チャーリング・クロス街84番地(1986年アメリカ)

84 Charing Cross Road

スゴく地味な映画ではありますが、これは一風変わったプラトニックで淡い恋心を描いたドラマ。

ニューヨークに暮らす劇作家や脚本家として活躍するヘレン・ハンフが、新聞広告で読んだロンドンの
古書専門店に注文書を送ると、店主からの随分と丁寧な返信があったことから、お互いに文通が始まって、
いつしか楽しみながら色々な会話を手紙で繰り広げ、お互いに想いを募らせていく様子を描いた作品となっている。

日本劇場未公開作ということは意外でしたが、喜劇俳優メル・ブルックスが製作に加わっていて、
メル・ブルックスの私生活の妻アン・バンクロフトと、当時はまだイギリスでもブレイクし切っていなかった、
名優アンソニー・ホプキンスによる共演ではありますが、劇中、同一画面内に2人が同時に映ることはありません。

ヘレンからすれば、会いたい気持ちは強く、思わず「早く会いに行けばいいのに」と日和見的に思ってしまうが、
手紙の中でも店主が既婚者であることは表現されており、ヘレンにも躊躇する気持ちが芽生えやすい状況ですね。
この付かず離れずな関係性が長く続いていくというのが、ある意味では文通の面白さではあるのですが、
お互いの交信の速さ、手紙という限られたスペースに込める言葉という観点からは、現代のSNSとは大違いですね。

おそらく、この不便さ具合が丁度良かった時代でもあったのだろう。何を取っても拡散スピードが速い現代とは違い、
本作で描かれた時代は通信するにも、移動するにも手間も時間もかかる時代だったので、文通も丁度良い手段。
しかし、その不便さ、遅さがあったからこそ、その間に想いを募らせ、考えを巡らせられる時間的余裕があったはず。
なんにしてもスピードアップ、時短が浸透した現代社会では、そういった余裕なく返信する時間がやって来ます。

そうなれば、あれやこれや考えずに、そのときの感情をぶつけてしまうことも増えていくでしょうし、
相手の返信を待つ時間を楽しむということも無くなりますしね。今は「まだ既読にならない」とか「まだ返信がこない」と
怒りや苛立ちを覚えることが多くなりますからね。まぁ、このスピード感こそ、タイムパフォーマンスを上げるのですが。

映画は1940年代から約20年間に及ぶ交流を描いているので、時代の変遷も語られています。
第二次世界大戦直後の混迷の時代に始まり、やがてはビートルズ≠ェ台頭する時代に流れ、大きく変わっていく。

お互いに若くはない、ということが前提にある中で、時代の変遷への戸惑いも感じさせる部分はありますが、
この映画はあくまで平穏に淡々と綴っているわけで、決して感情的になるシーンがあるわけではありません。
この辺が心の動きを捉えにくい部分ではあるのですが、本作の魅力はその大半を主演2人の演技力が担っている。
演出的な見どころがあったかと言われると、それは微妙なんだけど...役者冥利に尽きる作品だったのだろう。

古書店の店主の家庭に関する描写は、なんとも興味深く、あくまで幸せそうな家庭を築いてはいるのですが、
娘2人への愛情はともかくとして、彼の妻との夫婦生活については、どことなく不安定さ感じさせるニュアンスがある。
妻役を演じたジュディ・デンチがとっても上手くて、一つ一つのさり気ない表情、ダンスに誘われるシーンなどなど、
見た目は幸せそうな家庭なんだけど、妻として夫への愛に僅かながらも、猜疑心があるような表情を覗かせている。

しかし、表立ってケンカをするということでもなく、夫の不倫を疑っているわけでもない。
どことなくアンタッチャブルな雰囲気が妻として躊躇するところがあるような、微妙な感覚を巧みに表現している。

この店主にしても、どこか後ろめたい気持ちがなかったわけでもなさそうで、妻には文通を内緒にしたかったよう。
浮気心というには大袈裟でしょうが、それでも妻にバレたら「やめて」と言われるであろうという予想があったのだろう。
そんな夫婦の無言の駆け引きが不思議にも映りますが、妻から見ても積極的に知りたいことではなかったでしょう。

大都会ニューヨークでは見つからない絶版本を、ロンドンの古書店で扱っていることから始まる、
文通を介した淡い恋心。これは実話なのか僕には分からないが、ヘレン・ハンフ自身の原作ということは
何かモデルになるエピソードがあったということなのかもしれない。そう思って観ると、チョット切ない映画でもある。

ラストのアン・バンクロフト演じるヘレンがカメラ目線になって、「やっと来たわよ」と精いっぱいの笑顔ですが、
これは実に複雑な彼女の想いが入り混じった表情なのかもしれず、なんとも切ないラストに見えてくるから不思議だ。
とは言え、古書店の店主が既婚者であることを考えると、結果として「これで良かった」と言える結末でもあると思う。
結局はヘレンの届かぬ恋心なのだ。プラトニックな恋心とは言えど、状況的にそれ以上先に進めることはできないし。

欲を言えば、古書店についてはもっと丁寧に描いて欲しかったなぁ。特に店に観客も愛着を感じる描写にして欲しい。
映画のタイトルになっているくらいなので、単に文通している様子を描くだけではなくなって、観客から見ても、
思わず「こんな本屋に行ってみたい」と思わせられる描写が欲しい。そうでなければヘレンの想いとシンクロしない。

それでこそ、ヘレンのラストの「やっと来たわよ」という台詞に万感の想いがにじみ出るシーンにできたと思う。
そういった描写になっていれば、やっとの想いで古書店にたどり着いたという達成感を、もっと強く演出できただろう。

上映時間も短い作品ではあるので、スリムになっているのは良いのですが...
とは言え、もっと時間を割いた方が映画が充実化したのではないかと思える部分もあって、そこは勿体ないと思う。
その一例が古書店に関する描写でもあるし、お互いに文通で返信を待っていながらも、なかなか返信が来ない
ヤキモキ感などを演出するのに時間は割いて欲しい。僕はこの映画、やっぱりラストがすべての作品だと思うから、
このラストに向けて、テンションを高めるために時間を割いて欲しかったですね。そうすれば、もっと感動できたはず。

劇中語られていますが、第二次世界大戦直後において、アメリカとイギリスでも事情が大きく異なるのが興味深い。
アメリカではヘレンが男性上位社会でもバリバリ働こうとハングリーに生きて、近代化が進んでいる様子ですが、
一方のロンドンでは食事の配給が行われたりしていて、敗戦国でもないイギリスだというのに驚かされます。
それだけ当時のイギリスは経済的にも厳しい時代があって、アメリカとはかなり事情が異なる様子なのが意外でした。

そんなロンドンの事情を知らされて、草の根活動的ではあるもののヘレンが動き始める姿は実に献身的ですね。

お互いにカメラ目線で語りかけるシーンが目立ちますが、これは観客へ向かって話しているわけではなく、
あくまで文通でお互いに送っているメッセージを表現している。観客へ向かって語り掛ける台詞ではなく、
カメラ目線で台詞を取り入れるというのは、あまり無いタイプの演出であって、これは面白いアプローチだと思います。

まぁ、ナレーションも多用してはいるのですが、カメラ目線でお互いに問い掛ける方が臨場感があるかも。
この辺はヘレン・ハンフの原作の良さを、どのように伝えるかということを作り手が創意工夫を凝らした結果だろう。
日本では劇場未公開作扱いとなってしまったのが残念だとしか思えません。こういう作品は大切にしたいところだ。

ただ、いかんせん地味過ぎる仕上がりになってしまった。これはラストへのテンションをもっと高めていれば、
映画の印象は大きく変わったはずだ。正直、全体的に地味過ぎる仕上がりで、損しているなぁというのが正直な印象。

映画の出来としては正直、可もなく不可もなくという印象なのですが...
これは恋愛映画を得意とするディレクターが撮っていれば、もっと映画の仕上がりは変わっていただろうと思える。
監督のデビッド・ジョーンズも悪くない仕事ぶりではあるのですが、少しずつ物足りなさが積み重なってしまう。
原作の良さがどれだけ込められているのかと疑問に感じるし、もっと上手く出来たのではないかと思えてしまうのです。

主演のアンソニー・ホプキンスはこの頃は、まだ日本ではビッグネームな俳優さんではありませんでしたが、
80年の『エレファント・マン』で実力派俳優として知られてはいましたし、本作でも存分に存在感を発揮しています。
アン・バンクロフトよりも年下だったというのが正直意外でしたけど、まったく彼女の芝居に負けていないですね。

アンソニー・ホプキンスと言えば、どうしても『羊たちの沈黙』のレクター博士の印象が強いので、
本作のような地味なタイプの映画で静かに演じ切るというのも、なんとも意外な感じもするのですが(苦笑)、
本作では映画の最後まで豹変することなく、平穏に終わっています(→当たり前)。やっぱり上手い役者さんですよね。

ところで、何故に本作の製作でメル・ブルックスが加わったのか...前述した通り、
ヘレン役に妻のアン・バンクロフトをキャスティングしたということもあったのかもしれないけど、なんだか意外だなぁ。
『エレファント・マン』など何本かシリアスな映画のプロデュースもやっているのですが、結構“幅”が広いんですね。

まぁ・・・どうしてもとオススメできるというほどではありませんが、及第点以上の作品と言っていいです。
日本では劇場未公開作となってしまいましたが、今は容易に視聴できる作品になったことは良かったと思います。

(上映時間95分)

私の採点★★★★★★★☆☆☆〜7点

監督 デビッド・ジョーンズ
製作 メル・ブルックス
   ジェフリー・ヘルマン
原作 ヘレン・ハンフ
脚本 ヒュー・ホイットモア
撮影 ブライアン・ウェスト
音楽 ジョージ・フェントン
出演 アン・バンクロフト
   アンソニー・ホプキンス
   ジュディ・デンチ
   ジャン・デ・ベア
   モーリス・デナム
   エレノア・デビッド
   マーセデス・ルール

1987年度イギリス・アカデミー賞主演女優賞(アン・バンクロフト) 受賞