十二人の怒れる男(1957年アメリカ)

12 Angry Men

僕は本作は「映画の新たな可能性を広げた作品」として傑作との評価に値すると思います。

後に社会派映画の名匠として知られるシドニー・ルメットが、
アメリカの陪審員制度を題材に、一件の殺人事件の審議をする12人の男たちの議論を描いた名作だ。

おりしも09年現在、日本でも導入されたばかりの裁判員制度が話題となっておりますが、
本作は人を裁くことの難しさ、そして偏見を取り除くことの難しさ、考えることの重要さを説いた映画だと思う。
そういう意味で本作は、裁判員制度を考える上でも教材的な存在となりうる映画と言っても過言ではない。
映画がそういった形で社会に貢献できるというのは、ひじょうに意義深いことだと思いますね。

まぁ...こんなことを言うと非難されそうですが...
僕は本作で取り扱われる殺人事件の真相については、映画においては大きな問題ではないと思う。

ヘンリー・フォンダ演じる主人公が映画の前半から一貫して貫いたのは、
「疑わしきは罰せず」という基本理念に基づいて、弁論の一つ一つを再検証しようとする姿だ。
つまりは人の命を軽視する行動はとりたくなく、結論を急がず、討論をしようとするスタンスだ。
僕はこれが本作の核心だと思う。本作はディベート(討論)することの重要さを訴えた作品だと思う。

48年からテレビ・シリーズとして評判の良かった本作のオリジナル戯曲に
ヘンリー・フォンダが惚れ込み、劇場用映画として公開することに投資したらしいのです。

まぁ結論を言えば、その価値は十分にありましたね。
多少は過剰に演出している面があることは否めませんが、シドニー・ルメットの演出には傑出したものがある。
やはり当時、密室劇をこれだけ力強い演出で引っ張るという方針を掲げられた映像作家は彼が最初ですね。
下手をすると、ひじょうに傲慢な映画に映り易いところを、そのギリギリのラインで救っている。
時にシドニー・ルメットらしい仰々しさはあるのですが、本作に関してはその出し入れが上手くいっていると思う。

ヘンリー・フォンダ演じる“8番の男”とは対照的に、
映画の最初から最後まで「有罪」と主張し続ける“3番の男”を演じたリー・J・コッブは得な役ではありますが、
こういった大きな芝居を求められる役どころを、違和感なく演じることは思いのほか難しいと思いますね。
あまり賞賛されていないのは残念ですが、彼のキャスティングは本作にとって大きかったと思います。

まぁ出演者たちは、この2人に限らず、皆、見事なアンサンブルですね。
そういった意味では、本作はスター俳優を主演に据えながらも、そこに甘えなかった作品ですね。

前述した過剰な演出が好きになれない人には、キツい映画でしょうね。
もう...映画は最初から最後までシドニー・ルメットの特徴的な演出で終始し、
そこにボリス・カウフマンの派手なズーミングが冴え渡るカメラなだけに、悪く言えば、大袈裟な映画だと思う。
そうなだけに、この大袈裟な展開をそこまで許容できるかが、本作に対する評価を大きく左右します。

ただ、僕は一つだけ言えると確信しているのは、これら一連の強引ともとれる大袈裟な演出というのは、
当時の映画界において密室劇を完成させるという意味で、このアプローチは必要だったということ。
ですから、賛否両論あれど、僕は本作は多義的にも価値があると思うんですよね。

まぁこれだけの内容ですから、さすがに企画の段階でしっかりしていなければなりませんし、
何よりレジナルド・ローズによるシナリオがひじょうに良く出来ていたことが大きかったでしょうね。
ヘンリー・フォンダが劇場用映画で製作することを熱望したという理由が、よく分かります。
当時としては、決して前例が多かったとは言えない密室劇でしたから、チャレンジ精神が刺激されたのでしょう。

テレビ・シリーズでは実現しえなかった挑戦性というのは、本作で見事に結実してますね。

“8番の男”の台詞が印象的ですね。
「少しでも疑いがある以上、被疑者を有罪にするわけにはいかない」

まぁやはり「疑わしきは罰せず」という原理原則なんですよね。
一人の被疑者の運命を決定するためには5分間の話し合いでは足りないと言い張る彼は、
ただ一人にも関わらず“無罪”を表明し、裁判内容で少しでも疑いのある部分を一つ一つ検証していきます。

ただ、そんな彼の姿を見て、他の11人は一様にドンヨリした視線を彼に送ります。
まるで「なんでお前は妨害するんだ!」と罵倒せんとばかりにです。
しかし“8番の男”が指摘したかったのは、正にそういった陪審員の傲慢さ、偏見、決め付けであり、
彼は「ありえる(possibility)」という表現を何度も何度も繰り返します。

そうして彼が一つ一つ弁証していく姿に、やがて他の陪審員も客観性を持っていくのです。

しかし、彼は「被疑者は有罪かもしれない」ということも「ありえる(possibility)」と感じていただろう。
前述したように、思い切ったことを言えば、事件の真相は本作にとって、何ら関係のないことなのです。
この「ありえる(possibilty)」というスタンスが、この映画の基本的な土台なんですよね。

まぁ・・・一つ一つを建設的に積み上げていく過程が面白い映画ですね。

(上映時間96分)

私の採点★★★★★★★★★★〜10点

監督 シドニー・ルメット
製作 レジナルド・ローズ
    ヘンリー・フォンダ
原作 レジナルド・ローズ
脚本 レジナルド・ローズ
撮影 ボリス・カウフマン
音楽 ケニヨン・ホプキンス
出演 ヘンリー・フォンダ
    リー・J・コッブ
    エド・ベグリー
    マーチン・バルサム
    ジャック・ウォーデン
    E・G・マーシャル

1957年度アカデミー作品賞 ノミネート
1957年度アカデミー監督賞(シドニー・ルメット) ノミネート
1957年度アカデミー脚色賞(レジナルド・ローズ) ノミネート
1957年度ベルリン国際映画祭金熊賞 受賞
1957年度ベルリン国際映画祭国際カトリック映画事務局賞(シドニー・ルメット) 受賞
1957年度イギリス・アカデミー賞主演男優賞(ヘンリー・フォンダ) 受賞