エイリアン(1979年アメリカ)

Alien

これは、やっぱりスゴい映画だなぁ〜。

リドリー・スコットの名を一躍、世界に轟かせた衝撃的なSFホラーで、シリーズ化もされました。
映像表現としても、当時、徐々にSF映画の視覚効果技術が進化していたとは言え、
それでもこれはセンセーショナルな映画として、当時の映画ファンを驚かせたのでしょう。

77年の『デュエリスト/決闘者』で評価されていたリドリー・スコットですが、
それまではヨーロッパが活動の場でしたが、本作以降はずっとハリウッドで独特な世界観を持つ、
名匠として羽ばたいていきました。本作の成功と、82年の『ブレードランナー』のカルト的人気が決定的でしたね。

しかし、作品によってはかなり独特な側面があるだけに、賛否両論になってしまうことがあるのですが、
本作は意外にもオーソドックスなアプローチの作品です。おそらく、本作を撮るにあたって、
キューブリックの『2001年宇宙の旅』なども参考にしているでしょうし、幾つか他作品からのインスパイアを感じます。

但し、少しだけ異彩を放つ...と言うか、如何にもリドリー・スコットらしいなぁと感じるのは、
シガニー・ウィーバー演じるリプリーの存在でしょう。そもそも劇中で宇宙船を襲撃するエイリアンのデザインも
どことなくグロテスクでありながらも、ある種の性的好奇心をかき立てるような描写であり、これは意図したものだと思う。

撮影もシガニー・ウィーバーに脚本は渡していたものの、
具体的な撮影の中身はあまり細かく話さずに撮影を進めていたそうで、彼女も驚くことがあったそうだ。

それは映画の終盤になると、作り手が本性を現したかのように牙をむき、
一旦、危機を回避したリプリーが何故かシャツやズボンを脱いで下着一枚の姿になります。
この無意味とも思える下着姿で、何故かパンツも少しズレたようにはかせて、これは意図的としか思えない。
それまでの命がけの闘いから解放されて油断したことを表現したかったのかもしれませんが、
作り手には別な意図があったようにも思えますし、そう思ってみるとエイリアンのデザインもどこか卑猥だ(苦笑)。

そういう意味では、リプリーが男性優位のクルーの中で発言力を持つ、
性格的にも勝ち気な女性で、躊躇なく肉体派な男たちにもガンガン意見していく姿に
当時で言う、“ウーマン・リブ”を象徴するとか、多少なりともメッセージ性はあるのかもしれませんね。

基本、腹の皮膚を突き破って、エイリアンが飛び出すなどショッキングな描写も多くありますが、
映画の中盤はそういったショック描写が目立っていたものの、映画の終盤になると嗜好が変わったような印象だ。

こういった部分は続編には無い部分であり、続編もエンターテイメント性を更に上げたり、
多様なニュアンスを味わえる話題作となったりして、全てヒットしましたが、この第1作もまた、孤高の作品です。

そして、この映画は吐息の映画だと思う。
僕の大好きな『フレンチ・コネクション』でも、たいして若くもない中年のオッサンである
ジーン・ハックマンが逃げる悪党を追うために、一生懸命走って追いかけるのですが、
このシーンの臨場感は吐息と、アスファルトに響く足音でした。本作は狭い閉塞的な宇宙船内が舞台ですから、
さすがにエイリアンに追われたりして船内を走り回ることはないですが、得体の知れないエイリアンが
自らに迫っている恐怖を、登場人物の吐息を強調することで、彼らの緊張がダイレクトに伝わってくる。

結果として、こういった演出が映像として表現される以上のスリルを演出しています。
当然、製作費もそれなりに与えられた企画だったのでしょうけど、本作のリドリー・スコットは
資金力に頼らず、しっかりと撮影現場や編集での工夫を凝らしている感じで、この手作り感に好感が持てる。

それでいて、初めてエイリアンを真正面から描いた映画なわけですから、
それはやはり伝説的な映画になるべくしてなっているわけですよ。この第1作の衝撃性からして、
シリーズ化されるのは当然のことでしたが、リドリー・スコットが続編を撮っていたらどうなっていたか気になりますね。

エイリアンがただ単に襲撃してくるというだけならまだしも、
この映画の衝撃的だったのは、襲撃してきたエイリアンが体内に侵入して、身体の中から内臓を蝕んで、
やがては死に至らしめ、次の獲物(=人間)を襲撃しに行くという発想を、見事に映像で表現したことでしょう。

別に見下して言っているわけではないけど、これは1979年に既にやっていたことに驚きだ。

スピルバーグが75年の『JAWS/ジョーズ』で人食いザメに襲撃され、
カメラの目の前で人がサメに喰われるシーンを直接的に表現したことでセンセーションを起こしていましたが、
僅か4年で映画はここまで来たか・・・と、当時も一気にSF映画が多様かしたのではないかと思います。
そういう意味で、僕は本作のリドリー・スコットの功績はもっと評価されても良かったのではないかと思っています。

ただ、映画の出来という意味では、当時の技術力を考慮しても、まだできたことはあったのでは?とも思います。
そもそもエイリアンの襲撃に、あまりしつこさが無く、実にアッサリと退散してしまうのは少し物足りない。
個人的にはもっとしつこく、執拗に人間を追い続ける存在であった方が、スリラーとして盛り上がったと思う。
そういう意味では、スピルバーグが当時の『JAWS/ジョーズ』で、映画を“恐怖を体感させるもの”に転換させ、
観客をビックリさせることに注力したのですが、本作のリドリー・スコットはそうではなかったのかもしれません。

リドリー・スコットなりに、次の時代のSF映画を指し示したかったのかもしれません。
(ただ、僕としては常に命の危険と隣り合わせな、もっとストレスフルな映画にして欲しかったけど・・・)

今の時代で観ると、多少なりとも見劣りする部分はあるかもしれませんが、
本作はエイリアンは勿論のこと、閉鎖的空間内で脅威から逃げ回りながら抵抗する映画のパイオニアなわけで、
こういった映画は80年代以降、数多く製作されたので、パイオニアとしての価値は高いと思います。

トム・スケリット演じるダラス船長が映画本編では、中途半端な感じに終わってしまうのですが、
どうやらディレクターズ・カット版ではキチッと描かれているそうですから、編集段階でカットされたのでしょう。

しかし、本作を出世作として80年代はメインストリームで活躍し、
ベテラン女優として生き残ったシガニー・ウィーバーは、本作のイメージが強過ぎて可哀想だ。
僕自身も彼女を他の映画で観たら、思わず「あっ、リプリーだ!」と“本能的に”思ってしまいますもの(苦笑)。
彼女自身、本作での仕事は続編にも出演しているので誇りに思っているでしょうけど、インパクトが強いですからねぇ。

女優さんとしては、チョット可哀想だなぁと思ってしまいます。
それくらい、インパクトや存在感が強くって、本作は偉大な作品であることの裏返しではあるのですがねぇ・・・。

まぁ・・・前述したエイリアンが腹を突き破って、出てくるシーンの視覚的なインパクトはデカく、
劇場公開当時も大きな話題となったとのことですが、本作を観ていて強く感じたのは、視覚表現で煽られる恐怖よりも
音で表現する効果で煽られる恐怖の方が、ずっと強いですね。それも不思議なもので、時に無音も怖いものです。

リドリー・スコットもそれを感じてか否か、よく分からないですけど、
ノストロモ号内に侵入したエイリアンが隠れている緊張感を演出するために、無音に蒸気の音が鳴り響くなど、
人がだす音を排除することで、船員たちが闘う恐怖心をより増長した形で、映画の中で生きていますね。

これを実証した作品としても、とっても偉大な一作、SF映画ファンなら一度は観ておきたい作品だ。

(上映時間115分)

私の採点★★★★★★★★☆☆〜8点

監督 リドリー・スコット
製作 ゴードン・キャロル
   デビッド・ガイラー
   ウォルター・ヒル
原案 ダン・オバノン
   ロナルド・シャセット
脚本 ダン・オバノン
編集 テリー・ローリングス
   ピーター・ウェザリー
撮影 デレク・ヴァンリント
音楽 ジェリー・ゴールドスミス
出演 シガニー・ウィーバー
   トム・スケリット
   ジョン・ハート
   ヤフェット・コットー
   イアン・ホルム
   ヴェロニカ・カートライト
   ハリー・ディーン・スタントン

1979年度アカデミー美術監督・装置賞 ノミネート
1979年度アカデミー視覚効果賞 受賞
1979年度イギリス・アカデミー賞プロダクション・デザイン賞 受賞
1979年度イギリス・アカデミー賞音響賞 受賞