地獄の黙示録(1979年アメリカ)

Apocalypse Now

最初にことわっておきますと...僕はこの映画、好きじゃない。
映画の出来もそこまでではないと思う。でも、この映画はスゴい。強烈なインパクトだ。

70年代は『ゴッドファーザー』、『ゴッドファーザーPARTU』、『カンバセーション …盗聴…』と
立て続けに高く評価された傑作を発表したコッポラの、70年代の集大成とも言える作品だ。
言わば、本作はコッポラなりの狂気が凝縮された作品とも言うべきで、今尚、熱狂的な支持ある作品だ。

実際に撮影現場は半狂乱とも言える状況だったらしく、
コッポラは本作撮影完了直後、精神的な疲労がピークに達していたようです。

当初、この映画の主人公的存在である、ウィラード大尉はハーベイ・カイテルが
演じる予定で、実際に撮影も始まったそうですが、約2週間後に契約の問題で降板となり、
代役として白羽の矢が立ったマーチン・シーンにしても、撮影途中に心臓麻痺を起こし倒れ、
カンボジアでカーツ大佐が作り上げた“王国”を取材していたアメリカ人を演じたデニス・ホッパーにいたっては、
撮影当時、薬物中毒が酷い状況で不潔な衛生状態で、台詞がまるで覚えられず、コッポラと衝突していたようだ。

更に主演がハリウッドを代表するカリスマであり、超個性的な孤高の存在であった、
名優マーロン・ブランドなわけですから、トラブルが絶えなかったことは想像に難くありません。

しかも、ベトナム戦争に於ける、戦地の狂気を表現するために、
出演者の多くがLSDを服用していたようで、それが撮影スタッフにもまん延して、
撮影現場は異常なまでの興奮状態であったようだ。その異様なまでのテンションが、観ていて伝わってくる。

おそらく今となっては、二度と撮れない映画だからこそ、
本作の熱狂的なファンが多くいて、01年には3時間を超える“特別編集版”のリバイバル上映、
2018年には“ファイナル・カット”と題してリバイバル上映が実現するなど、今尚、影響力の強い作品である。

映画はベトナムのジャングル奥から国境を越えた、カンボジアの地で独自の理論を説いて、
行き過ぎた“王国”を作り上げたカーツ大佐の暗殺を、米軍上層部からウィラード大尉が指示されるところから始まる。

アメリカに帰国しても自分の思った生活が無く、戦地での諜報活動を待ちわびていた
ウィラード大尉は、カーツ大佐の資料を読み、次第にまだ見ぬカーツ大佐を想像していきます。
ベトナム戦争は泥沼化し、ジャングルの奥へ入るために船で川を進むウィラード大尉も、
戦争での闘いよりも、サーフィンを愛するキルゴア中佐の異様なテンションの高さにギャップを感じ、
戦争の現実を目の前に、ベトコンと闘うことよりもカーツ大佐を追うことに執念を燃やすようになります。

そのためには、カンボジアまでの輸送役兵士がベトコンを探すことを提案しても、
猛然と反対するし、ベトコンの負傷者がいて病院へ連れて行くとなっても、とどめを刺すことに躊躇しない。
目的達成のためには、手段・方法を選ばぬストイックさが、旅路が続くにつれて強くなっていきます。

この映画の凄いところは、重要な役どころであるはずのマーロン・ブランド演じるカーツ大佐が、
なんと上映開始から約1時間55分、まったく登場してこないことだ。つまり、最後の30分だけの登場だ。
それでもこれだけのインパクトを残せるのですから、マーロン・ブランドの影響力も凄いもんですが、
それだけウィラード大尉の苦悩を描くことに注力して、マーロン・ブランドを出し惜しみし続けたことが凄い。

『ゴッドファーザー』のときよりも、マーロン・ブランドはよりワガママになっていたというから、
当時のコッポラもそうとうに手を焼いていたのでしょうから、編集でかなりカットしたのでしょうね。
それゆえ、僕の中で本作の物足りなさというのは、このカーツ大佐の実像が不明瞭なことでしょう。
これはコッポラ自身も認めていることですが、狂気に満ちた撮影現場で、クランクインからクランクアップ、
そして編集作業完了までに約2年以上の月日を要したことから、途中から彼もこの映画のテーマ、
撮影当初に思い描いていた、ホントに描きたいことというのを、製作途中で完全に見失っていたようです。

その迷走ぶりは、この映画を観れば、なんとなくよく分かる。
それが僕の中ではこの映画の完成度が高いようには見えなかった理由なのでしょうけど、
反面、この混沌としたカオスが無ければ、本作は凡百の戦争映画の一つに埋もれていたかもしれません。

おそらく、そんなことではカンヌ国際映画祭でグランプリ(パルム・ドール)は獲れなかったでしょう。

よく言われることですが、この映画は特に前半の異様なまでのテンションが良い。
ロバート・デュバル演じるギルコア中佐は、自身がサーフィン好きということもあって、
派遣された兵士にサーフィンの名手がいると知ると、例え危険な地域であっても、2mの波が来ると知ると、
そこへ行って「サーフィンしてくるぞ!」と自分の編隊を連れて行く。ベトコンの反撃に遭おうがお構いなしで、
攻撃をかわしながら、なんとかサーフィンしようとする。そんな姿にウィラード大尉は幻滅しますが、
かの有名なワーグナーの『ワルキューレの騎行』のメインテーマを、オープンリールで流しながら、
戦闘地域へ空から襲撃するシーンは圧巻の出来で、戦闘シーンの迫力は凄まじいです。

長期化したベトナム戦争でおかしくなった人々というテーマは、
おそらく本作で初めて、映画の中でクローズアップされたのではないかと思います。
本作登場がなければ、『プラトーン』も『フルメタル・ジャケット』も、また違った形で受け取られていたかもしれません。

観る年代によって、この映画に対する印象が大きく異なるのかもしれません。
僕は最初にこの映画を高校生の時に観たのですが、当時はまるでこの映画の凄みは理解できませんでした。

しかし、これだけ熱心なファンが多いことを思うと、
この映画が持つ、どこか異様なまでのテンションにカリスマ性を感じる人も多いのでしょう。
当時のコッポラは既に巨匠と呼ばれる域に達していたかと思いますが、本作の賛否両論な結果に、
80年代はコッポラにとって大変な時代となりました。そういう意味で、本作は一つのターニング・ポイントですね。

元々、大義のない戦争と言われたベトナム戦争で、
長期化して泥沼化した中で、兵士たちの士気の低下や目的を見失った兵士が数多く出ました。
そんな中でカンボジアの奥地で、まるでカルト教団かのように“王国”を作り上げる上官がいたという
フィクションもありえそうなことではありますが、本作の場合はカーツ大佐にたどり着くまでが面白いかな。

ちなみにクライマックス、宗教的儀式で牛を斧のような刃物で
首を切っていくシーンがあるのですが、これは映画の映像表現としては衝撃的なシーンだ。

仕事柄、豚肉のと畜は見たことありますが、二酸化炭素で眠らせた豚を解体していくので、
生きたまま首を切るということは、直視しがたい状況ですね。但し、人間はあくまで肉食をする生き物です。
こういう殺生をして人間は生き永らえているわけで、これは綺麗事では片付けられない食物連鎖です。

そうなだけに、食べられる生き物の分も含めて、人生を大切にしていかなければならないですね。

(上映時間153分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 フランシス・フォード・コッポラ
製作 フランシス・フォード・コッポラ
   フレッド・ルース
原作 ジョセフ・コンラッド
脚本 ジョン・ミリアス
   フランシス・フォード・コッポラ
撮影 ヴィットリオ・ストラーロ
編集 ジェラルド・B・グリーンバーグ
音楽 カーマイン・コッポラ
   フランシス・フォード・コッポラ
出演 マーロン・ブランド
   マーチン・シーン
   デニス・ホッパー
   ロバート・デュバル
   フレデリック・フォレスト
   アルバート・ホール
   サム・ボトムズ
   ローレンス・フィッシュバーン
   スコット・グレン
   ハリソン・フォード
   G・D・スプラドリン

1979年度アカデミー作品賞 ノミネート
1979年度アカデミー助演男優賞(ロバート・デュバル) ノミネート
1979年度アカデミー監督賞(フランシス・フォード・コッポラ) ノミネート
1979年度アカデミー脚色賞(ジョン・ミリアス、フランシス・フォード・コッポラ) ノミネート
1979年度アカデミー撮影賞(ヴィットリオ・ストラーロ) 受賞
1979年度アカデミー美術監督・装置賞 ノミネート
1979年度アカデミー音響賞 受賞
1979年度アカデミー編集賞(ジェラルド・B・グリーンバーグ) ノミネート
1979年度イギリス・アカデミー賞助演男優賞(ロバート・デュバル) 受賞
1979年度イギリス・アカデミー賞監督賞(フランシス・フォード・コッポラ) 受賞
1979年度全米映画批評家協会賞助演男優賞(フレデリック・フォレスト) 受賞
1979年度ゴールデン・グローブ賞助演男優賞(ロバート・デュバル) 受賞
1979年度ゴールデン・グローブ賞監督賞(フランシス・フォード・コッポラ) 受賞
1979年度カンヌ国際映画祭パルム・ドール 受賞