鉄道員(ぽっぽや)(1999年日本)

北海道の架空の田舎町、「幌舞」を舞台に、かつて炭鉱で潤ったものの、
過疎に苦しみ、発展性の無い集落に陥ったことから、一日に数えるほどしか来ない、
単線のローカル線の終着駅の駅長を長年勤めた男の生きざまを描いた、大ヒットしたヒューマン・ドラマ。

まぁ、良くも悪くも、これは典型的な高倉 健の世界といった感じで、妙に安心感がある。

浅田 二郎の原作にしても、この映画にしてもスゴいヒットをした。
僕はこの物語にそこまでの強い魅力は感じなかったけれども、日本人の感性に合う部分があるのでしょう。
かつて「東京だって田舎者の集まり」と揶揄する言葉がありましたけど、誰しも故郷があるわけで、
この映画はそんな故郷に触れるような感覚で観れるから、年配の方を中心に訴求するものがあったのでしょうね。

どういう地理的条件なのか、イマイチよく分かりませんでしたが、
映画で描かれた幌舞へ行くためには、美寄と呼ばれるターミナル駅で単行ディーゼル車に乗り換え、
そこからはガタンゴトンとローカル線に揺られ、終着駅が幌舞という感じで着くらしい。

まぁ・・・この幌舞と美寄という土地は、双方、架空の土地である。
映画のロケ自体は、幌舞は北海道の南富良野町にある幾寅駅で撮影が行われ、
美寄はほぼ駅だけのシーンでしたので、これは滝川駅で撮影を行ったらしい。
昨年、ドライブで幾寅駅周辺に立ち寄りましたが、未だに本作の案内板が立っていました。

たぶん、南富良野町にとっては最高の栄誉であり、ずっと残していくのでしょうね。

ただ、鉄道好きの間ではよく知られていることですが、
この幾寅駅、勿論、現存していて、JR北海道の管理下に置かれてはいますが、
2016年8月の台風の影響で、幾寅駅を通過する根室本線で複数個所の土砂崩れが発生し、
発生してから約5年が経過した今も尚、実は東鹿越駅〜新得駅間でバス代行輸送となっています。

コロナ禍の影響もあり、JR北海道は全国的に見ても厳しい経営環境を強いられており、
実際に会社の業績も悪化の一途を辿っておりますので、こういう傷んだローカル線の維持には、
あまり資金を投入できないという実情があるのも事実でして、JR北海道以外の第三者が経済支援、
人的資源の支援を行わなければ、おそらく先日、廃線となった日高本線の鵡川駅〜様似駅と同様に、
廃線となり、幾寅駅も鉄道が来ない文化的建造物という位置づけに成り得てしまいますね。

近くには人造湖ですが、金山湖というのどかな場所もあったりして、
この根室本線を経由して、十勝地方に入るというルートも、なかなか良かったんですがねぇ・・・。

主人公の高倉 健演じる乙松ですが、どんなことがあっても仕事優先で、
子供が生まれるという時でも、子供が風邪をこじらせて病院に運ぶとなっても、
妻が病に倒れ、いよいよというときでも、乙松は「代わりが融通できたら、すぐに行く」と言うだけ。

映画の中では乙松がホントに代わりを探していたのかは描かれないが、
そんな乙松の不器用というか、融通の利かない性格は時に周囲の批判を浴びることになるのです。

一日に数え切れるくらいの本数しか来ないローカル線の終着駅の駅長ですから、
駅の利用客は顔なじみしかいませんし、時に乗客がゼロの列車を迎え、見送るときがある。
冬は雪深い土地柄のせいか、ほぼ除雪に時間を費やす日々で、あとは駅に併設する公宅で暮らすだけ。
生まれながらの鉄道マンで、鉄道以外の仕事に就業することは想像したこともないというわけです。

昭和の時代はこういう人、多くいたと思います。
国鉄民営化でJRとなり、いろんな事業を手掛けるようになり、昔気質の職員は淘汰されていました。
今の時代で言うと、確かに人がやらなくても自動制御できるような業務ではあるので、
この幌舞駅自体はいつでも無人化できる準備はあったはずで、それどころか廃線が検討されていました。

そうなると、当然、乙松は行く場所がありません。
劇中、美寄駅の駅長を務める友人から、80年代当時、北海道の目玉の大開発事業であった、
トマムリゾートで住み込みで働く出向先の仕事を斡旋してもらえるという話しはありましたが、
いかんせん乙松自身、やりたい仕事ではないし、やるにしても、トマムで働く姿が想像できなかったのでしょう。

新しい時代を迎えるというのは、こういう古くからいる人が淘汰されるという現実があって、
厳しいことを言えば、新しい時代に対応できない人は行き場を失う未来しかないということです。

80年代は究極のバブル経済を迎え、80年代末にはバブルがハジけ、
北海道経済は90年代に入ってから、やや遅れてバブル崩壊の大波を受け、一気に不景気になりました。
象徴的だったのは北海道拓殖銀行(拓銀)の経営破綻であり、世界的にも激動の時代を迎えていました。

そこで、確かに次の時代に対応し切れなった人々はいたはずで、
そんな一人一人に悲哀というか...ドラマがあったということです。正直、この世界観が合わない人もいるでしょう。

僕も、この映画で最も大事なポイントなのだろうけど、
個人的には失った娘の幻想を追うように、成長した娘の面影を感じさせる女の子が
乙松に接近してくるというエピソードは、ハッキリ言って余計だったと思う。
小説としてはこれがファンタジーなのだろうけど、こんなこともしなくても映画は魅力的なものになったはずだ。

僕は乙松の生きざまをドライに描くことに徹した方が、映画は良くなったと思う。
ファンタジー的な部分に色気を出したというか、当時は広末 涼子を見せたかったのだろうなぁと感じる。

さすがにファンタジーとは言え、勝手に台所に上がりこんで、
冷蔵庫にあった残り物で鍋を作って、酒まで出してくる女子高生なんて、さすがに気味悪いでしょう(笑)。
いや、映画として違和感が無いように仕上がっているなら、別にそれでもいいのです。

ただ、僕には最後まで観通して、このファンタジーだけの異様さというか、
強烈な違和感というのが、どうしても拭えず、この流れがキチッとハマっていなかったように思います。

やはり当時は、JR民営化、バブル崩壊から約10年が経っており、
こういう物語というか...世界観が心の琴線に触れる人々が多くいたのでしょうね。
既に高倉 健が重鎮だったということもあって、乙松は高倉 健以外には考えられない気がしますが、
映画の企画が立ち上がった段階では、主演は板東 英二で想定されていたというから、ビックリだ(笑)。

本作は劇場公開当時、大ヒットしていたことは記憶にありますが、
これは高倉 健の力と言っても過言ではないでしょう。当時から見ても、古き良き日本映画の象徴でした。

ちなみに本作が生前の志村 けんが唯一出演した映画になりました。
本来ならば、2020年に2回目の出演作の企画が予定されていたらしいので、残念でなりませんね。

(上映時間112分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 降旗 康男
製作 高岩 淡
原作 浅田 次郎
脚本 岩間 芳樹
   降旗 康男
撮影 木村 大作
美術 福澤 勝広
音楽 国吉 良一
出演 高倉 健
   大竹 しのぶ
   広末 涼子
   吉岡 秀隆
   安藤 政信
   小林 稔侍
   志村 けん
   奈良岡 朋子
   田中 好子
   山田 さくや
   谷口 沙耶香
   大沢 さやか
   石橋 蓮司