勝手にしやがれ(1959年フランス)

A Bout De Souffle

『勝手にしやがれ』と聞いて、沢田 研二の歌を思い出す人も多いとは思いますが...
フランス映画界のニューシネマ・ムーブメントであったヌーヴェルヴァーグ≠フ代表的作品であります。

巨匠と言われるジャン=リュック・ゴダールが初めて長編映画を監督した作品であり、
当時はフランソワ・トリュフォーらと張り合うように競い合い、ヌーヴェルヴァーグ≠牽引していました。

確かに本作の大胆な編集はスゴくて、安直な言葉で言えば、「省略」という一言になるのかもしれないが、
自分の中では「ショートカット」という言葉の方がシックリくるような編集で、とにかく当時としては斬新なものだった。
その気取り屋っぽさが僕はあんまり好きじゃないんだけど(笑)、50年代は映画評論家として活動していた、
ゴダールですから明らかに、新しい表現技法を追求していたと思います。その産物が本作だったということでしょう。

無軌道な生き方をしてる主人公をドキュメントしているということもあり、
理不尽な警官殺しを描くということ自体、当時としては少々不道徳な映画でもあったと思う。しかも、隠喩的ではあるが、
男女のベッドシーンも独特な表現で盛り込むなど、本国フランスでも本作は18歳未満は入場禁止になったらしい。

後年は残念なことになってしまうジーン・セバーグがヒロインを演じていますけど、
やっぱりこの頃のジーン・セバーグはキレイですね。アメリカ人女優ですので、ハリウッド女優としてデビューしましたが、
私生活でフランス人と結婚した関係でフランスへ渡り、本作に出演しました。残念ながら60年代以降はヒット作がなく、
晩年は反戦運動や公民権運動に傾倒し、精神を病んでしまって自ら命を絶つという悲劇的な最期を迎えてしまいます。

そう思うと、なんとも切ないですけど、本作のジーン・セバーグはホントに輝いている感じがします。

どうやら、本作は最初のラッシュ(試写)にゴダールが持って来た編集済みフィルムが
もの凄く長い長編だったようで、それを鑑賞した映画会社の幹部が口々に「長過ぎる。もっとカットせよ」と
ゴダールに命じたことから、同じ場面でも時間軸を飛ばして編集する、いわゆるジャンプカットを作り出したらしい。
ひょっとしたら、こうして短くすることはゴダールにとっては本意ではなく、少々感情的にやったことなのかもしれません。

だって、一見すると結構、雑な編集に見えますからね。出来の悪い自主映画を見せられているのを紙一重で、
あと少しでも悪い方向に振れていたら、これは大衆の支持を得ることがなく、「出来損ない」と評されていたかも。

当時としては、即興的に演出を決めたり、手持ちカメラでキャストを追っていくように撮ったり、
どこまでが計算して撮っていたのかまでは分かりませんが、ほぼ間違いなく斬新な演出であったのは明らかだ。
そしてそれらが実に機能的に構成されているからこそ、本作に価値があるわけで、多くの映画人が真似をしました。
やはり映画評論家からの転身だったので、当時のゴダールにはとてつもない志しと矜持が強いものだったのだろう。
(おそらく、この監督デビュー作がコケていたらゴダールの映画人としてのキャリアは無かったでしょうし・・・)

主演のジャン=ポール・ベルモンドもカッコ良く、いわゆるピカレスク・ロマンのようではあるものの、
ただ、彼がこれ以上にどうしようもないキャラクターだったら、カリスマ的な支持を得ることはなかっただろう。
それくらい、本作は紙一重な作品だと思うのです。奇跡的な塩梅で、全体のバランスをとったゴダールが素晴らしい。

そういう意味では、ゴダールの本音も正しく、『勝手にしやがれ』だったのかもしれない。
ただ、当初の編集ヴァージョンを観ていないからあまり強いことは言えないが...これが一つ一つのシーンが
ヤケに説明的で冗長だったら、この映画はここまでのカリスマ性も無く、活気のある映画にはなっていなかっただろう。
それくらいに、ギリギリのところで映画史に残る大傑作となったと言っても過言ではない、奇跡的な名画だと思う。

誤解を恐れずに言えば、これはゴダールの専売特許であり、全く同じことを現代でやっても
ただの独りよがりな低予算映画と言われて、片付けられていただろう。この時代だから評価された部分はあると思う。

例えばパリの市街地にあるビルのカフェで、ヒロインが男とお茶するシーンがあるのですが、
この場面ではバックの映像を見れば分かりますが、ジャンプカット風に編集されていて、これは意図的なものだろう。
ここから類推するに、このカフェで2人が会話するシーンにしても実はもっと長かったのではないかと思いますね。

でも、ゴダールが本作を世に生み出せたからこそ、ヌーヴェルヴァーグ≠ェ席巻して世界に広がり、
最終的にはハリウッドでのアメリカン・ニューシネマへの大きな刺激につながっていることは間違いありません。
この一方的なスタンスを貫き通す作家性をマネした映像作家は、後年に数知れず生まれているわけですからね。

勢い余って、ゴダール自身も出演しているのですが主人公に関する情報を警察に密告する役でした。
ひょっとしたら、最初に試写に持って行った編集前のヴァージョンだと、彼の出演シーンも長かったのかもしれません。

この主人公、タバコを吹かして徹底して一匹狼風に振る舞っていますが、トンデモないアナーキーだ。
自分勝手に自動車を盗んで、追ってきた警察官を唐突に殺害して、フランス全土に及ぶ指名手配犯となる。
まるでカリスマのようなカッコ良さを感じる人もいるかもしれないけど、半ば自暴自棄になっていたのかもしれない。
映画の結末は誰もが想像した通りになる。そこで彼が残した一言、「すべてが最悪だ」という台詞がなんとも鮮烈だ。
何が最悪なのか、この遺言の真意がヒロインですら分からない。この一方的な感覚こそが本作の象徴ですね。

しかし、反省の弁を口にすることなく、激しく抵抗するわけでもなく、
どこか刹那的に自らの末路へと向かって突っ走っていく破滅的な姿というのは、後年のアウトローを描いた映画に
通じるものがあって、ある意味ではこういう不道徳な主人公をロマンであるかのように描いた作品のパイオニアですね。

よく本作を“オシャレな映画”と形容する意見を見るのですが、僕は“オシャレな映画”だとは思わない。

こういったゴダールの作家性自体がオシャレと言いたいのかもしれないけど、
地味に主人公カップルの会話もあまり噛み合っていないし、お互いに自由な男女の関係であるがゆえに、
思想的にも交わらない。そのせいか、映画の最後の最後までお互いに理解し合っているとは言い難い結末を迎え、
オシャレとは正反対ですらある、最後は理論的には破綻した状態で破滅を迎える。卑屈な捨て台詞すら残すのだ。

結局、ヒロインからすれば主人公のことを何も理解していなかったのかもしれない、と自覚するラストなのです。
それは勿論、出会ったばかりだったということもあるが、主人公のことをホントに愛していたのかも分からない。
こういう男女関係自体が、当時としては新しかったのかも。確かに50年代にこんなカップルは多くはないだろう。

これはオシャレと形容するのは同意できないのですが、おそらくパリの雰囲気自体がオシャレに映るのでしょう。
50年代末期という時代性を思えば、確かに少なくとも日本と比べれば遥かに華やかでオシャレかもしれない。
そういう日本人の憧れとも言える、舶来のライフスタイルが映像として詰まっていると言っても過言ではないのかも。

ただ、前述したように主人公は相当なアナーキーなので、彼のキャラクターはオシャレとは言えないかも。
ただただ、彼に投影するのはアウトローとしての破滅的な生きざまだ。全く理屈では説明できないのですが、
それでも彼自身が知ってか知らずか、後先のことを考えずに反社会的に行動することで、当然のように破滅に向かう。
ゴダールはこの主人公を肯定したいわけでも、否定したいわけでもないと思う。ただ、映画として斬新さの追求だろう。

そんな中立的なスタンスでいながら、映画はジャンプカットの編集も相まって、何とも言えない絶妙なドライブ感がある。
こういうスタンスがあるからこそ、ゴダールの姿勢はクールに映ったのだろう。正しくニューシネマだったわけですね。

ただ、正直言って...これが完璧な映画だとは思わないし、ノレない人の気持ちもよく分かる。
本作でゴダールが表現したかったことは、不条理・不道徳など理屈で説明できないことではないかと思います。
それまでの映画は、どこか道徳的なものを尊重した内容であったものの、それが全てではないと言っているかのようだ。

やたらとタバコを吹かす主演のジャン=ポール・ベルモンドはカッコ良く見えちゃう面はあるし、
主人公カップルの自由な男女関係も憧れちゃう気持ちは分かる。でも、決して道徳的ではないのですよね。
これを敢えて映画の中で描くことがゴダールの一つの目的であったのだろうし、彼が打ち出したスタイルでした。

しかし、そうやって斬新を追い求めて引っ張り続けたのに、最後の最後に一気に突き放すように映画を終わらせる。
まるでゴダール自身が「勝手にしやがれ」とでも言うかのように。このしたたかさこそが、ゴダールの強さでもある。

(上映時間90分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 ジャン=リュック・ゴダール
製作 ジョルジュ・ド・ボールガール
原案 フランソワ・トリュフォー
脚本 ジャン=リュック・ゴダール
撮影 ラウール・クタール
音楽 マルシャル・ソラル
出演 ジャン=ポール・ベルモンド
   ジーン・セバーグ
   ダニエル・ブーランジェ
   ジャン=ピエール・メルビル
   ジャン=リュック・ゴダール

1960年度ベルリン国際映画祭監督賞(ジャン=リュック・ゴダール) 受賞