12人の優しい日本人(1991年日本)

57年の名作『十二人の怒れる男』を三谷 幸喜流にアレンジ。

正直言って、演出家としての三谷 幸喜はあまり好きじゃないのですが、
確かに脚本家としての手腕には優れているのかな。と言うか、監督の中原 俊が素晴らしいです。

語り口は軽妙で、『十二人の怒れる男』に一捻りを加えて、
日本映画としては珍しいぐらい、台詞のテンポが活きた、活劇性ある喜劇に仕上がっている。
これは映像化し易い段階までもっていっていた、三谷 幸喜の脚本の良さもあるのでしょうね。
いずれにしても、この時代の日本映画としては、特筆に値する出色の出来と言っていい。

どうやら三谷 幸喜の劇団に所属していた役者さんたちが中心のようですが、
出演者も見事なアンサンブルを見せていて、人間観察という観点からも面白い映画だ。

『十二人の怒れる男』ではヘンリー・フォンダ演じる主人公のあまりに強すぎる主張が賛否両論で、
本作も相島 一之演じる陪審員2号が、映画の序盤からリードする形で議論を進めるので、
ややもすると『十二人の怒れる男』と同じペースで映画が進んでいくのではないかと心配になるのですが、
それだけで映画は終わらない工夫が凝らされていて、ある意味で日本人の気質をよく捉えた映画です。

たぶん、三谷 幸喜も『十二人の怒れる男』は好きなのだろうが、
おそらく彼なりの嗜好を交えて、より彼にとって完璧なストーリーを再構築しようと考えたのでしょうね。

彼なりのユーモアも、この映画の主軸となっていて、
陪審員制度を真正面から描いた作品であるにも関わらず、映画の冒頭10分間を割いてまで、
集められた各陪審員が何を飲むか点呼をとるというエピソードだけに時間を費やす(笑)。

ある意味で、優柔不断な性格が多い部分であったり、
一度、注文が始まると矢継ぎ早に自分の注文を重ねるように連呼する主張の強い部分であったり、
注文を集約するにも、何度も同じ注文をカウントしたりと要領の悪い部分を、実に巧みに描けていますね。

この辺は三谷 幸喜の上手さであって、単純に『十二人の怒れる男』をリメークするだけでは芸が無いと、
あれやこれや工夫を凝らしながらエピソードを重ねていく姿勢は、高く評価されるに値すると思いますね。

今尚、本作は三谷 幸喜の出世作として評価されておりますが、
それにも増して本作は、前述したように中原 俊のディレクターとしての手腕が光っていますね。
これは演出家として、そうとうに高い総合力が無ければ、成立し得なかった映画と言っていいだろう。

チョット大袈裟な言い方ではありますが...
個人的にはドラスティックな演出で映画を大きく見せようとした、『十二人の怒れる男』での
シドニー・ルメットの演出よりも、本作での中原 俊の演出の方が観るべき箇所が多かったのではないかと思う。

前述の通り、2時間近く、まったく飽きさせずに軽妙なテンポで描くのは、そう容易い仕事ではないと思います。

確かに本作でも、出演者たちが怒鳴り合うシーンもあるのですが、
カメラワークも含めて、観客が嫌味に感じる描き方は皆無に等しかったと言ってもいいと思いますね。

ハリウッドを代表する、舞台劇風作家であるシドニー・ルメットは名匠ではありますが、
彼の独特な演出は賛否両論でもありますしね。まぁ・・・その理由は僕にも、何となく分かるんです。
(勘違いしないで欲しい。僕はシドニー・ルメットの監督作品は好きだし、素晴らしい映像作家だと思う)

今の日本では、裁判員制度があるから、この映画で描かれたことは、もっと親近感が湧くでしょう。
人が人を裁くことの難しさは本作で語られた通りだと思うし、誰しも悩む大きな問題でしょう。

でも、この映画で最も面白いなぁと感じたところは、
各陪審員が抱える自己矛盾で、思わず誰しも「あるなぁ〜、こういうところ」と思って観ちゃう部分ですね。

「論理的に考えると・・・」と言っている人の主張が、論理的はなかったり、
「事実を見ましょうよ」と言っている人の主張が、感情論に傾いたり、
「私の判断は間違っていない!」と独善的な主張を、ついしてしまったりと、議論は紛糾します。
確かに、全ての登場人物に同情的にはなれないでしょうが、過剰に一人にフォーカスしない描き方をしたのは良い。

強いて言えば、相島 一之演じる陪審員2号を中心的に描く部分もあるのですが、
上手い具合に銀行員と名乗る陪審員9号が議論の主導権を握ったり、何でもケンカ腰の職人である陪審員7号や
弁護士を名乗る、若き日の豊川 悦司が演じる陪審員11号が議論を整理したり、上手くクロスオーヴァーさせる。

こういう風にして、さり気なく映画の視点を変えながら構成するせいか、
『十二人の怒れる男』のヘンリー・フォンダが少し独善的な正義を押し通したように見えることもなく、
文字通り、話し合いを重ねて結論を出すことが重要であるということを弁証しているのは、実に見事である。
この映画こそが、反証することが目的ではなく、話し合いをして結論を出すことが目的であることを明確にしている。

手段と目的を取り違えしてしまうことは、
今の日本社会でも横行しているように感じる部分はあるけれども、
そういう意味で本作は、物事の本質を捉える上で、ホントに重要なことは何かを的確に捉えているようだ。

どちらかと言えば、一人の異端が説き伏せることに力点を置いた『十二人の怒れる男』に対して、
本作は説き伏せるというよりも、人間の感情の揺らぎに力点を置いたことに大きな特徴がありますね。

個人的には三谷 幸喜は脚本家に徹した方が良いと思う。
彼の監督作品を何本か観たけれども、本作のような特筆に値する部分は見られなかったですからね。

本作は「もしも日本でも陪審員制度があったら?」という仮定の基に成り立つ映画でしたが、
今となっては、現実に裁判員制度が浸透した社会なわけですから、本作に見習う部分はあるでしょう。
特に“三現主義”(現実・現場・現物)に基づいた検証を、無意識に取り組むのは実に模範的ですね。

残念ながら、既に他界してしまった役者さんも多いようですが、
昨今の日本映画で出演者のアンサンブル演技が、ここまで見事に結実した作品も珍しく、
映画作りのお手本とも言うべき内容なだけに、このまま埋もれてしまうのは凄く勿体ないですね。

こういうオマージュもあるんですね。今尚、新鮮味を失っていない秀作だと思います。

(上映時間116分)

私の採点★★★★★★★★★☆〜9点

監督 中原 俊
製作 岡田 裕
企画 成田 尚哉
    じんのひろあき
脚本 三谷 幸喜と東京サンシャインボーイズ
撮影 高間 賢治
美術 稲垣 尚夫
編集 冨田 功
    冨田 伸子
音楽 エリザベータ・ステファンスカ
出演 塩見 三省
    相島 一之
    上田 耕一
    二瓶 鮫一
    中村 まり子
    大河内 浩
    梶原 善
    山下 容莉枝
    村松 克己
    林 美智子
    豊川 悦司
    加藤 善博
    近藤 芳正