような感覚で家に住ませる。
しかも、愛情が芽生えたロボットを「可哀想だから」と破壊せずに、自由にさせるなど、人間のエゴ全開だ。
しかし、デビッドから見れば真相など分からないし、大人の気持ちなど理解できないし、母はあくまで母親。
自分にとっては、いつまでも優しいママであって欲しく、永遠に一緒に仲良く暮らしたいだけなのだ。それが子どもの愛。

絶対に叶うわけがない状況で、しかもデビッドにとっては“不利”な状況になるあたりが、余計に物悲しい。
この辺は確かにキューブリックが描くよりも、スピルバーグが描いた方が真に迫ることができた部分なのかもしれない。

ハッピーエンドと言えばハッピーエンドだけど、そこまで希望に満ち溢れたものではない。
どちらかと言えば、映画全体に覆いつくしている暗い雰囲気が、映画の最後の最後まで支配している感じで、
どこか一筋縄にはいかないハッピーエンドという感じで、映画のラストは何とも言えないテイストがあると思う。

ロボットに愛情をとか、人間の欲望を満たすためのロボットという存在を全否定はできないが、
ただ僕はロボットとは人間生活のサポートやアシストという立場であれば良いが、人間と同等、
若しくはそれ以上の存在になると、難しい部分があるなぁと感じる。これはアイザック・アシモフも描いていましたがね。

まぁ、主演のハーレイ・ジョエル・オスメントを観ていると、なんだか複雑な気持ちになるのですが、
やっぱりこの頃は天才子役と言われただけあって、本作も素晴らしいですね。この頃に色々と出し尽くしたのかも。
残念ながら本作以降は一気に失速してしまい、ハリウッドの“公式”に漏れずに子役として長続きせず、
ティーンのときに飲酒運転やらマリファナ所持やらと問題を抱え、大人の俳優とへ転身するのに時間がかかりました。
その後も低予算映画などに出演しているらしく低迷期が続いているように見えますが、子役でブレイクすると難しいなぁ。

本作以前は大物俳優と共演する中でインパクトを残してきましたが、本作はほぼ彼の独壇場ですものね。
こんな仕事、そう簡単にはできませんよ。やっぱりスゴい天才子役であったのは間違いないと思います。

個人的にはキューブリックが撮っていたらどうなっていたか、観たい気持ちはあるけど、
それを言っても仕方がないので、純然たるスピルバーグの監督作品として思うと、彼のプロダクションなら朝飯前だろう。
ただ、僕はこの映画にキューブリックの幻影を追いかけたつもりはないけど、スピルバーグ自身が追い続けている。
映画の中盤に描かれたスクラップ・フェアなんて、その最たるものだ。「キューブリックだったら、こう撮ったのでは?」と
余計なオリジナルへのリスペクトが、かえって本作にとっては邪魔だったと思う。あくまで自分を貫けばいいのに。

勿論、過剰な書き換えが賛否を呼ぶことは分かるが、こんなにキューブリックに忖度したような演出では、
一体誰の映画なのかが分からない。こういうアプローチを見て、キューブリックが喜んだかどうかも分からない。
もっとスピルバーグだからこそ描いたというものが欲しかった。それが2000年後の未来だというなら、あまりに寂しい。

全米では哲学的な映画と解釈され、思うような興行収入を得られなかったようですが、
日本でヒットしたのは単純に親子愛をベースに、ロボットが人間からの愛を渇望するという側面を強調したからです。
それと、スピルバーグが天才子役のハーレイ・ジョエル・オスメントを起用したという話題性もあったでしょうけどね。
確かに哲学的なニュアンスもあるのだけど、僕は日本の宣伝の方が映画のベースに合っていると思いますね。
(今になって思えば驚きだが、当時はシネコンの2〜3スクリーンで同時上映するくらいのヒットでした)

敢えて哲学的に解釈すると、地球温暖化が進み人間が暮らす大地の面積が減少し、
資源が枯渇した社会となって、妊娠と出産を制限して人口増加を抑え、ロボットが活躍する領分を増やした社会を
形成すると、おのずと人類は衰退の方向に向かっていくことを暗に示しているように思う。氷河期が到来し、
人類は滅亡するという設定ではあるが、そんな中で“支配者”であったはずの人間がいない中でも、
唯一生き残ったのがロボットであるというのが、なんとも皮肉に感じる。これはキューブリックが描きそうなテーマ。

それと同時に、本作は不老不死の恐ろしさも同時に描いているように思う。
どこか映画の終わりに暗い影を落としているように見えるのは、デビッドだけが人間を知るロボットとして、
2000年前の姿形そのままに生き残っていることである。確かに老いるのも死ぬのも嫌だし、生きられるのであれば
生きたいとは思うけど、自分だけが不老不死なんてホラー以外の何物でもない。終わりが無いことの恐ろしさを感じる。

デビッドは永遠に母親との日々を過ごすことを希望するというピュアなところがありますが、
こういう純真無垢な心を現実に持たせてしまうのも人間。言ってしまえば、人間のエゴによる被害者に見える。

誰しもが感動するタイプの映画とは言えないだろうし、感動と言っても、
僕の中ではどちらかと言えば、哀れみの方向で心を動かされるので、あまり気持ち良い感動ではないかもしれない。
とは言え、SF映画のファンならば観ておいた方がいいでしょう。スピルバーグの異色作として、一見の価値あります。

ちなみに終始、どこか温もりの感じられないヤヌス・カミンスキーのカメラも素晴らしいですね。

(上映時間145分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 スティーブン・スピルバーグ
製作 ボニー・カーティス
   キャスリン・ケネディ
   スティーブン・スピルバーグ
原案 スタンリー・キューブリック
脚本 イアン・ワトソン
   スティーブン・スピルバーグ
撮影 ヤヌス・カミンスキー
音楽 ジョン・ウィリアムス
出演 ハーレイ・ジョエル・オスメント
   フランシス・オコナー
   ジュード・ロウ
   ブレンダン・グリーソン
   サム・ロバーズ
   ウィリアム・ハート

2001年度アカデミー作曲賞(ジョン・ウィリアムス) ノミネート
2001年度アカデミー視覚効果賞 ノミネート