勝手にしやがれ(1959年フランス)

A Bout De Souffle

『勝手にしやがれ』と言われて、思い出すのは沢田 研二ですが、
念のためにことわっておくと、映画の邦題になった方がずっと昔の話しで、
今尚、本作はゴダールがフランス映画界を一変させた、革命的なフィルムとして称えられている名作です。

実は僕、最初にこの映画を観たとき、
その良さがまるでよく分からなかったせいか、その価値も認めることができていなかったのです。

ただ、30歳近くなって観た今、何となくではありますが...
この映画のどういった部分が当時としては画期的だったのか、そして後年の映画界にどういった影響を
与えていったのか、本作の影響力という観点から、その価値が分かってくるようになってきた気がします。

この映画のどういった部分が革命的だったかというと、
まず有名なのは、徹底した社会のアウトサイダーをまるで美化せずに、とてつもなく身勝手な男として描き、
それでいながら男のロマンすら感じさせる主人公として成立させた点である。
(俗に言う、ピカレスク・ロマンとは正にこの映画みたいな内容を示すものだと思います)

おそらく当時の感覚から言えば、
映画の主人公像として、ここまでの身勝手な男であれば、徹底して嫌悪するぐらいだっただろう。
しかしながら、この映画を観て、少なからずとも何人かには理解してもらえるとは思うが、
主人公のミシェルが無性にカッコ良く見える一面がある。そんな彼の生きざまに憧れすら抱くかもしれない。

高利貸し商売を行い、車を運転すればひたすら暴走行為を繰り返し、
タクシーに乗れば「もっと飛ばせ! 追い抜け!」と後部座席からひたすら口うるさく、
挙句、付き合う女性の扱いときたら自分勝手なことに加え、とにかく扱いも荒く、配慮が何一つない。

そんな主人公に憧れすら抱くなんて、通常ならありえないですよね。
それが明確な理由は分からないんだけれども、ゴダールに撮らせると、カッコ良く映るのです。

かつて小説の世界では、早くからピカレスク・ロマンは流行していたけれども、
映画の世界でその境地に達したのは、本作あたりで世界的なニューシネマ・ムーブメントが
顕著に隆盛した頃からでしょう。ゴダールは映画に於けるピカレスクのパイオニアと言ってもいいと思います。

こういったスタイルを映画の中で貫き通した結果、
ゴダールの鮮烈なデビューが成立し、フランス映画界のニューシネマ・ムーブメントである、
ヌーヴェルバーグ≠フ勃興につながり、実に数多くの名作が誕生することになり、
何より旧来の映画界の考え方に一石を投じる結果となり、より踏み込んだ描写が可能になりました。

でも、そういったムーブメントにつながるぐらいの影響力は間違いなくあります、この映画。

だって凄いんですよ(笑)、この映画の主人公ミシェルという男は。
乗っていたタクシーを「チョット止めろ」と言い、タクシーから降り、街を歩く女性のスカートを後ろからまくり、
市街地を歩きタバコしていて初対面の男から、「悪いが、火を貸してもらえないか?」と言われたら、
手に持ったマッチは与えず、「金をやるから、その辺でマッチを買え」と言い放つ豪傑なキャラクター。

チョット気になる、アメリカ人女性パトリシアに対しては、
ナンダカンダで何してるか気になるから、彼女のプライベートを追い回して、
「他の男と会っているのを見たぞ!」と嫉妬しながらも、別にパトリシア一筋ってわけじゃない。

言ってしまえば、彼は現実世界ではありえないほどの自分勝手なワガママ男。
しかし、映画はそんな男をどこか突き放したかのように、そしてクールに描き通します。
特に印象に残るのはラストシーンだと思うのですが、手持ちカメラでフラフラと追って行きながらも、
それまではグイグイ、ミシェルの視点で映画を進めながらも、急激に突き放すかのように撮ります。

映画の起伏を制御するかのように、ゴダールは上手く演出しているんですよね。
これは低予算映画の極みであり、まるでお手本のような撮り方をしていると思いますね。

でも、色々な意味から当時であれば、この内容はかなり迷ったことだろう。
酷く不道徳な内容と言われてもおかしくはないし、正に理解できる人はその良さが理解できるけど、
理解できない人には全く理解されない映画という気がします。事実、そういった結果になっているのです。
それでも、ゴダールは撮りたい事象のビジョンがハッキリしていたからこそ、撮り切ったのでしょうね。
そんなゴダールの映像作家としての意欲が、僕は他の追従を許さない強さだったのだろうと思いますね。

それから、何と言っても編集技法だ。これは革命だったということは明白である。
何せ、後年の映画界でも多用される“ジャンプカット”と呼ばれる省略技法が生み出されているのです。

これは当初、ラッシュ(試写)に持ち込んだヴァージョンはもの凄く長く、
映画会社の担当者から上映時間をもっとタイトにするようにと指示を受け、思いつき的に生んだ手法だそうで、
この“ジャンプカット”を各シーンの随所で採用することにより、映画の上映時間は飛躍的に短縮されました。

でも、これは正解だったと思うし、これは究極の省略技法ですね。
初めて観た人は、一瞬、「フィルムの保存状態が悪くて、こうなってるのか?」と疑問に思うかもしれませんが、
ただでさえ冗長になりがちな内容を渋滞させないように、映画にスピード感を与えることに成功しましたね。
この“ジャンプカット”は部分的に採用することにより、どれだけ多くの映像作家が助けられていることでしょうか。

でも、一つだけ気に入らない部分があって...
どうしてもパトリシアの描写が足りないような気がして、彼女の心情変化が分からないんですよね。
彼女もまた、「勝手にしやがれ!」と思って、映画のクライマックスはあんな行動をとったのでしょうか?

(上映時間90分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 ジャン=リュック・ゴダール
製作 ジョルジュ・ド・ボールガール
原案 フランソワ・トリュフォー
脚本 ジャン=リュック・ゴダール
撮影 ラウール・クタール
音楽 マルシャル・ソラル
出演 ジャン=ポール・ベルモンド
    ジーン・セバーグ
    ダニエル・ブーランジェ
    ジャン=ピエール・メルビル
    ジャン=リュック・ゴダール

1960年度ベルリン国際映画祭監督賞(ジャン=リュック・ゴダール) 受賞