アメリカン・グラフィティ(1973年アメリカ)

American Graffiti

これは夜の映画だ。

77年に世界を熱狂させた『スター・ウォーズ』でSF映画界の巨匠となったジョージ・ルーカスが、
実はデビュー当初は、こんな青春映画を撮っていたということは、多くの映画ファンも忘れてしまったのではないか。

リチャード・ドレイファスが出演していることもあってか、
映画のラストシーンに残る余韻からは、まるで70年代の『スタンド・バイ・ミー』と言わんばかりの
ノルスタルジーで、73年当時からしてもかなり懐古趣味を感じさせる内容の映画だったのでしょうね。
当時、ハリウッドもアメリカン・ニューシネマの影響を色濃く受けていた時期なので、
本作のようなタイプの映画の企画は通りにくかったと察しますが、それでも映画化されたというのは、
それだけ当時、ジョージ・ルーカスの将来が期待されていたことの表れだったのかもしれません。

誰しも経験する高校最後の夜。アメリカの場合は、特にダンス・パーティーが有名で、
リチャード・ドレイファス演じるカートは優等生で、翌日には都会の大学へと移動することが予定されている。

どこかに心の迷いがあって、なかなか気持ち良く、「行こう!」という気になれず、
最後の夜も友達と街に繰り出し、たまたま見かけた美女を追いかけ回し、不良グループに目を付けられ、
生まれ育った田舎町の余韻に浸る最後の夜という感じではなく、慌ただしく時が過ぎていきます。

この映画は1962年を舞台にしているようですが、
ベトナム戦争の泥沼化もありましたし、おそらく1973年当時からしても「旧時代」のように感じられるぐらい、
当時のアメリカの方々から見ても、懐かしむくらいのノスタルジーだったのではないかと思います。

それを象徴するのは、映画の冒頭にあるドライブインの空に広がる夕焼けだ。
おそらくこのヴィジュアルは、ジョージ・ルーカスに強いこだわりがあったのではないかと思います。

有名な話しですが、本作の撮影にあたってジョージ・ルーカスは、
キャストたちに脚本にこだわらない自由度の高い芝居をさせていたようで、NGテイクなど、ほぼ無かったようだ。
通常の映画撮影であればNGになるようなシーンでも、OKテイクとして採用されたシーンが多くあり、
映画の性格に沿うようにハプニング的要素を大事にして、芝居は強いこだわりは持っていなかったようです。

それに対して、このドライブインの夕焼け空にこだわっていたように見えるのは、如何にも彼らしい。

まぁ、観るからにお金のかかっていない映画で、当時としても超低予算な製作費だったらしい。
それが全米でも大ヒットしたわけですから、ジョージ・ルーカスの評価はうなぎ登りだったらしいです。
中身自体は、プロデューサーとして本作の企画に参加したコッポラが如何にも好みそうな青春映画ですけどね。

基本、映画の根底には色恋沙汰と、大人への脱皮直前の背伸びしたい願望が入り混じった内容で、
話しが行ったり来たり、複数名のエピソードが入り乱れる感じで、チョット分かりにくい。
ただ、あくまで群像劇であり、最終的には夜が明けていくという同じベクトルに向って動いている。
一つ一つのエピソードがどこか中途半端に感じられて、最終的に“まとまった”という感じではないのが残念だ。

前述したように、こういった部分はジョージ・ルーカスにとっては興味の無い分野だったのかもしれません。

そんな登場人物の中で最もインパクトが強かったのは、チャールズ・マーチン・スミス演じるテリーかもしれません。
彼は87年の『アンタッチャブル』のカポネ摘発に手を貸す経理係役で注目されましたが、本作でも良い存在感だ。
気持ちも身体も弱いんだけど、チョット良い車が手に入って、夜の街角で背伸びしてナンパに勤しむ。
好みのタイプの女の子を引っかけて、自分の手の届かない高さまで背伸びする姿が、なんとも健気だ(笑)。

伝説のDJ、ウルフマン・ジャックが映画に出演しているのは、とても貴重だ。
劇中、少女が語っている「お母さんがウルフマン・ジャックの番組は黒人だからって聞かせてくれないの」
という台詞のようなことは現実にあったようで、彼がミステリアスな存在であったことから、
彼が黒人男性なのではないかという噂が、特にラジオDJとしてデビューしたての頃はあったようです。

ウルフマン・ジャックは60年代初頭から人気を博したラジオDJで、
全米に瞬く間にリスナーを増やしていったそうで、50年代のロックンロール全盛期から、
激動の時代を迎えつつあった60年代アメリカにあっては、欠かせぬDJとして伝説となりました。

本作でも、そんなレジェンダリーな部分を彼自身が演じているのですが、
ウルフマン・ジャックの正体をボカしながら描いている点がカッコ良くって、主人公のカートがラジオ局を
去り際にカメラに映るウルフマン・ジャックの姿は、この映画のハイライトと言っても過言ではないくらいだ。

僕もウルフマン・ジャックのことって、よく知らなくって、
トッド・ラングレンの歌で出てきたなぁってくらいだったのですが、ようやく色々と話しがつながりました(笑)。

ジョージ・ルーカスが如何にして注目されたかは本作を観て分かりますが、
個人的にはもっとしっかりと群像劇として機能していれば、ラストに旅立つカートの懐かしみながらも、
未来へ決心した表情に説得力がでたと思うのですが、色々と中途半端で訴求しない終わり方になっている。
これは僕にとっては、どうしても映画としては致命的な難点としか思えず、印象が良くなることはなかったですね。

音楽映画としても中途半端で、映画を彩る音楽たちというほど、
音楽を大切にしている作り手の意識を感じさせる作りではないかなぁ。ここも勿体ない。
62年と言えば、これから音楽的にも全く違う時代に入ろうとしていたターニング・ポイントであり、
この映画が描いていた日って、ミュージック・シーンも劇的に変化を遂げる前夜という感じなはずなんですよね。

だからこそ、ただダンス・パーティーで流しているだけという感じの音楽の使い方でしかなくって、とても残念。

本作の成功に味をしめたのか、ジョージ・ルーカスは製作総指揮として参加して、
79年に本作の続編を製作しましたが、どうやら続編は評価されず、ヒットもせずに終わってしまったようです。
やはり本作を観れば分かるのですが、彼らのその後を描くという発想自体が、ハードルが高かったのだろうと思う。

ちなみにジョン・ミルナーにレースを仕掛けるファルファ役で若き日のハリソン・フォードが出演。
おそらく本作に出演したことで、コッポラに引っ張られて74年の『カンバセーション…盗聴…』に出演し、
ジョージ・ルーカスに記憶されて77年の『スター・ウォーズ』でハン・ソロ役を射止めたようなものでしょう。

今となっては意外なくらいに、その後のスターを生み出すキッカケを作った作品なのでしょうね。

(上映時間112分)

私の採点★★★★★★☆☆☆☆〜6点

監督 ジョージ・ルーカス
製作 フランシス・フォード・コッポラ
脚本 ジョージ・ルーカス
   グロリア・カッツ
   ウィラード・ハイク
撮影 ロン・イヴスレイジ
   ジョン・ダルクイン
編集 ヴァーナ・フィールズ
出演 リチャード・ドレイファス
   ロン・ハワード
   ポール・ル・マット
   チャールズ・マーチン・スミス
   キャンディ・クラーク
   シンディ・ウィリアムズ
   ウルフマン・ジャック
   ボー・ホプキンス
   ハリソン・フォード
   ケイ・レンツ
   マッケンジー・フィリップス
   キャスリン・クインラン

1973年度アカデミー作品賞 ノミネート
1973年度アカデミー助演女優賞(キャンディ・クラーク) ノミネート
1973年度アカデミー監督賞(ジョージ・ルーカス) ノミネート
1973年度アカデミーオリジナル脚本賞(ジョージ・ルーカス、グロリア・カッツ、ウィラード・ハイク) ノミネート
1973年度アカデミー編集賞(ヴァーナ・フィールズ) ノミネート
1973年度全米映画批評家協会賞脚本賞(ジョージ・ルーカス、グロリア・カッツ、ウィラード・ハイク) 受賞
1973年度ニューヨーク映画批評家協会賞脚本賞(ジョージ・ルーカス、グロリア・カッツ、ウィラード・ハイク) 受賞
1973年度ゴールデン・グローブ賞作品賞<ミュージカル・コメディ部門> 受賞
1973年度ゴールデン・グローブ賞有望若手男優賞(ポール・ル・マット) 受賞