42 〜世界を変えた男〜(2013年アメリカ)

42

黒人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンの伝記映画。
如何にもアメリカが好きそうな題材であり、全米の野球ファンにとってのヒーローでもあるジャッキー・ロビンソンを
主人公に据えた作品というだけあって、北米興行収入でも大成功を収めた野球映画として、評価が高かった作品だ。

確かに本作は、スゴく見応えのある作品で、ハッキリ言って、分かり切った内容の映画ではあるのですが、
しっかりと盛り上げどころを押さえた作品なので、キッチリと楽しませてくれるプロフェッショナルな映画だと思う。

監督は97年に『L.A.コンフィデンシャル』の脚本で高く評価されて、
後に映画監督としてデビューしたブライアン・ヘルゲランドで、監督として活動を始めた最初の頃の作品は
個人的にはあんまりシックリ来なかった作品だったのですが、本作は随分と成熟したなぁという印象を持ちました。

何とも形容しがたいのですが、映画が実にしっかりしてきたなぁという印象があって、
本作もブライアン・ヘルゲランド自身が脚本を兼務していますが、決して脚本ありきの映画というわけではないですね。

ジャッキー・ロビンソンの妻であるレイチェル・ロビンソンからも絶賛されていたという、
主演のチャドウィック・ボーズマンの熱演も素晴らしく、残念ながら2020年に早逝してしまったのが悔まれます。
そんなジャッキー・ロビンソンにメジャーリーガーとしてのチャンスを与える、ブルックリン・ドジャースのGMである、
リッキーを演じたハリソン・フォードもすっかり老いた俳優として、これまでとは違ったで良い存在感を見せている。

もっとも、リッキーがやったことって偉大ではあるのだけれども、
ひたすらジャッキーに我慢を強いるようなことではあるので、とても酷なことではあったのではないかと思う。
しかし、リッキーなりに野球を愛してきたが、有能であった黒人選手を守ってあげられず黙認したことへの悔いから、
GMという全体を動かすことができる立場になって、野球界を変えようと行動を起こす勇気は、この年齢でスゴいことだ。

差別主義者と同じ土俵に立って、同じレヴェルで闘うなというのは正論だけれども、
フィールドであれだけの侮辱を受けて、それでも耐えろというのは酷なことで、これに耐えたジャッキーはスゴいと思う。
リッキーにしても、ジャッキーのタフさが世界を変えると確信していたから、辛抱強く諭したということなのでしょう。

確かに年老いたリッキーからすれば、こうして頑張ってもらうしか、彼なりに世界を変える方法はないということでしょう。
ホントはこんな耐える、我慢する、などといったことなしに、差別待遇を無くす方向に動かなきゃいけないのですがね。

野球の試合シーンに関しては、もう一つ工夫の余地はあったと思います。
幾度となくジャッキーにとって、ターニング・ポイントとなる試合のシーンが描かれるのですが、臨場感は乏しい。
この辺は野球映画が得意なハリウッドでは、他にもっと良い描写が出来た作品は数多くあるので、
ここは本作の弱点かな。個人的にはジャッキーが盗塁を仕掛けるシーンなどは、もっと演出に鋭さが欲しいところ。

やっぱり、ジャッキー・ロビンソンは全米の野球ファンはもとより、黒人たちにとってのヒーローなんだと実感する。
なんせ、ジャッキーのメジャー・デビュー戦であるエベッツ・フィールドに集まった観客の半分以上が黒人だったようで、
当時の黒人たちの社会的地位が高くはなく、当たり前のように差別を受けていたことは否定できませんから、
黒人たちの経済情勢を考えれば、これだけの人数がスタジアムに実際に入ってきたという事実がスゴいと思います。

僕はジャッキーにメジャー・デビューのチャンスを与えたリッキーのことに詳しくはありませんが、
映画を観る限り、どこまでリッキーが純粋な気持ちでジャッキーを鼓舞していたのかは分かりません。
ひょっとしたら、人口的には少なくはない黒人層を取り込む意図、経済的な意図があった可能性もあります。

ただ、そうだったとしても、こんなことをやっていたのは当時はリッキーだけですからね。
なんせ、当時のメジャー・リーグのオーナーたちはジャッキーの出場に猛反対だったわけで、
白人と黒人が一緒になって野球をするという発想自体がなく、白人たちが既得権益を守ろうとしていたわけです。

映画の中で描かれたことが、どれだけ事実に基づいたものかは分かりませんが、
例えばフィラデルフィア・フィリーズと試合するためのフィラデルフィア遠征で、そもそもフィリーズ側から来るなと言われ、
フィラデルフィアの定宿では、ジャッキーが来るということで入館拒否にあったり、いざ試合になれば強烈なブーイング、
フィリーズの監督からは、公然と人種差別や侮辱を次から次へとジャッキーに向かって叫びまくって、挑発してくる。

これはリッキーが予め予想していたことでもあって、差別主義者の典型とも言える、
挑発的な発言や態度をとって、ジャッキーが怒って反論や反撃してくるのを待っているかのようで、
同じ土俵に入れてやり合えば、世間の黒人への風当たりは強くなると計算づくで挑発してくる、卑劣な手口だ。

チームメートにも審判にも差別主義者がいて、ジャッキーは不当な扱いを受け続け、
そうとうに辛抱していたのでしょうが、彼が着けていた42という背番号は全球団の永久欠番になりました。

アメリカで、1960年代末までは人種差別撤廃が社会的に議論されていた頃であり、
南部を中心に反対する連中がいて、凄惨な事件も起きたりしていて、未だに人種差別は燻り続けている。
そういう意味では、リッキーが野球界にメスを入れようとしていたのは、かなり先見の明があったと思うし、
実際にジャッキーの活躍が50年代初頭には多くの野球ファンに認められていたので、変革は早かった方なのかも。

しかし、本来であれば差別される側が行動を起こさないと変わらないなんて、
どんだけ白人たちの目線だけで語る社会なんだよと、ツッコミの一つでも入れたくなるが、これが実態だったのだろう。

まぁ、現実にはもっと酷い差別があったのだろうと思うし、ジャッキーにも当然、感情の起伏はあったので、
何もかもが我慢できたことではないだろう。勿論、差別主義者の連中と同じレヴェルに成り下がって争うことは
ジャッキーのような立場のプレーヤーにとって得策ではないが、我慢することが美徳みたいな解釈もしたくはない。

この辺はブライアン・ヘルゲランドはもっと上手く描いて欲しかったかな。
「やり返さない勇気を持つこと」は、確かに重要なんだけれども、そこだけが強調されると、チョット違う気がする。
もっと差別していた連中がどのように変容していったのかについて、力強く描いて欲しかったなぁと思います。

例えば、試合途中に“1”と“42”の会話が描かれ、審判に注意されるなんてシーンがありますけど、
この背番号“1”のショートストップは、最初っから「実力があるなら、いいんじゃないか?」というスタンスでしたからね。

多少のフィクションであったとしても、誰か一人、ジャッキーの姿に心打たれて、
それまでの差別感情を露骨にしていたことを悔い改めるくらいのエピソードがあっても良かったと思うなぁ。
おそらく過剰にヒロイックになってしまうことを嫌ったのでしょうけど、差別主義者にもっとクローズアップして欲しかった。
この辺は内省的に描くことも、フィクションっぽくなるから嫌ったのかな。でも、ここはもっと脚色して良かったと思います。

それにしても、チャドウィック・ボーズマンの急逝が悔まれますねぇ。
多才な映画人だったので、脚本家としても評価されたり、大ヒットした『ブラックパンサー』のようなアクション映画を
代名詞とした役者としての方が有名なのかもしれませんが、本作のようなドラマでも映える役者さんだったと思う。

これだけやってくれれば、それはジャッキーの妻だったレイチェル・ロビンソンに絶賛されるわけですよ。

実際、本作の後もジェームズ・ブラウンの伝記映画に出演したり、実力派俳優として評価されてたのでしょうし、
スターダムを駆け上がることを約束されていただけに、志半ばで病に倒れてしまったようで、残念でなりません。

完璧な映画というわけではないけれども、メジャーリーグの歴史に興味がある人なら
間違いなく楽しめる作品だし、野球を基軸に人種差別と闘ってきた歴史に触れる作品としても最適です。
やはりこれだけ力のある作品が出来るのは、“ベースボール”の長い歴史を持っているアメリカならではでしょう。
しかし、野球映画として空前の大ヒットだったというのに、映画賞に全く絡まなかったというのが、少々意外ですね。。。

(上映時間128分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 ブライアン・ヘルゲランド
製作 トーマス・タル
脚本 ブライアン・ヘルゲランド
撮影 ドン・バージェス
編集 ケビン・スティット
音楽 マーク・アイシャム
出演 チャドウィック・ボーズマン
   ハリソン・フォード
   ニコール・ベハーリー
   クリストファー・メローニ
   アンドレ・ホランド
   ルーカス・ブラック
   アラン・テュディック
   ハミッシュ・リンクレイター