アメリカン・ギャングスター(2007年アメリカ)

American Gangster

1969年から、ヘロインの原産地ベトナムから、
軍用機を使って純度の高いヘロインを大量に密輸し、“ブルーマジック”というブランドで
大量に売買することによって、ニューヨークの裏社会で地位を上げたフランク・ルーカス。

一方、正義感が強く、収賄にまみれた同僚の刑事たちから顰蹙をかったことにより、
麻薬取締捜査班に配置転換になったリッチーは、大物を検挙し、麻薬犯罪撲滅を狙っていた。

そんな2人が、リッチーの捜査が進むにつれて接近し、
やがては直接対決になり、ニョーヨークの警察官の収賄体質にもメスが入るまでを描いた社会派サスペンス。

監督は『グラディエーター』のリドリー・スコットで、
本作は彼の監督作品の持ち味は、どちらかと言うと薄味ですが、映画としては骨太でなかなかの出来。
『グラディエーター』で起用してから、リドリー・スコットはやたらとラッセル・クロウを主演に据えるのですが、
その例に漏れることなく、本作でもやはりラッセル・クロウを起用している。おそらく、そうとう仲が良いのだろう。

まぁ・・・エンターテイメント性の高い映画を期待されるツラい作品ですが、
社会派映画の好きな人にはオススメできるし、おそらくリドリー・スコットが目指したのも、社会派映画だろう。

ただ、観る前から分かってはいたことですが...これで2時間30分超えは、かなり長い(笑)。
映画の前半から中盤にかけては、お世辞にも映画のテンポが良いとは言い難く、
実に細かくフランクのビジネスを構築していく過程と、リッチーが捜査や私生活に四苦八苦する姿を積み重ねて、
2人を取り巻く環境を焙り出していくアプローチなせいか、どうも映画のリズムペースが遅いまま経過してしまう。

それが本作の良さと言えば、良さではあるのだけれども、
本作でリドリー・スコットがやりたかったことが、予想外に地味だったことが災いしてますかね(笑)。
おそらくリドリー・スコットの映画が好きなコアなファンであればあるほど、本作に対しては厳しい意見かも(笑)。

一転して、映画のリズムは終盤に差し掛かると良くはなるのですが、
その分だけ、フランクとリッチーの精神的なつながりというか、仲間意識にも似たような感情が
一体どこから芽生えてくるのか、あまり納得できる形で表現できていないように感じられたのは残念ですね。
ある意味で、お互いがもっと早い段階から直接的に対決する構図になるであろうと感づいていて、
チョット大袈裟な言い方をすれば、2人の出会いは、ある種の宿命であったことを描いておくべきでしたね。

まぁ、本作劇場公開当時はデンゼル・ワシントンとラッセル・クロウの激突みたいな触れ込みでしたけど、
いざ本編を観てみると、そんな感じでもなくって、お互いの存在を映画の途中で意識するというのも、予想外(笑)。

事実、2人が同一シーンで映るのが、映画の終盤までほとんど無くって、
これは無理な注文なのでしょうが、できることなら映画の宣伝は中身に合った形でやって欲しい。
せっかく映画の出来はそこそこ良いのに、これでは裏切られたと思った観客も多かったのではないだろうか。

良い意味で期待を裏切る映画なら、かなり評判は良くなるのは当然ですが、
本作のように宣伝文句と中身が異なるなど、いらないところで映画の足を引っ張ってしまうと、
必要以上に映画の評判を悪くしてしまうし、そうなってしまうと、半ば映画の中身が関係なくなってしまうんですよね。
映画というメディア自体が、一つのターニング・ポイントを迎えつつある昨今だからこそ、ここはしっかり考えて欲しい。

映画自体は、主演2人が静かに演じ切っていて見応えがある。
やはりこの2人は実力派俳優の名に相応しい存在感があって、映画に強い説得力を与えている。

ラッセル・クロウ演じるリッチーは確かに真面目な正義漢であり、
賄賂を受け取らずに警察に持ち帰ったために、同僚の刑事たちから冷たい目で見られる始末。
しかし、彼が次第にフランクに近づいていく過程で、毒づいていくことは明白であり、
ある意味でこの映画が描いたことは、「毒をもって、毒を制する」ということで、とてもタフな内容ではある。

60年代の公民権運動が盛んな時代のハーレムとは言え、
フランクのような麻薬王が暗躍する存在が必ずあって、警察への根回しも盛んに行われる時代でした。

この辺は僕の好きな71年の『フレンチ・コネクション』を観れば分かるのですが、
当時は如何にして大量の麻薬を輸入するルートを手に入れて、ドラッグ・ジャンキーたちに供給するかが
儲けられるか儲けられないかの瀬戸際であって、当時のアメリカ社会の麻薬問題の深刻さがうかがえる。

しかし、やはり当時の麻薬王は如何にドラッグが危険な存在か知っていたようで、
クライアントであるドラッグ・ジャンキーが衰弱していく姿を見ながらも、絶対に自分はドラッグに手を出しません。
これは一つのセオリーだったようで、完全に一つのビジネス・モデルにしようとしていたのでしょうね。
自らが買い付けて、品質を保証してブランドを売るという発想は、ある意味で21世紀的かつ日本的な考え方だ(笑)。

他作品との差別化という意味では、
フランクが無意識的に作り上げようとしていた黒人実業家という社会的地位という意味で、
当時のハーレムの麻薬犯罪組織とイタリアン・マフィアとの関係性に言及した点は、斬新ではある。

フランクが成り上がるにあたって、根回しする相手としてイタリアン・マフィアのボスを選んで、
多額の“ショバ代”を支払って、販売ルートを広げるだけでなく、平穏な日常を手に入れるということに、
ここまでハッキリと描いたのは、僕は初めて観たかなぁ。おそらくこういう構図があったのは、事実でしょうね。
どうも、古いイタリアン・マフィアから見れば、こういう新興勢力と組むのは、大反対だったらしいけど・・・。

フランクは何を見据えて、ドラッグを流通させていたのか・・・。
この映画はそこまで肉薄しようとしていて、富の象徴とも言える、毛皮のコートを表情一つ変えずに、
家の暖炉に投げ込んで、燃えゆくコートを眺めている姿が印象的で、このシーンは実に意味深長だ。

まぁ・・・いつものリドリー・スコットの調子を期待するのは、少々、酷な映画だと思う。

単純に社会派映画と思って観れば、そこそこ満足度の高い映画ではあると思う。
決して完璧な映画だとは思わないが、ここまで出来たのは、やはりリドリー・スコットの力だろう。
時代考証が重要な映画なだけに、訳の分からない東洋趣味を入れずに、冷徹に描いたのが大きかった。

あまり評判が良くないけど...そこまで映画の出来は、悪くないと思うんだけどなぁ〜・・・。

(上映時間156分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

日本公開時[R−15]

監督 リドリー・スコット
製作 ブライアン・グレイザー
    リドリー・スコット
脚本 スティーブン・ザイリアン
撮影 ハリス・サヴィデス
編集 ピエトロ・スカリア
音楽 マルク・ストライテンフェルト
出演 デンゼル・ワシントン
    ラッセル・クロウ
    キウェテル・イジョフォー
    キューバ・グッディングJr
    ジョシュ・ブローリン
    テッド・レヴィン
    アーマンド・アサンテ
    ジョン・オーティス
    ジョン・ホークス
    ルビー・ディー
    カーラ・グギーノ
    BT
    コモン
    ライマリ・ナダル
    ロジャー・グーンヴァー・スミス

2007年度アカデミー助演女優賞(ルビー・ディー) ノミネート
2007年度アカデミー美術賞 ノミネート
2007年度全米映画批評家協会賞助演女優賞(ルビー・ディー) 受賞